9月21日は、三軒茶屋から下高井戸まで、東急電鉄世田谷線の300系の307F(SDGsトレイン)による、下高井戸行き🚃🌍に乗りました。

この時に乗った列車は、土休日05運用で、三軒茶屋 18時48分発の下高井戸行きであり、下高井戸駅でも撮影することが出来ました。

SDGsトレインのラッピング電車である、東横線用の新5000系5121Fと、田園都市線用の2020系2130Fは、ホームドア設置駅でも分かりやすくする為に上にラッピングされているけど、世田谷線の307Fでは、下にラッピングされています。

提携先の阪急阪神ホールディングスでは、1975(昭和50)年5月まで、以下の3つの路面電車(阪神国道線(野田~上甲子園~西灘間)、甲子園線(上甲子園~浜甲子園間)、北大阪線(野田~天神橋筋六丁目(天六)間)が走っていました。

阪急のほうも路面電車が運転されていたけど、最後まで残されていた路線は、1949(昭和24)年9月1日に休止となった、阪急北野線であり、梅田~茶屋町~北野間を結んでいた路線でありました。

それは、1926(大正15)年7月5日に、宝塚本線と神戸本線の梅田(現、大阪梅田)~十三間が高架複々線化された時に、残されていた地上区間が北野線として活用されていたものであります。

阪急の北野駅は、中津~十三間にあった駅で、阪急中津駅と同様に、阪神北大阪線も乗り入れていました。

1959(昭和34)年2月18日に梅田(現、大阪梅田)~十三間が現在のような6線化された時に京都本線が東側の線路に移されていたけど、こちらは阪急北野線の廃線跡の一部が流用されたものであり、阪急北野線の名残と言えます。

大阪梅田駅発着の阪急京都本線の電車🚃が、全列車阪急中津駅に停車しないのは、阪急北野線の廃線跡を活用した為に、その部分にホームを設けることが出来なかったからであります。

もしも阪急阪神ホールディングス系の路面電車が現在でも走っていたら、阪急阪神ホールディングス系のアルナ車両製の車両が生かされていたところでした。

阪急の中津駅を阪急中津駅と呼んでいる理由は、Osaka Metro(大阪メトロ)御堂筋線の中津駅と約300m離れている為に乗換駅扱いとなっていないことや、大分県中津市にあるJR九州日豊本線の中津駅と区別する為であります。

こちらは、京浜急行電鉄(京急)と横浜市営地下鉄ブルーラインの弘明寺(ぐみょうじ)駅などの関係にも言えます。

大阪府を走っていた路面電車は、1969(昭和44)年まで走っていた大阪市電(Osaka Metroの前身である、大阪市交通局による運営だった)も挙げられています。

現在大阪府を走る路面電車は、阪堺電気軌道の阪堺線(恵美須町~住吉~浜寺駅前間)と上町線(天王寺駅前~住吉間)だけとなっているけど、1980(昭和55)年11月30日までの間は、南海電気鉄道(南海)の軌道線部門となっていました。

1980年11月27日には、南海平野線(今池~平野間)という路面電車が、その真下に開業した大阪市営地下鉄(現、Osaka Metro)谷町線の天王寺~八尾南間と入れ替わる形で廃止されていたので、阪堺電気軌道に移管されることはなかった路線であります。

2016(平成28)年1月31日までは、阪堺上町線の終点が、住吉公園電停(南海本線の住吉大社駅に隣接していた)となっていたけど、それが廃止される直前(末期)は、平日、土休日共に朝7時台と8時台のみの発着(5往復、土休日は4往復)で住吉公園発の終電が8時24分(土休日は8時32分)発と、日本一終電の早い駅となっていました。

このことは、4月17日に最終運転日を迎え、5月7日に正式に廃止されたJR北海道の札沼線(学園都市線)の非電化区間(北海道医療大学~新十津川間)の終着駅だった新十津川駅(浦臼~新十津川間は末期にたったの1往復であった)でも言えることであり、こちらは、新十津川10時ちょうど発の石狩当別行きの列車(キハ40形気動車で運転されていた)が最終となっていたので、日本一終電の早い駅ならぬ、日本一終列車の早い駅でありました。

現在の阪堺電車の系統は、天王寺駅前~浜寺駅前の上町線系統、恵美須町~我孫子道間の阪堺線系統であり、10月1日には、大阪市内、堺市内に分かれていた運賃制度が廃止され、運賃が全線230円(小児は120円)均一となっています。

阪堺電車では、3月28日に1100形の1101F(新堺トラム)が営業運転入りしていたけど、こちらは1001形堺トラムシリーズとは異なり、南海グループの赤とオレンジの塗装となっています。

現在大手私鉄直営の路面電車は、東急世田谷線と、京阪電気鉄道(京阪)の大津線系統の路線(京津線(御陵(みささぎ)~びわ湖浜大津間)と、石山坂本線(石山寺~坂本比叡山口間))であります。

大津線系統の車両は、京津線の800系を含めて京阪本線系統(鉄道線)と同じ新塗装(三井住友カラー)に順次変更されているので、石山坂本線で奇跡的に残されていた先代の京阪カラーが見納めになってしまうのが残念であります。

ひっぐ~氏は、京阪電車の塗装は前のほうが良かったと言っていたので、その気持ちが分かってきました。

樟葉駅前にあるKUZUHA MALL(くずはモール)のSANZEN-HIROBAに、2013(平成25)年3月31日まで京阪特急で活躍していた旧3000系(8000系30番台)の3505号車が展示されているので、京阪旧3000系並びに先代の京阪特急の塗装の歴史を語り継ぐことが出来ます。

東急世田谷線の上町駅(車庫のある駅)は、かみまちと読むけど、このことに対して、阪堺上町線は、うえまちせんと読むので、同じ字でも読み方が異なる例の一つとなっています。

1969年5月11日に玉電区間で残されていた三軒茶屋~下高井戸間が世田谷線となったけど、その命名理由は、世田谷エリア並びに世田谷区全域を走ることに加え、世田谷区の南北を結ぶ足であることもあります。

三軒茶屋~上町間は、世田谷通り沿いで、路線バス🚌との競合区間となっているけど、上町~下高井戸間は、代行バス🚌を通せるような環境ではないので、世田谷線が残されたのもそのはずであります。

世田谷線の運用は、平日が9運用(日中は7運用)、土休日が終日7運用であり、土休日の場合は非番の編成が3編成となります。

308Fによる幸福の招き猫電車🚃😸は、現在でも運転されており、その運転予定を調べることも出来ます。

招き猫電車🚃😸を見た時に、あーにゃこと水湊あおひ氏😸を思い出しました。

昨日は池袋ロサ会館にあるLIVE INN ROSAで東京ステーション♪が出てきた対バンライブでは、小麦ぱんこ🐼、永綱紗良両氏と再会出来たことはもちろんのこと、One Wayをかなり久しぶりに聴くことが出来て良かったです。

池袋ROSA会館は、かなり古い建物で、1階と地下2階のトイレ🚻が、4日に乗った東武鉄道350系による特急きりふり号のトイレ🚻と同様に全て和式となっているので、和式トイレが苦手な人にはオススメ出来ないです。

その前に都電の撮影がてら、大塚駅まで行った時にJR山手線🚃♻️の駅のトイレ🚻に入った時に和式トイレが洋式トイレ化🚻🚽されていたのを確認したので、和式トイレが時代遅れなんだな❗と思いました。

新横浜駅付近にある横アリこと横浜アリーナ(西武グループの多目的アリーナ)では、和式トイレに慣れていない若者(特に若い女性)たちが多く集まることにより、リニューアルを期に和式トイレが廃止され、全て洋式トイレ🚻🚽となっていました。

このことは、さいたまスーパーアリーナのトイレ🚻の洋式化🚽にも言えることであります。

最近になってからは洋式🚽の個室が満室で和式が空いているところが目立つ状態であり、中には和式が空いているのにも関わらず、洋式🚽の個室が空くまで待っている人も見受けられています。

小麦ぱんこ氏🐼は、池袋ロサ会館のゲーセンで、電車でGOに挑戦していました。

そのゲーセンのあるフロアの男子トイレ🚹も全て和式だったことを確認したのであります。

この時に鉄道の日記念の東京ステーション♪のフライヤーを貰ったけど、な・ん・と、1推しの小麦ぱんこ氏🐼による大大吉のメッセージを当てることが出来ました。

今日は、東京BRTに乗ってきたので、後日このことを書く予定でいます。

このブログでは、中心となっている鉄道のことに加え、バス🚌のことも書くこともあるのでそのはずであります。

東京BRTの1001号車の燃料電池バス🚌(トヨタ自動車(TOYOTA)のSORA)は、足立231い10-01号車となっているので、京成バス🚌でありながら、JR東日本のE231系電車🚃みたいな番号だな❗と思いました。

自分(しゃもじ)🐰が土曜出勤(休日EXE、アウェイ)に当たった時に、カレンダーにEマークを書きたくなるけど、その代休の平日休みには、カレンダーにVSEに因んだVマークを書きたくなります。

東急世田谷線の307Fの編成全体の画像は、後日撮影してみたいと思っています。

このように、東急世田谷線の307FによるSDGsトレインを撮影し、話題にすることが出来て良かったです。