こないだ、東京メトロ有楽町線と副都心線用の新型車両である17000系が報道陣に公開されました。

既存の7000系を置き換えるためのものだそうですが、有楽町線と副都心線には10000系という車両があるのに、10000系を増備して置き換えようとはしなかったのでしょうか?

そして、半蔵門線用の18000系もラインオフしたようで、これは8000系の後継形式になるのは説明しなくても判ろうかと思います。ということは、故6000系に始まる当時の “次世代営団車両” スタイルの終焉を意味することでもあります。ただ、いわゆる “0系シリーズ” なんかは、6000系スタイルを受け継いでいるようにも見受けられますので、それを含めればもう少しそのDNAは生き延びるのかなとは思ったりします。

 

 

こちらは、その7000系が産声を上げた直後の姿になります。説明するまでもなく、まだ 「帝都高速度交通営団」 だった時代。

この7020F、写真には、 「1980年1月4日、川崎重工にて」 と記載されていましたが、実際の竣工日は同年2月7日とされています。この段階ではまだ全ての車両が完成していなかったのかもしれませんね。

私にしてみれば、 「銀座一丁目」 という行く先表示が懐かしいわけですが、そう、部分開業当時は銀座一丁目止まりでしたよね。

よくよく考えてみると、今の東京メトロを含めて、営団時代から 「○丁目」 が付く駅名ってあまり無いですよね。

青山一丁目、本郷三丁目、四谷三丁目、新宿三丁目、六本木一丁目・・・あっ、結構ありましたね。 (苦笑)

 

この編成は、1980年3月27日の銀座一丁目-新富町間の延伸開業に際して増備された車両でした。

当時はまだ5両編成で、営団呼称で第一車両と第七~第十車両までを先行的に落成させましたが、第七~第十もその時は第二~第五車両と呼んでいました。

 

スタイルは見ての通り、故6000系と同一車体ですけど、どちらかというと、乗務員扉の形状から1978年に登場した6000系の3次車に酷似しています。ただ、このスタイルは実際は7000系の方が先に登場していますので、6000系の3次車が7000系を真似ていることになります。識別点は非常用扉の真上にある窓。これは種別幕で、有楽町線の計画段階から西武池袋線と東武東上線と相互直通運転する予定でいたことから、乗り入れ先では急行や準急といった優等列車にも使うつもりでいたんでしょう。そのため、行く先表示幕とは別に、その横に種別幕を別途用意していたというわけです。でも、ご存じの通り、実際に乗り入れるようになっても種別幕は使用されずに、この表示窓はオブジェ化してしまいました。

外面こそクリソツな6000系と7000系、決定的に違うのは足回り。特に制御装置は6000系がサイリスタ・チョッパ制御であるのに対して、7000系は自動可変界磁チョッパ制御 (AVFチョッパ制御) を採用しています。

 

1983年6月24日、池袋-営団成増 (→地下鉄成増) 間が開業し、これを機に10両編成化を実施しまして、ここで本来の第二~第六車両が製造されて既存の編成に組み込まれ、同時に最初から10両編成で落成した増備車が6編成 (60両) も合わせて登場しています。

増備車の特徴は、6000系の4次車、5次車と同じく一段下降窓を採用したこと。ただ、どちらかというと、乗降用ドアの窓面積が些か拡大されてる5次車に準じています。当時は冷房準備車でしたが (既存車は冷房非準備仕様) 、後に取り付けられています。

 

 

ラインオフから21年後の7020F。

まだ黄色の腹帯きを巻いています。これも今から思えば懐かしいのですが、参考のため、有楽町線の名誉のために申しますれば、本来の有楽町線のラインカラーはゴールドです。ゴールドと黄色が 「似ている」 というのもどうかと思うんですが、営団の主張は 「似ている」 そうなので、ゴールドではなくて黄色の腹巻きにしています。 

 

この21年の間にいくつかの小改良が施されています。

一つは行く先表示を今までの巻き取り式からLEDに改められたこと、冷房装置が取り付けられたことなどが挙げられます。LED表示によって一つのスペースで種別+行く先が表示されるようになって、前述のように種別幕はお飾りになってしまいました。

7000系は1994年までに全車、冷房化を達成しています。

 

07系が登場しても動じなかった7000系ですが、副都心線の開業と10000系の登場が大きく車生を変えることになります。

有楽町線のみならず、副都心線にも乗り入れるようになり、それまでの西武線や東武線だけでなく、東急東横線でもその姿を見ることが出来ましたが、腹巻きの色が黄色 (諄いようですが建前上はゴールド) 、から副都心線のラインカラーであるブラウンがメインとなり、それと付け合わせ的にゴールドと白が加わっています。でも、例え付け合わせでも、ここで初めて有楽町線のラインカラーであるゴールドが配されたのはちょっと特筆すべき事かな。また、副都心線に合わせてATO対応化工事、東急線乗り入れ用はさらに8両編成になるなど、大規模なリニューアル工事が実施されました。編成から抜かれた車両 (主に第六車両と第七車両) はそのまま廃車されました。また、一部はインドネシアに売り飛ばされるなどしていますが、画像の7020Fは日本に残留し、8両編成になって有楽町線、副都心線、乗り入れ先の西武線、東武線、東急線、みなとみらい線で活躍中です。

 

有楽町線はね、とにかく 「縁が薄い」 としか言い様がありません。

そしてあらゆる部分で 「遠い」 。

自宅から有楽町線に乗ろうとした場合、まず、起点の新木場まで行かなければなりませんが、そこまでが遠い。

そうなると、東西線→有楽町線という選択肢になるわけですが、東西線と有楽町線の唯一の接点が飯田橋駅。でも確か、飯田橋での乗り換えも結構遠かった記憶があるんですよね (因みに、飯田橋駅の東京メトロ駅員、超不親切) 。

それから、池袋でも乗った記憶があるけど、有楽町線の池袋駅って、JRや丸ノ内線が乗り入れる池袋駅の中心からちょっと離れているんですよね。結構歩いた記憶があります。

それから、出張で市ヶ谷に行った時のこと。そのまま 「吞みに行くか」 となったんですが、職場から 「戻ってこい」 との指令があったので、市ヶ谷から有楽町線に乗って新富町から歩くことにしました。でも、新富町から職場のある築地まではちょっと遠かったです。

そして25年くらい前になりますけど、仕事関連で川越まで行ったんですよね (実際は川越ではなくて荒川沿いの川島町。集合場所が川越駅だった) 。で、普通だったら池袋まで出て、そこから東上線の急行で行けば川越まではそんなに時間はかからないはずなんですけど、何を血迷ったのか、新木場から川越まで延々と有楽町線に乗って行ったんです。その時体感したのが 「死んじゃうよっ!」 。各駅停車だったから、とにかく行けども行けども川越に着かないんです。和光市で急行に乗り換えれば良かったのにね・・・。この時はまだ、埼京線は乗り入れていなかった筈なんですけど、同じ新木場からだと、有楽町線→東武東上線とりんかい線→埼京線とではどっちが早いんだろう?

 

【画像提供】

2枚ともい様

【参考文献・引用】

営団地下鉄車両写真集 (交通新聞社 刊)

鉄道ファン No.365 (交友社 刊)

ウィキペディア (営団地下鉄7000系電車)