こんにちは。
今日はED75機番シリーズの第94回 120号機です。一般型(101~160号機)の1両ですが、他機とは異なる特徴をいくつか持った機関車でした。
ED75 120[長] 1967年落成 →[青]1968~ →[長]1969~
約1年だけ青森所属の時期がありましたが、あとはずっと長町の所属です。
最初の撮影はこの1枚、まだ国鉄時代でした。
車扱の貨物列車を牽引してやって来ました。
1986/09 東北本線(以下同様) 久田野-白河 5192レ
国鉄民営化ではJR貨物へ継承、引き続き長町の所属です。
タキ1900を牽引して来ました。何かのんびりー の雰囲気です。
1991/12 久田野-白河 5180レ
この時は上り重連コンテナ貨物の先頭に立って驀進、西日に顔が輝きました。
120号機の特徴1つめ、上り方のボディー下部、KE77開放栓受けの撤去跡が無いんです。
101~160号機の上り方には全機撤去跡があると思っていましたが。今回Scanしていて気付きました。
まだ全機見直したわけでは無いですが...最初から開放栓無しで落成したのでしょうか?
1991/12 岩沼-槻木 3064レ
定期コンテナ貨物列車のスジでしたが、写真に写る範囲では完全にフレームライナーでした。コキフ50000の車掌室撤去車が見られますね。
120号機の特徴2、テールライトの形状が左右微妙に違います。左は内はめ式、右は外はめ式?に見えます。なんでまた??(1つ上の写真、上り方も同じようです。)
1991/12 白河-久田野 3085レ
ナナゴー重連の連結面を撮っていました。KE77開放栓受けが閉じられ、次位機に接続されている様子が分かります。
1992/03 金谷川-松川 3054レ
少し薄汚れた姿で国鉄時代のような車扱貨物を牽引、こういう姿が何か似合う気がします。
1993/10 豊原-白坂 5177レ
Sカーブに重連高速貨物の編成をのっけて撮影していました。この時は北海道のC62ニセコ号撮影後寝台特急北斗星に乗車、盛岡で下車してここへ撮影に行ったと思います。朝4時台の途中下車、、我ながら元気でした。
1995/10 好摩-岩手川口 3061レ
磐西の貨物列車も牽引しました。タキ1900 黒い住友セメント車と緑のCT(セメントターミナル)車が連なります。写真は磐西入線前、夜明け前の郡山での撮影です。
1998/10 郡山駅 5293レ
485系臨時特急はつかりへの乗車前、入って来た上り貨物が並ぶ瞬間を撮影していました。国鉄時代を彩った2形式と思います。120号機は2000年から[仙貨]所属になっています。
2001/08 盛岡駅 8031M/3092レ
初秋の白坂を行く赤い国鉄色ナナゴーの重連、144+120号機でした。
2001/09 白坂-豊原 3088レ
雪の中でも赤いナナゴーは映えました。重連次位機がちょっとでもアングルに入っていればなー。パンタグラフのカケラしか写りませんでした(笑)。
2002/02 小繋-奥中山 3094レ
木々が色づく中、たった1両のタンク車を連れてやって来ました。
120号機の特徴3、貨物会社所属機に殆ど貼られた貫通扉の”感電マーク”が終始ありませんでした。
2003/11 豊原-白坂 5175レ
EF65 1005が休む春の黒磯に到着した120号機、元気な姿はこれが最後の撮影になりました。
2004/04 黒磯駅 3052レ
120号機は翌2005年に廃車になっています。
廃車になってからも暫く留置されていたようです。2006年になって郡山へと廃回→解体されました。前2両が牽引機、後ろ2両が廃車になるナナゴー、最後尾が120号機でした。
寂しい光景でした。
2006/10 金谷川-松川 単5562レ
地味ながらいくつか特徴のあった120号機、最後まで国鉄色を貫き、貨物列車牽引に活躍した姿を撮影できた機関車でした。
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以上ED75 120 機番シリーズ第94回 最後までご覧いただきありがとうございました。