わさお、タレント犬と一線を画す行動指針「わさお三原則」 | 犬と楽器と鉄道模型

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Yahoo!ブログが閉鎖の為、移行してきました。
犬(秋田犬)と景色と鉄道模型だったのですが、景色は現在親の面倒を観ている為、出かけられないので、犬と楽器(エレクトーン)と鉄道模型+et ceteraに変更いたしました。宜しくお願いします。

先ずは下記のニュースをお読みください。
何時も書いている犬に関する記事がありましたので掲載しますね。
遅れ気味で遅くなっちゃいますが・・・
(何時消されるか解らないので、記事は下に貼っておきます)
 
ソースは、NEWS ポストセブン  2020年06月18日

https://news.yahoo.co.jp/articles/f8af5f97e837de70edc0af109999c16d6f613c79
わさお、タレント犬と一線を画す行動指針「わさお三原則」


わさおの隣にはいつも母さんがいた(共同通信社)

青森県の海沿いにある小さな町で、ひとりぼっちだった犬。
自分にちょっと似た、やさしい母さんと出会い、商店の看板犬になったことからその物語は始まった。
人気は全国区になり、住まいは“観光名所”になり、映画にも出演。
多くの著名人も会いに来た。
しかし、2017年に母さんがいなくなり、年下の“妻”も昨年空の旅に。
そして今年6月8日、人間で言うなら90才を過ぎたとき、わさおは眠るように大好きな家族のもとへと走っていった。

2007年、青森県西津軽郡鰺ケ沢町で焼きイカ店を営む故・菊谷節子さんに保護されたわさお。
長毛種の秋田犬で、ライオンのような見た目から菊谷さんは「レオ」と名付けた。
レオが「わさお」として“ブサかわいい”と全国に名が知られるきっかけになったのは翌年春だ。
旅行中にわさおを見かけた女子大生がブログに記事をアップ。
名前を知らず「わさお」としたが、菊谷さんがその名前を気に入って“改名”したのだという。
長年にわたってわさおをサポートしてきた「わさおプロジェクト」代表の工藤健さんが話す。

「私も初めはブログを見て会いに行ったんです。ブログを印刷して『こちらのワンちゃん、わさおと呼ばれて話題になってますよ』って。
母さん(菊谷さん)は『え、まさお?』って言ってましたね(笑い)。
『いい名前だ、いい名前だ』と言って、そのままわさおになったんです」

テレビや新聞、雑誌などで次々とその愛らしさが取り上げられ、国民的マスコット犬になったが、いわゆる“タレント犬”とは一線を画した。

「わさおも母さんもお金のために商品を宣伝したりするのはもう絶対に向いていないと思っているので、“わさお三原則”を行動指針にしてきました。
“お互い様の精神であると”“地域性社会性があること”、そして“わさおと母さんが無理をしないこと”です」(工藤さん)
“わさおらしく、母さんらしく”──。一貫したそのスタイルこそ、“わさおブーム”が一過性ではなく長く愛された最大の理由なのだろう。
わさおに会いに来た人は数え切れないが、わさおにとっては「母さん以外はみんな一緒」なのだとか。

「どんなに有名人であっても、とびきりのわさおファンであっても、わさおにとっては母さんかそうじゃないかです。
人間は母さんしかいないと思っていたかもしれない(笑い)。
母さんが亡くなってからはぼくと散歩にも行ってくれますが、おやつという見返りがないと全然ダメ。
50m置きくらいに振り返って“わかってるよな”という顔でこっちを見るんですよ」(工藤さん)

菊谷さんが亡くなった後、わさおの面倒を見ていた長男・忠光さん(56)もこう話す。
「そもそも敵同士ですから。病院で手当てするほど噛まれてね。
でも、母親が亡くなったときに枕元で“わさおを頼むな”と言われて。
“わかった、おれに任せろ。なーんも心配ない”って答えた。
わさおも警戒してたけど、わさおが好きそうなちくわをたくさん買ってきて散歩するときに1本ずつやったんだ。
そうするうちに仲よくなれた(笑い)」

わさおに変化が見られたのは昨年暮れのことだ。
だんだんと老化が進み、今年4月には立ち上がることができなくなってしまった。

毎朝、おやつとともに薬をのませていた工藤さんは、6月8日の夕方もいつも通りわさおのもとを訪れた。

「おじいちゃんが縁側で陽だまりの中で穏やかに眠りに落ちて『おじいちゃん』と呼ばれても返事をしなくなって…という“こんなふうにいけたらいいな”と思うシーンそのものでした。
18時前頃、『ワウ、ワウ』と文句を言うようにして、眠りに落ちて。また起きて『ワウ、ワウ』と。
それを何回か繰り返して、あぁまた寝たなぁと思ったら背中の波打ちが止まっていました。母さんから“最後まで面倒見なさい”と言われていましたが、まさに最期を看取れて、わさおをひとりぼっちで旅立たせるようなことにならなかった。
最後まですごいやつです、わさおは」(工藤さん)

わさおの物語は鮮やかなエンディングとともに幕を閉じた。
工藤さんは、わさおの不思議な魅力をこう語る。

「わさおはひとつの宇宙です。
どんな望遠鏡を使うか、どんな気持ちで見るかで宇宙が違って見えるように、わさおの魅力もいくつもの答えがあるんです。
大きな星空の下に立って、空を眺めたときの圧倒的な美しさに感動するような、わさおはそんな存在です」

住民票を特別に交付され、観光大使も務めたわさお。その隣にはいつも母さんがいた。

「母さんが亡くなって最初の頃は、よく姿を探していました。
散歩から帰ってきてまっすぐ小屋に入らずに、お店に寄っていつも母さんが座っていたところを確認して、それを何日も繰り返して“いないんだな”とわさおなりにわかったようです。
そのうえで“ここで母さんを待つ”と決めた。それがわさおの生きる活力だったんだと思います。そんな姿に我々は救われました」(工藤さん)

『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ)のロケでは、故・志村けんさんも訪れた。

「志村さんは愛犬のちびと一緒にロケに来てくれたんです。
志村さんはシャイな人だから、あんまりわさおにベタベタすることはなかったね。
でも心は通じ合っているというか、お互いにリスペクトし合っているなというそういう雰囲気でした」(忠光さん)

撮影/末並俊司

※女性セブン2020年7月2日号



わさお君と菊谷さん達とのエピソードですね。
ウチも天真が居るので他人事に思えなくて・・・ (ToT)