旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 「スカ色」の113系

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 今日の鉄道車両のほとんどは、ステンレスやアルミニウム合金を素材に多用するようになりました。これらの金属のメリットは、なんといっても錆に強く軽量であることです。軽量であるということは、電力消費量や燃料使用量に大きな影響を与えるので、こうしたコストを下げるのは経営の観点からは重要なことです。

 また、錆・・・腐食に強いというの重要でしょう。鉄道車両は基本的に雨ざらしになるので、車体や構体などが錆びればその分だけ補修をしなければなりません。ともすれば、腐食したところを切除し、溶接でつなぎ合わせる必要があるので、車体や構体の強度にも少なからぬ影響を及ぼします。もちろん、補修にかかるコストも無視できません。

 加えて、これらの金属粗大は塗装をしなくてもよいというメリットも存在します。旧来の普通鋼であれば、腐食を防止するために塗装を施す必要もあります。塗装工程は1両でほぼ一日以上はかかり、大量の塗料を使うので、コスト的にも無視できない物があります。

 このようにメリットが多いステンレスやアルミ合金を多く使うようになったのは1985年頃からで、それまでは知的剤債権の関係からごく一部の車両メーカーでしか製造ができず、製造コストの高さからも一部の私鉄でしか製造していませんでした。

 その普通鋼製が当たり前だった国鉄時代、近郊形電車と呼ばれた113系115系は、湘南色と呼ばれる濃緑色と黄かん色の二色塗りか、横須賀色とよばれた、青15号とクリーム色2号の二色ぬりでした。湘南色はほぼ全国の直流電化された幹線などで見ることができました。

 ところが、同じ近郊形電車に採用されていた横須賀色、別名スカ色はというと限定されていたような気がします。筆者が知っている限りでは、横須賀線とそれに直通する運用が多い総武本線外房線内房線、そして成田線だったと思われます。中央東線115系が運用されていましたが、全面の塗り分けが少し異なるくらいでやはり横須賀色でした。

 

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 この横須賀色に塗られた113系は、筆者が住んでいた場所が横須賀線に近かったので、音中見ることができましたし、また少し遠くへ出かけようとするなら、まず最初にこの電車に乗ることが多かったのです。

 11両+4両という普通列車としては異例の長編成を組んだ113系には、グリーン車2両も連結されていたので、まさに大都市の中距離電車そのものでした。

 ところで、この横須賀色はいわゆる新性能電車である113・115系に使われていましたが、理由は定かではありませんが地方ローカル線で最後の活躍をしていた旧性能電車にも多く使われていました。

 飯田線身延線がそれで、42系や52系などといった戦前形の旧性能電車は、横須賀色に塗られていました。そして、湘南色があってもよさそうですが、戦前形の旧性能電車派ではほとんど例がなさそうで、これに塗られていたのは飯田線などで運用されていた80系だけでした。 

 国鉄の末期に旧性能電車を淘汰するために115系の増備車が送り込まれたり119系が登場したりすると、横須賀色を身に纏った42系や52系といった電車たちは姿を消していきました。

 そして、横須賀色塗装の113系115系は既にお話しした線区でのみ残り、そのうち一部は地域カラーに塗り替えられてその姿を見ることができるのは、ごく限られた場所だけになっていきました。

 筆者も横須賀色の113系には乗る機会が多かったので、湘南色よりも横須賀色の方が好みでした。小学生の頃には横須賀線の1区間だけを乗るのも、ちょっとした旅行気分を味わえたものです。学校を卒業して貨物会社に入社し、関東勤務へ戻ると配属先の職場へは、実家からあるいは寮からは横須賀線に揺られて通勤をし、職を変えて大手電機メーカの関連会社で仕事をした頃もまた、この横須賀線にのって大船まで通いました。冬の寒い日に車内に入ると、暖房の効いた車内に入ってボックスシートのに腰を下ろし、窓のその暗い中に家々の明かりが過ぎ去っていくのを眺めながら、仕事の疲れからウトウトすることもしばしば。学生の頃とは一変してしまった横浜の中心街に聳え立つ超高層を眺めながら、家までは後もう少しと降り支度をしたものでした。あるいは、何の巡り合わせかその超高層ビルが仕事場に変わり、横浜からその時の彼女とともに、乗ったのもの横須賀色を身に纏った113系でした。

 それだけ思い出の多い横須賀色の電車も、E217系の登場によって千葉へと追われていくか、老朽化により廃車になっていきます。その房総の113系も生きながらえたのはそれから少しの間だけで、京浜東北線から押し出されてきた209系の改造車に追われるようにして廃車となり、オリジナルともいえる横須賀色の113系は姿を消してしまいました。中央東線115系も比較的後年まで残ったものの、こちらも211系に追われて姿を消していきました。

 横須賀線の後継となったE217系ステンレス車体なので、帯色に横須賀色を残していましたが、これも機器更新工事の施工によって従来の青色15号+クリーム色1号から、青色20号+クリーム色1号へと色調が変えられました。従来の帯色の方が横須賀色というにはぴったりだったのですが、更新後はどうも色調が明るくて横須賀線の伝統の重みが軽くなってしまった感じがしてなりませんでした。

 そのE217系も、そろそろ引退ではないかという話が現実味を帯び始めてきました。後継となる横須賀線向けのE235系が公試運転を実施したことは、記憶に新しいところでしょう。写真を拝見しても確かに横須賀色ですが、どこか言葉に言い表すことのできない「違和感」を覚えるのは筆者だけでしょうか。

 いずれにしても、伝統のカラーは世代が変わっても維持されようとしています。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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