■概要
筑後川昇開橋」とは、国鉄末期の1987年3月に廃止された国鉄佐賀線の鉄道橋。
1935(昭和10年)に開通した、全長507mの鉄橋です。
 
現在では国の重要文化財や、日本機械学会の機械遺産にも指定され、2011年からは遊歩道として活用されています。
 
この橋は、船の通過に合わせて(正確には列車の通過に合わせて)、橋の中央部が昇降するのですが、スゴイのは2020年の現在でもその機構が現役だということ。
 

 
それでは、行ってみましょう。
 
■アプローチ
筑後川昇開橋は、佐賀県佐賀市と福岡県大川市の境にあり、双方に駐車場がありますが、今回が佐賀県側にある「橋の駅 ドロンパ」にクルマを停めてみました。
 
ここは特産品の販売などを行っている道の駅のような施設で、駐車場も広々としており、筑後川昇開橋の目の前にあります。
 
 
早速、橋を渡ってみたいと思います。
橋のたもとには、ポイントの切替器や踏切などが設置されています。
 
 
こちらが橋の入口(=元線路上)です。
昇開橋が稼働する時刻(月曜や年末年始はお休み)が書かれています。
 
また門が付いていて、夜間は閉鎖されるとのこと。
3~12月は21時閉鎖、1~2月は17時閉鎖となります。
 
 
反対側を振り返ると線路が埋め込まれており、佐賀線が運行していた当時を想像することができます。
 
 
筑後川昇開橋の昇降部分は、川の中心ではなく、福岡県大川市側に寄りにあります。
 
■列車になった気分で渡橋
中央部の高さ30mにもなる可動桁の高さは圧巻です!
東洋一の規模で、さらに現存する可動橋としては最古のものだそう。
 
 
筑後若津」という表示がありますが、この橋を渡りきった福岡県大川市にあった駅の名前。
当時の運転士さんは、この標識を見て、駅が近いことを知ったのでしょう。
 
 
それにしても壮大な橋です。
廃線後に取り壊しになりそうなものですが、地元の反対運動があって残されたとのこと。
地域のシンボル的な存在なのかもしれませんね。
 
訪問した日は結構風が強く、踏ん張っていないと飛ばされそうな感じでした。
 
 
橋の中央の可動部(昇降部)にやってきました。
この部分が24mの昇降するのです!!

■橋が上がる!
冒頭、「正確には列車の通過に合わせて昇降する」とお伝えしましたが、
一般的には橋が下りているのが通常で、船が通過する際に橋が上がると考えますが、ここ筑後川は有明海が近く、海苔の養殖など漁船の往来が頻繁でに往来する場所で、佐賀線開通の条件として「列車が通るとき以外は、船の往来を優先する」ということになったとのこと。
 
そのため、通常時は橋が上がっており、列車が通る時だけ、橋が下ろされたのです。
 
 
入口には、橋が上がる時間が書いてありましたが、そろそろかなぁと待ち構えていたものの、5分を過ぎても上がる気配がありません。
※可動時間はこちらのHPにも記載があります。
 
可動部の反対側に係員の方のおり、「風が強いから、今日は上がらないのですか?」と尋ねたら、「今から上げるから、見ていて」とのこと。
 
コロナで観光客が少ないので、人が来た時に上げてくれるようにしたみたいです。
 
 
実際にこの近さで見ることができるとは思っていなかったので、いざ動くと感動します。
 
係の方が、重りのバランスが少し変えてあり、スムーズに昇降できるようになっていると詳しく説明してくださいましたが、文系の私はチンプンカンプン。
 
 
橋が上がると、筑後川が見えてきます。
 
 
今回は、見物客は私ひとりなので、上げ終わったら、すぐに下ろしてくれましたが、平常時は30分下ろしたら、30分上げていますので、可動部のどちら側で見物するかを良く考えておかないといけませんね。
 
列車運行当時には、この場所に国鉄の係員が常駐しており、橋の昇降を操っていたとのこと。その時の小屋は残っていませんが、この場所にあってということを教えてくれました。
 
 
■筑後若津駅
橋を渡り切った場所には、筑後若津(ちくごわかつ)駅跡地の碑があります。
この場所に、傍線ホームがあったとのことですが、面影すらありません。
 
 
駅跡地から、橋とは反対側を望みます。
先程の係員の方が付いてきて説明してくださいましたが、「線路はこの先築堤として、緩やかに右にカーブしていた」とのこと。
木が茂っている部分が元築堤があった場所なのかと想像してみました。
 
 
佐賀線が残っていたら、実際に列車に乗って、筑後川昇開橋を渡ってみたかったです。