781系 「ライラック」 、ブルートレイン 「富士」 に続く、 「55.10改正から40年」 シリーズの第三弾は、九州の鉄道ファンには懐かしい、特急 「おおよど」 を取り上げます。

 

こちらが 「おおよど」 です。博多-宮崎間を結んでいましたが、単純に宮崎までは行かせてくれません。

博多-宮崎間というと、同区間をエル特急 「にちりん」 が走っていますので、バッティングするのでは? お思いの方も少なくないのではないでしょうか。

そして背景に 「えっ!?」 と気付き、驚愕する方も多いかと思いますが、特急 「おおよど」 は鹿児島本線、肥薩線、吉都線、日豊本線を経由して宮崎まで結んでいました。ですから、 「にちりん」 とはバッティングはしないのです。

 

キハ82系は登場時から九州とは縁が深く、 「かもめ」 「みどり」 「なは」 「日向」 「まつかぜ」 といった列車にキハ82系が充てられて活躍していました。昭和43年10月の改正で博多-西鹿児島間を日豊本線経由で結ぶ特急 「にちりん」 が運転を開始しましたが、こちらもキハ82系が充当されまして、その前年に登場した 「有明」 と共通運用を組むことになります。なお、 「有明」 新設のためにキハ82は新製されず、向日町運転所 (大ムコ~現在のJR西日本吹田総合車両所京都支所) からの転属車で賄い、鹿児島運転所 (鹿カコ~現在のJR九州鹿児島車両センター) に配置されました。

 

電化の進展と共に、気動車特急は電車化されまして、 「有明」 はいち早く昭和45年までに583系によって全て電車化。そして関西からの 「みどり」 「なは」 も電車化されていきました。 「かもめ」 の場合は、長崎本線が比較的遅くまで非電化区間があったことから、50.3改正までキハ82を貫きました。

そんな中、日豊本線の幸崎-南宮崎間が昭和49年4月に電化が完成し、 「日向」 が電車化されました。行き場を失ったキハ82の一部を鹿児島に転属させ、 「にちりん」 と共通運用の下で新たに博多-宮崎間を肥薩線・吉都線経由で結ぶ特急を設定しました。それが 「おおよど」 になります。列車名の由来は、宮崎一の大河、大淀川に因んでいます。

毎度お馴染み、昭和54年12月現在の時刻表になります。

博多から宮崎まで6時間かかるのですが、遠回りかと言えばさにあらず、で、意外にも同じ博多-宮崎間でも 「おおよど」 の方が運転時間は短いのです。行く手を人吉-吉松間のループ線+スイッチバック、田野-青井岳間の山岳区間が阻んでいるにもかかわらず、大分や延岡を回る方が遠回りだとはちょっと驚きだったりします。

今も昔も矢岳越えは難所ではあり、かつては重装備のD51が重連もしくはプッシュプルで奮闘したことで有名な路線ですが、そこを特急列車が通るということで、沿線住民は喜んだのかと思いきや、同じ区間を急行 「えびの」 が走っておりまして (※) 、速度もそれほど遜色ないという意味合いからも、利用客は 「えびの」 を選択していたとか。

勿論、よほどの鉄道マニア、旅好きでなければ、 「おおよど」 の全区間を乗る人は殆ど皆無で、博多-熊本間、熊本-人吉間、人吉-都城間、都城-宮崎間といった具合に、区間乗車が殆どだと思います。

下りは後述するダイナミックな車窓を眺めることが出来ますが、上りは日がとっぷりと暮れてしまっていますので、車窓を眺めるのは殆ど不可能です。

 

当時の鹿児島運転所のキハ82系、運用としては鹿児島を出区して、西鹿児島を13時38分に発車する 「にちりん16号」 で博多まで行き (22時46分着) 、そのまま竹下気動車区 (門タケ~現在のJR九州博多運転区) に回送して一夜を明かします。電車なら南福岡電車区 (門ミフ~現在のJR九州南福岡車両区) に回送するんでしょうけど、燃料補給やら何やら、気動車ならではの整備をしなければなりませんので、竹下への回送であると思われます。

そして翌日、今度は博多発の下り 「おおよど」 で宮崎へ向かいますが (時刻は上記を参照のこと) 、ここで一夜は明かさず、2時間ちょっとの休憩で上り 「おおよど」 として博多に向かい、到着後再び竹下で夜明し、翌々日は博多を10時39分に発車する 「にちりん5号」 で西鹿児島に戻るというフローと思われます。鹿児島を出て戻るまで3日かかりますが、竹下で 「にちりん」 と 「おおよど」 が顔を合わせることになるのかな?

 

昭和54年9月、日豊本線南宮崎-鹿児島間の電化が完成して、日豊本線は全線で電化が完成しますが、 「にちりん」 の全列車電車化はその1年後の55.10改正で実施されることになりました。これによって、1往復だけ残っていたキハ82使用の 「にちりん」 は485系に置き換わり、その煽りを食う形で 「おおよど」 も廃止されてしまいました。36.10改正から連綿と残っていた九州内の気動車特急は辛うじて 「まつかぜ」 のみが残ることになりますが、九州内では門司-博多間だけですし、目立たない存在になってしまったのは否めません。そして昭和60年3月のダイヤ改正で博多 「まつかぜ」 は米子で運転系統の分割で来なくなり、米子-博多間は新たに 「いそかぜ」 として命脈は保たれることにはなるものの、使用車両はキハ181系に置き換わり、 “九州のキハ82系” としては60.3改正でその歴史にピリオドが打たれることになります。

 

私も一度だけ、肥薩線に乗ったことがありますが、当然、その時は 「おおよど」 は無く、当時、別府-人吉間を豊肥本線、鹿児島本線、肥薩線経由で結んでいた 「九州横断特急」 に乗って熊本から人吉まで行き、人吉-吉松間を 「いさぶろう」 、そして吉松-鹿児島中央間を 「はやとの風」 で繋ぎました。 「九州横断特急」 こそキハ185系でしたけど、 「いさぶろう」 や 「はやとの風」 はキハ40系を改造したもの。いわゆる 「日本三大車窓 (北海道の狩勝峠、長野の善光寺平、九州の矢岳-真幸間) 」 も曇り空であまり見えなかったし、人吉を過ぎていつ矢岳のループ線に入ったんだか判らなかったし、運転自体も各駅停車並みだし、これで特急料金別途徴収なんて・・・と、憤慨しっぱなしでした。

そういう意味では、キハ82系の 「おおよど」 の方が “特急らしかった” のかもしれませんね・・・。

 

※・・・急行 「えびの」 は、1往復だけ博多-宮崎間の運転で、残りの2往復は熊本発着です。

 

【画像提供】

い様

【参考文献・引用】

鉄道ファン No.368 (交友社 刊)

時刻表各号

日本鉄道旅行歴史地図帳 第9号 「大阪」 、第12号 「九州・沖縄」 (いずれも新潮社 刊)

ウィキペディア (博多運転区、日豊本線)