昨日の秋田、曇りで肌寒かったのですが、「キハ40」等を撮影に奥羽本線の八郎潟駅等へ行ってきました。

 

さて9月20日、「深戸橋梁」で撮影の後、次の目的地である「一ノ戸橋梁」へ向かいます。

行き方がよくわかりませんでしたが、前を走る車も「一ノ戸橋梁」を目指しているらしく後をついていくことができました。

ここは1973年に学校の図書館で見た関沢新一氏の冊子「汽車がゆく、だから僕も〜(1969年発行)」の中で初めて見て感動した場所、本当に一度来たかった所です。

(関沢新一氏は、蒸気機関車ブームのきっかけを作った一人で、美空ひばりの「柔」、都はるみの「涙の連絡船」等を作詞、映画「モスラ」等の脚本家、キネマ旬報の冊子「蒸気機関車」の初代編集長を務めた方です。1960年代から家族で全国を回って蒸気機関車を撮影、鉄道模型にも造詣が深かった方です。なお、この冊子の中で話しておられますが、「涙の連絡船」の歌詞に「今夜も汽笛が、汽笛が〜」とあるのは、これは蒸気機関車を思って書いたとのこと、大ヒットした曲です。)

 

山都→喜多方(一ノ戸橋梁)  12:54  

関沢新一氏が撮影された1960年代とほとんど変わらない風景、感動です。

 

 

ここから堂島へ行くことも考えてみたのですが、蔵の街で人気の「喜多方ラーメン」を食べることも今回の目的、上りの撮影は終了です。

 

本日もありがとうございました。

 

 

お身体、大切にしていってください。