(関東鉄道) 佐貫から 竜ヶ崎ゆき 往復乗車券 | 菅沼天虎の紙屑談義

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交通機関を利用する為の切符・・・一般の方々にとっては使い終わってしまえばタダの紙屑で、最後は係員に渡して終わりになるモノです。
そんな紙屑に夢中になってしまった大馬鹿モノの戯言にお付き合い下されば幸いです。

鹿島参宮鉄道から関東鉄道となった昭和47年8月に発行されました、「佐貫から 竜ヶ崎ゆき」の往復乗車券です。

 

 

JPR/てつどう青地紋券となります。

 

地紋は昨日のエントリでご紹介いたしました券と同じで、当初は昭和41年発行の券だと思っていたのですが、左側の復路片の日付が年号の1の位が「7」となっています。

 

記載された往復運賃は60円となっており、これは昭和42年10月17日~昭和45年6月24日までの運賃で、この券は昭和42年10月17日の運賃改訂後に調製された券と推察されますが、発行日の昭和47年8月の時点では往復運賃は80円に改訂されておりますので、運賃変更印の押印漏れと考えられます。

 

 

 

 

 

裏面です。

 

 

発行箇所には国鉄関東支社を表わすと思われる「◯4」の記号が記載されています。

 

券番は1644で、発行日は昭和42年10月17日の運賃改訂から4年10ヶ月程、この券には「2等」の表記がありますので2等級制時代の残券で、昭和44年5月10日のモノクラス化からも3年3ヶ月程が経過しておりますが、まだ旧運賃の「2等」表記券を払い切れなかったものと推察され、昭和42年10月17日の運賃改訂から起算して場合には1日に1枚売れるかどうかの枚数となりますが、実際には運賃改訂当初は旧々運賃券に運賃変更印を押印して発売した期間もあったと考えられますので、1日1枚以上は売れていたと思われますが、往復乗車券の発売需要は余り多くは無かったものと推察されます。

 

昭和47年当時の片道乗車券は、以前のエントリでご紹介いたしましたように、 運賃の数字が細身で、「J」の上部に横棒の無いPJR/てつどう地紋券であったのですが、この往復乗車券が発行された1ヶ月余り後の昭和47年10月7日には運賃改訂が実施されており、それまでに旧券を払い切って往復運賃が80円の券に切り替わっていれば、「J」の上部に横棒の無いPJR/てつどう地紋券になったものと思われますが、この地紋の往復乗車券は果たして登場していたのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

この往復乗車券の国鉄窓口発行を表わすと推察される「◯4」の記号について、少々考察してみました。

 

こちらは佐貫~竜ヶ崎の大人往復運賃が60円だった時代の片道乗車券です。

 

 

昭和43年4月1日の発行で国鉄窓口発行を表わす記号は「◯水」となっています。

 

 

以前のエントリでご紹介いたしました券の画像の再掲ですが、昭和42年10月17日の運賃改訂前の券では、いずれも国鉄窓口発行を表わす記号は「◯4」となっています。

 

 

 

今回ご紹介いたしました往復乗車券の国鉄窓口発行を表わす記号は「◯4」となっておりますので、昭和42年10月17日の運賃改訂後に調製された券は「◯4」の記号で調製され、程なくして「◯水」に変わったものと思われ、「佐貫↔竜ヶ崎」の30円の片道乗車券にも、国鉄窓口発行を表わす記号が「◯4」となっている券が運賃改訂初期には存在していたのかも知れません。