皆様こんばんは。 ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

以前2020年7月13日と8月23日の投稿で、Tomix製キロ26床下の実車との違いについて述べ、その中でキロ26の水タンクはキロ26 104からFRPタンクになっているという記述をしました。また但しキロ26の104番は後天的に改造されたのか水タンクが鋼製になっており、模型の加工を減らすには104を選定するとよい旨も記載しました。しかし、実車の色々な写真を見ているとこれは誤りではないかと思うようになりました。

 

まず、イラストで実車の1980年以降の姿を見てみます。

 

 

 

 

↑上から104~107の順です。後位側の水タンクに注目すると、104のみが鋼製です。104は三笠鉄道村に保存されましたので今でも確認することが出来ます。

 

以前の当ブログ投稿では、この104の水タンクは当初他と同じくFRP製で、後の改造で鋼製タンクと交換された珍しい例ではないかと記述しました。また私のホームページ内のキハ58系「新製時の形態変化一覧表(キロ車)」内でも、キロ26 104から水タンクはFRPタンクとしていました。しかし、2018年に刊行された鉄道ピクトリアル別冊の「急行型気動車」という本には、このキロ26 104の冷房準備車時代の写真が載っており、これを見ると1966年の時点で鋼製タンクになっています。ということは、104の水タンクは新製時から鋼製タンクであったのではないでしょうか?

 

更に、古い文献を探してみることにしましたが、1972年発行の誠文堂新光社「国鉄気動車ガイドブック」に載っているキロ26 105も鋼製タンクで、キハ27 122も鋼製タンクです。

 

つまり元々私の認識は「キロ26 104~、キハ27 108~ すなわち10次車から水タンクがFRP製となっている」でしたが、少なくとも12次車までは鋼製タンクであったように思われます。

 

私がなぜこのような認識間違いをしたのかというと、この点に関する資料の記述にばらつきがあったからです。

 

1990年代よりキハ58系形態の研究をしていた私は、当初1987年4月号の鉄道ピクトリアル誌「キハ58系気動車」をバイブルにしていました。その後キハ58系の特集は同誌の2000年6月号、そして2018年3月号別冊でなされています。その中で設計変更の記述が一番深い1987年4月号を主に利用していました。そしてキロ26・キハ27に関わりそうな記述は…

 

1987年4月号では

 

昭和39年度第3次債務以降(私の分類で10次車 キロ26 104、キハ27 108以降)から、

・キロ26への冷房準備工事(屋根高さを60㎜低くする、4DQ-11P取り付けスペースを確保する)

・キロ26の箱型通風器を廃し、側面に強制換気吸気口を設ける。しかし蛍光灯用の豆通風器はキロ28と異なり設けない

・キロ26のデッキ客室側の仕切り扉を、外妻へ移設

・キロ26・キハ27の水タンクを軽合金製からFRP製へ変更

・キロ26・キハ27の機関予熱器をWH101Aから容量アップしたWH300へ変更

 

と記載があります。この資料の記載を基に分類表を作成し、それをベースに各車の研究を行っていました。

 

では、2000年6月号はどうでしょうか。

 

昭和39年度第3次債務の欄では特にキロ26・キハ27の設計変更に関する記述がありません。

昭和40年度第1次民有の欄では、キロ26への冷房準備工事(屋根上通風器の廃止、側面への強制換気吸気口設置、デッキ仕切り戸の外妻への移設、ただし屋根上の蛍光灯用豆通風器は取り付けない)の記述があります。

昭和40年度第1次債務の欄では、キロ(26・28の記載なし)の水タンクがFRP製になることと機関予熱器が大型のWH300になった記述があります。キハ27に付いては述べられていません。

 

しかし実際は昭和39年度3次債務のキロ26 104で明らかに冷房準備工事が施工されています。よってこの記載には誤りがあるのではないかと思います。

 

そして2018年3月号別冊では…

 

昭和39年度第3次債務の欄ではキロ26への冷房準備工事(屋根上通風器の廃止、側面への強制換気吸気口設置、デッキ仕切り戸の外妻への移設、ただし屋根上の蛍光灯用豆通風器は取り付けない)の記述があります。

昭和40年度第1次民有の欄では、特にキロ26・キハ27の設計変更に関する記述がありません。

昭和40年度第1次債務の欄では、キロ26・28の水タンクがFRP製になることと機関予熱器が大型のWH300になった記述があります。キハ27については述べられていません。

 

となっています。恐らく各誌に誤りがあると思われ、まず、

 

1987年4月号では

 

昭和39年度第3次債務以降から、キロ26・キハ27の水タンクを軽合金製からFRP製へ変更とありますが、実際はこの予算区分からではなく早くとも昭和41年度第1次債務から。

 

2000年6月号では

 

昭和40年度第1次民有から、キロ26への冷房準備工事(屋根上通風器の廃止、側面への強制換気吸気口設置、デッキ仕切り戸の外妻への移設、ただし屋根上の蛍光灯用豆通風器は取り付けない)の記述がありますが、これは昭和39年度第3次債務の間違いだと思います。

昭和40年度第1次債務の欄では、キロ(26・28の記載なし)の水タンクがFRP製になることと機関予熱器が大型のWH300になった記述がありますが、昭和40年度第1次民有のキロ26 105は新製時は鋼製タンクです。また機関予熱器は昭和39年度第3次債務のキハ27 108~、キロ26 104から新型のWH300になっていますのでこれも間違いだと思います。

 

そして2018年3月号別冊では…

 

昭和40年度第1次債務の欄では、キロ26・28の水タンクがFRP製になることと機関予熱器が大型のWH300になった記述があります。しかしキロ28はキハ28と同じタイミングで昭和40年度第2次債務より機関予熱器がWH250に変更され、モデルチェンジ車から水タンクがFRP製に変更された記述があります。よって記載内容に矛盾があります。

 

しかしながら、各製造予算毎の車両の新製時の写真などは残っていません。機関予熱器は恐らく昭和39年度第3次債務から新型のWH300に変更となり(1987年4月号が正)、水タンクは昭和41年度第1次債務(14次車)からFRP製になったものと推測します。FRPタンクに関しては、昭和41年度第1次債務から北海道用に対し凍結対策が強化されておりこれに関する変更であると思われます。

 

実車が既にほぼ消滅しているキハ58系、その製造時の形態変化を追うのは今となっては容易ではありません。設計変更に伴う仕様変更が以前の車にも適用されたり、更に別の改造がなされたりして、1980年以降の姿が製造時の変化を表しているわけではありません。そこがキハ58系形態分類を行う際の大きなネックになります。しかも様々な変更・改造がなされてもそれが全車に及ばず、改造車と未改造車が混在したままでした。

 

上で示したキロ26設計変更についてもあくまで推測です。調べた写真などから概ね間違っていないとは思いますが、100%である確証もありません。しかもこれは製造時の話であり、1980年代には上のイラストのような形状になっていました。

 

結局キハ58系を模型化し精密化を求める場合、その時代設定をいつにするかによって、同じ車両でも別の形態になってしまったりします。まぁ難しい事は考えずにもっと気楽に車両を走らせて楽しみましょう!!

 

 

それでは皆さま次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にも各車の解説がありますのでご覧になってください。