4両が15編成、合計で60両が製造された小田急5000形は、1978年から6両固定編成の増備に移行します。
6両の5000形は、新たに設計認可を受けていることや、側窓が下降式の一枚窓となっている等の違いがあることから、5200形と呼ばれることも多い車両です。
形式称号としては、デハ5000とクハ5050となっているため、5200形という呼び方はあくまでも便宜上そのように呼んでいるということでしょう。

5000形が6両で増備された背景には、1977年から開始された急行の10両運転が関係しています。
当時は4両に対して6両が不足しており、より多くの10両を組むために6両の5000形が製造されることになったのです。

まずは、1次車として5251Fが1978年1月に竣功しますが、同時に2次車として5252Fと5253Fも1月に竣功しています。
このような経緯があったため、1次車と2次車には差異がありません。
これらの3編成は、側面の表示装置が種別のみのタイプとなっており、小田急では最後の採用となりました。

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1978年12月には、3次車として2編成が増備されます。
3次車では側面の表示装置が種別と行先を表示するタイプに変更され、以降の小田急の標準となりました。

外見的にはそれまでと大きな違いがない3次車ですが、同一編成内で違う製造メーカーが混在しているという特徴があり、基本は5254Fが東急車輛製造、5255Fが日本車輌製造となっていますが、デハ5204、デハ5304、デハ5205、デハ5305の4両だけは川崎重工業で、4両ずつを各製造メーカーで分担しています。

1979年には4次車として3編成が登場し、5258Fまでの8編成が出揃いました。
ここまでの編成には、外見上で極端な差異はなく、比較的統一感のある編成が揃っています。

次回は5次車の登場から書いていきたいと思います。