皆様こんにちは。 ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

今日は久しぶりに出てきた、1997年キハ58系撮り潰しの際の切符を見てみたいと思います。

 

1997年の夏休みは居地の北海道からは新日本海フェリーで新潟へ向かい、新潟を拠点に撮影をしていました。

 

早朝に新潟へ到着後は早速列車の切符を購入していました。新潟駅は快速「ムーンライトえちご」の停車駅で、宿無し撮影をするにはもってこいでした。そして新潟を拠点に新潟近郊のみならず、会津若松や長野地域でも駅での張り込みが出来ました。

 

そして新潟駅到着直後に購入した切符が…

 

1枚目

↑私:「えー今日の新宿発新潟行きのムーンライトえちごの指定席をください」@新潟駅

駅員氏:「えっ? 新宿発ですか?? 新潟の間違いでは??」

私:「いえ、間違いではありません。 今日の新宿発です」

駅員氏:「は、はぁ… 分かりました」

 

2枚目

↑私:「えー2枚目の切符は明日28日の同じく新宿発新潟駅のムーンライトえちごの指定席です」

駅員氏:「ええっ、明日の新宿発ですか??」

私:「はい、それでお願いします」

 

3枚目

↑私:「えー3枚目は明後日29日の同じく新宿発新潟駅のムーンライトえちごの指定席です」

駅員氏:「はぁ、明後日の新宿発ですね。禁煙席は満席ですので喫煙席のみですが…」(喫煙席というのも懐かしい)

私:「仕方ありません、それで結構です」

 

↑私:「えー4枚目は30日の…」

駅員氏:「あぁ、同じく新宿発のムーンライトえちごですね」

私:「いえ、30日は新潟発でお願いします」

駅員氏:「ええっ、30日は新潟発ですか!? はぁ」

 

切符売り場まで同行してくれた友人は隣で爆笑していました。 「何なんだこいつは!?」 と。

 

当時の時刻表が無くイマイチ記憶が曖昧ですが、

 

1日目:新潟→会津若松:会津若松駅でキハ58系の撮り潰し →郡山→黒磯→大宮→ムーンライトえちご乗車

2日目:ムーンライトえちご新潟着:新潟駅でキハ58系の撮り潰し →会津若松→郡山→黒磯→大宮→ムーンライトえちご乗車

3日目:ムーンライトえちご新潟着→会津若松:会津若松駅でキハ58系の撮り潰し →只見→小出→高崎→ムーンライトえちご乗車

4日目:ムーンライトえちご長岡で乗り捨て→十日町→長野:長野駅でキハ58系の撮り潰し →直江津→長岡→ムーンライトえちご乗車

5日目:ムーンライトえちご赤羽で乗り捨て→東京→東海道本線で名古屋→多気:多気駅でキハ58系の撮り潰し→名古屋(愛知県内の実家へ帰省)

 

という流れだったと。指定席券は全区間分の新宿~新潟で購入していますが、結構途中乗車や途中下車が多いです。

 

主に会津若松・新津・長野のキハ58系撮り潰しでした。

 

↑新潟駅のキハ58 1012 キハ48と組んで米坂線運用です。所定はキハ58+キハ28ですがキハ58+キハ48になっており、冷房が使えません。ヒサンです。

 

↑会津若松駅です。キハ28 2168、2507に出会っています。磐越西線には形式を指定しない3連の運用があり、キハ40系が入るかキハ58系が入るかは運でした。

 

↑会津若松では只見線のキハ58系も撮っています。キハ58 583です。

 

↑長野方面にも出向いています。飯山線のキハ58系です。キハ58 403+キハ28 2382です。

 

↑新潟を拠点とする撮影が終了後はムーンライトえちごで首都圏へ戻り、そのまま東海道本線で実家近くの名古屋へ向かいます。当時ムーンライトえちご乗り継ぎで最も西まで行ける乗り継ぎ列車は青春18きっぷ利用者で大混雑していましたので、わざとそれを避けて1本あとくらいの列車で下りました。疲れていたらそのまま帰ろうと思っていましたが、まだパワーがあったので多気まで足を延ばしキハ58達を見てから帰ったものです。JR東日本では塗装変更車&機関換装車しかいませんでしたので、JR東海の急行色&原形エンジンは癒されたものでした。

 

1997年当時の「ムーンライトえちご」は165系電車でした。窓がユニットサッシなので特に上越国境のトンネルではとてもやかましく寝れませんでしたが、シートはグリーン車用のものに交換されていたので座り心地は後の485系よりはよかったと思います。

 

今ではキハ58系も居ませんし、ムーンライトえちごもありません。ついこの前の出来事だと思っていましたが遠い過去の思い出になってしまいました。