その9(№5276.)から続く

 

今回は中京圏の拠点、中部国際空港を取り上げます。

中部国際空港は、旧名古屋空港(現名古屋飛行場)の代替空港として計画されました。旧名古屋空港は、昭和60(1985)年の段階で、需要の増大から21世紀初頭にはパンクすることが予想されていましたが、市街地にあることから空港設備の拡張が難しく、また騒音問題から運用時間の制限もありました。そのような立地上の要因から、他の空港のような拡張による発着枠の拡大という方針を取ることができなかったためです。

代替空港は、国際的な拠点空港として「24時間運用が可能であること」という要請を満たし、かつ騒音問題を解決すべく、海上空港として計画されました。具体的には、愛知県常滑市沖の伊勢湾の一部を埋め立てて人工島をつくり、そこに空港設備を作るというもので、計画は昭和の末期から動き始めています。場所が決定したのは、平成元(1989)年のこと。その後運営会社が設立され、平成12(2000)年8月19日に着工、その5年後の平成17(2005)年2月17日に開港しています。

愛称の「セントレア(Centrair)」ですが、これは英語で「中部地方」を意味する「Central」と空港の「Airport」を組み合わせた造語。「セントレア」は空港島内の住所表記などにも使われていますが、一時期空港お膝元の常滑市が「セントレア市」と改名するという話まで飛び出したのは、御愛嬌というべきか。

 

そしてその「中部国際空港」は、鉄道によるアクセスも考えられましたが、実際にそれを担ったのは名鉄でした。

空港の鉄道アクセスについて、実はJR東海でも計画がありました。具体的には、武豊線を乙川まで複線化・電化した上、同駅から新線を分岐させて知多半島を横断させ、現在の空港島に至るルート。しかしこのルートは、新線として建設すべき区間が約11kmと長く、その上に当時の武豊線は非電化(電化されたのは中部国際空港の開港から10年後の平成27(2015)年のこと)で最高速度も低かったため、設備投資額総額で約3500億円が見込まれ、高額すぎて回収の見込みも採算性も薄いとして、JRによる新線の計画は断念されました。

その他、現在のあおなみ線のルートを活用する計画もありましたが、こちらは海底トンネル又は海上橋の建設が技術的に難しく費用もかかるということで、早々に断念されています。

他方、名鉄の計画は、当時常滑が終点となっていた名鉄常滑線を延伸して空港島につなぐもので、これなら新線として建設する区間も短く済み設備投資額も抑えられるとして、名鉄は新線の建設に着手しています。これが現在の名鉄空港線で、途中駅として「りんくう常滑」があります。なお、名鉄空港線は常滑線の延伸の形をとってはいますが、旅客案内はともかく路線名称は厳然と分けられており、運賃区分は「B」(基本賃率の1.15倍。名鉄は路線ごとに運賃区分が異なる)と常滑線と同じでありながら、加算運賃が設定されているところが異なります。

名鉄が建設した新線は、空港開業の前年の平成16(2004)年10月16日に開業します。このあたりは関空と同じ流れですが、関空と異なるのは、開業時点でのお客を空港関係者に限定したこと。そのため、常滑-中部国際空港間は団体臨時列車の扱いとされた上、同区間のみの折り返し運転とされ、りんくう常滑駅は通過とされました。

一般客も利用できるようになった、正真正銘の開業は、空港開業直前の平成17(2005)年1月29日のこと。このとき、りんくう常滑駅も営業を開始しています。

本格開業に伴い、空港連絡の「快速特急」(後に『ミュースカイ』に変更)と一般車・特別車(指定席車)併結の特急、それと一般列車が走り始めました。快速特急は専用車両2000系が使用され、名鉄名古屋-中部国際空港を最速28分で結んでいます。同系は空港アクセス特急専用車両としての性格を明確にするためか、名鉄の多くの車両が赤(スカーレット)を車体色に採用しているのに対し、ベースの白に白鮮やかな青を採用、同社の他の車両と一線を画するデザインとなっています。これは、中部国際空港が伊勢湾上の海上空港であることから、海と空の色=青ということで、透明感をイメージしたものとされています。

そして2000系は、名古屋市内-中部国際空港30分以下を実現すべく、空気ばねによる車体傾斜制御装置を採用しています(大手私鉄での採用例は小田急VSEに次いで2例目)。これにより、常滑線内のカーブでもスピードを落とさず通過することが可能になり、所要時間短縮に寄与しています。勿論、2000系の運転に伴い、常滑線内でも路盤・線形の改良が行われたことは言うまでもありません。

 

「快速特急」以外の一般車・特別車併結の特急に運用される車両としては、2200系が用意されました。これは特別車2両と一般車4両で6連を構成するもので、特別車は2000系と外観がよく似ています。ただしカラーリングは2000系とは異なり、白地にスカーレットの帯を巻くもので、名鉄の他の車両、特に1000系などの特急車との関連性を考慮したものになっています。2200系は一般車・特別車全てが完全新造車ですが、2200系のほか、全車特別車編成として登場した1600系3連のうち2両を再利用、それに一般車を4両つないだ1700系もお目見えしています。

実は1600系は「悲運の車両」。もともと同系は、7000系列の陳腐化のためそれらの置き換えとして、全車特別車の3連で平成11(1999)年に登場した車両ですが、この車両は中部国際空港開業をにらみ、車体傾斜装置の採用を目論んでいました。もっとも、実際に搭載されたのは1601以下の編成のみで、それも試験のみで終了しており、同系に車体傾斜装置が搭載されることはありませんでした。

そればかりか、同系の編成がMT比率を極端に減らしたため(1M2T)、1両しかないM車に空転が多発したこと、当初は一般車を併結した空港連絡急行として運用される計画だったものが、その後の計画変更により「特別車連結は特急以上」となったことから、一般車の併結の計画が放棄されたこと、そして平成20(2008)年、ミュースカイ以外の特急列車から全車特別車の列車をなくすという方針が立てられたこと、以上の理由から、同年よりMc車とT車のみを残し、新造した一般車と6連を組ませる編成変更を行い、系列名も「1700系」と変更しています。このとき余剰となったTc車は一部の機器を流用した上で廃車。Tc車は僅か9年の命となってしまいました。

その後も現在まで、1700系は他の特急編成に伍して活躍を続けていますが、昨年から元1600系の特別車の置き換えが始まり、順次編成から抜かれて廃車されています。もし今年全廃になれば、1600系は20年ちょっとの生涯ということになりますが、これを悲運、薄幸と呼ばずして何と呼ぼうかとしか思えません。

また前後しますが、空港線開業当時、7000系列「パノラマカー」は、数を減らしたとはいえまだ残っていました。しかし、同系列の中でも、低床構造の7500系が空港線に入線できず、これが同系の運用上の桎梏になってしまいました。入線不可の理由は、空港線各駅のホームの高さ。空港線の各駅は、開業当初からホーム高さが1070mmでした。当時の名鉄では、バリアフリー対応のためホーム高さを1070mmにかさ上げする工事を進めていましたが、7500系の床面高さは、それより低い990mmで、ホームよりも低くなって乗降に危険が伴うとされ、空港線への入線が不可とされました。このためか、7500系は空港線開業の年に退役し、7000系列自体も急速に勢力を縮小していきます。

 

このような次第で、中部国際空港の鉄道によるアクセスは、名鉄が一手に引き受けていますが、この状況はしばらく変わらないものと思われます。

 

次回は、「関西三空港」の殿(しんがり)として、神戸空港を取り上げます。日本の空港で初めて、新交通システムが空港アクセスを担うことになった空港でもあります。

 

その11(№5294.)に続く