9月21日 (月曜日) 曇り

 

休日だというのに、仕事に行く時と同じ、朝4時半に起床して東京駅へ。久々に東京駅に来る夜行高速路線バスをウォッチングしに行きました。しかし、バスのコーナーでもお伝えしたように、新コロの影響で減便しているせいか、特に西日本方面から来る便は私のいた時間帯は殆ど来ませんでした。まぁ、目的は果たせたので、8時に切り上げて帰宅しましたが、その一方で首都高速道路の電光掲示板には 「代々木-八王子 断続渋滞40km 120分以上」 という表示が。代々木から八王子までは概ね小一時間で行けるのに、2時間以上を要するなんて・・・。

 

ところで、昨日の朝日新聞の1面、ちょっと気になる記事が目に飛び込みました。

によると、2014年度からの5年間で全国の公立動物園から他の動物園に搬出されたライオンが14頭いたらしく、そのうち11頭は無償だったとか。金銭が発生する場合もあり、1頭10万円前後で引き取られるケースもあったようです。巷では20万~40万する猫がいて、 「百獣の王」も低く見られたなって。

 

でも、私が注目したのはそこではありません。

飼いきれなくなって受け入れ先を募る動物がいるそうです。それを 「余剰動物」 と呼んでいるそうですが、生まれたての赤ちゃん動物は来場者から 「うぁっ! 可愛いっ!」 と持て囃されるものの、成長すると見向きもされなくなり、気がついたら 「余剰動物」 になっているという現実。さすがに今の時代は前述のように他の動物園に引き取り手を求めるか、種類にもよりますがペットショップに売られるかという選択肢に委ねるわけですけど、どっちにしても、 「飼えなくなって去就に困る」 というのは人間の勝手な解釈としか言い様がないわけであります。これ、人間に置き換えたら? 生まれたては 「可愛い」 とあやすけど、成長すると育てきれなくなって、どこかへ転売する・・ということと同じ。人間は独立する意思というか、本能があるので、ある程度成長すればその流れに沿いますけど、どっちにしたって、生き物を生き物と思っていないんじゃないかって。

 

ライオンの場合、繁殖が容易で、野生も動物園で飼われているものも一度に3頭前後、子供を産むそうです。

でも成長すると近親交配 (人間で言えば近親相姦のようなもの) や親と子の争いというリスクもあって、群れで飼育するには街の動物園レベルのスペースでは飼いきれないのが動物園側の主張。でも、動物園側とてその習性は解っている筈なのに、何故、飼いきれなくなるほど産ませる? それで余ったらポイッ! じゃあ、やっぱり 「人間のエゴ」 と言わざるを得ないような気がするんですけどね。もっと辛辣に言ってしまえば、戦争中の実話をもとにした 「かわいそうなぞう」 と同じ扱いを今の人間もしているんですよ。

 

ライオンや象に限らず、今の人間社会は 「ペットと共に」 というのが定番になっています。勿論、全部が全部、そういうぞんざいな扱いをしているのではなくて、天寿を全うするまで 「家族の一員」 として扱うのが殆どだと思います。でもね・・・なんですよ。

飼っているペットに対して、人間と同じような生活をさせるのではなくて、飼っている動物が 「その動物らしく」 生きるかが問題なのです。犬なら犬らしく、猫なら猫らしく・・です。どうやったって、犬や猫は人間にはなれないんだから。

 

この新聞記事を読んでいたら、如何に人間が動物飼育に対して責任感を持っていないかが解ったような気がします。

先程も申したように、 「全部が全部」 じゃないですからね。