皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

今日は気分的に模型はお休みで色々調べ物をしていました。

 

以前1978年の時刻表より「長時間走るキハ58系急行列車」を探しましたが、今度は「50-3改正」前ではどうだろう?と思い、1974年4月の時刻表を見ることにしました。前回1978年で調べた際はある程度長時間であろう列車を予測しておいて、それのみを調べましたが、今回は時刻表の前から1つずつ全て調べてみようと思いました。

 

そしてまず最初の東海道本線を見始めた時にいきなり気になる列車が目に入りました。臨時列車ですが、

 

8401D 急行「比叡51号」

 

あれ、8401D??

 

急行「比叡」って、名古屋~大阪を結ぶ153系を使用する名門急行ですよね。臨時とは言え何で「D」なんですか? 「D」ってことはキハ58系ですよね。キハ58系を使用する急行「比叡」って全くイメージが湧きません。

 

 

 

この列車が気動車であるまず第一の理由は、順番が逆になってしまいましたがこれの更に前のページにあります。

 

↑名古屋から米原まで、定期急行の「大社」に併結しているようです。しかし、このダイヤを見る限り名古屋~米原間の列車密度が高いわけでも無さそうですし、別に電車で単独運転すれば良いのではないでしょうか?

 

大阪着は12時1分のようです。ではこれの折り返し列車はどうなのでしょうか? やはり急行「大社」に併結なのでしょうか?

 

↑しかし、上りの「大社」には臨時急行「比叡」が併結となるような記載はありません。先ほどの大阪行きの急行「比叡51号」の車両はどこへ行ってしまうのでしょうか? 先ほどの急行「比叡51号」の注釈を見ると「3月23日から6月29日の土曜と5月2日に運転」とあり、比較的運転頻度が高いです。よって、これと同じ日付で運転される他の臨時列車を洗い出せば分かるような気がしますが…。

 

まずこの東海道本線上り、大阪発12時以降を見てみると…

↑いました!! 運転日からしてもこの急行「たかやま51号」のようです。この列車、この写真では見えませんが「下呂」行きです。昼に大阪を出て夕方に下呂に着くという、完全に温泉旅行列車ですね。高山・飛騨古川へ行きたい人は定期の急行「たかやま」に乗ればよいのでしょう。そして目的地が下呂で、定期の急行「たかやま」では下呂に早く着き過ぎるという需要のためにある列車のようです。

 

高山本線の頁を見てみると、

↑下呂止まりの優等列車というのも珍しい気がします。下呂以遠に行きたい人は特急「ひだ」に乗れば行けるようです。

 

ではこの「下呂」に到着した編成はどうなるのでしょう? 高山本線の上りを見てみますと、

↑下呂を16時以降に始発とする列車は無いようです。この臨時列車、恐らく「美濃太田区」の担当でしょうから、下呂から美濃太田までは回送であったのだと思います。約1時間強ですし。それか、時間的には赤線を付した普通列車に下呂~美濃太田間で併結して回送したかもしれません。ちょうど下呂と美濃太田で5分以上止まっていますし。

 

というわけで、今回はキハ58系急行「比叡」の話題でした。臨時とは言え、「比叡」がキハ58系で運行されていたというのは驚きです。東海道本線を爆走する急行「たかやま」は1999年まで走っていましたので、この名阪間の気動車急行は意外とアリなのかもしれませんね。

 

ちなみにこの急行「たかやま51号」、大阪を12時50分に発車し岐阜には15時10分に到着、所要時間は2時間20分です。晩年の急行「たかやま」は、8時2分に大阪を出て、岐阜には10時14分に到着し、所要時間は2時間12分です。なおこの1974年の定期急行「たかやま」は大阪発8時ちょうど、岐阜着は10時26分です。晩年の方が速かったのですね。

 

キハ58系は日本全国実に広い範囲で急行運用に使用され、晩年格下げされて定期普通列車で活躍したエリアも含めると、実に日本全国で使用されたのではと思います。キハ58系が定期運用で入線しなかった路線は、恐らく国鉄全線の数パーセントくらいしか無いと思います。それゆえ国鉄末期の鉄道趣味的には殆ど「空気」のような存在(どこにでもいてありふれていて、ありがたみの無い車両)という位置づけとなっており、花のブルートレイン、人気の特急電車・気動車、バリエーション豊かで人気の国電、廃線が進み注目されていた地方のローカル線(キハ20系やキハ40系など)、姿を消しつつあり追いかける方が多かった客車列車、こういった趣味分野から漏れ全く注目されない車両でした。そして2000年頃から俄然注目を浴びますが既に在籍車は全数の1~2割程度になっており大半は姿を消しており、2000年以降は各社で比較的あっさりと淘汰された印象があります。それでも1961年の製造開始から2000年の時点で39年、国鉄車両の減価償却期間が13年、国鉄時代の10系客車以降の近代化車両は概ね3全検の24年で廃車というスパンが標準であることを考えると、非常に長寿なグループであったと思います。廃車体同然ながら今でも車籍が残っている盛岡のキハ58 75も1961年製造ですので、既に車齢59年という恐ろしいことになっています。

 

話がそれましたが、キハ58系急行は面白い区間、経路で運転されているものも多く、「こんな列車絶対乗り通す人いないでしょ!」というものもたくさんあります。いずれそういった急行列車もご紹介してゆきたいと思います。

 

それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

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にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。