人吉鉄映会です。
令和2年熊本水害から2か月を経過しました。街中は片付けも進んだものの、市街地としてはまだ機能していない状況です。
そんな中、人吉球磨の鉄道復旧としては、くま川鉄道が国の支援を受けて復旧を目指すという方針がなされたものの、肥薩線は今後の治水対策を見極めてからということになっています。熊本県の樺島知事は川辺川ダム建設も選択肢に入れた治水対策を今年中の示すという報道がありました。肥薩線は復旧ということになっても、ほぼ新規で作るのと同等の工事が必要で復旧費用も3桁億円かかる見積もりも出ていました。ますます復旧のハードルが上がる一方で、心配しかありません。
いずれにせよ、まだ鉄道は水害被害の状況から全く手が付けられていない状況です。
今回はくま川鉄道の人吉温泉駅から3番目の駅「川村駅」の惨状を見て頂きます。
豪雨の傷跡が痛々しい川村駅
川村駅は1953年に誕生した無人駅です。下り1つ手前の駅、相良藩願成寺駅が県立人吉高校、下り次の駅、肥後西村駅が球磨中央高校(旧球磨商業高校)の最寄り駅になり丁度挟まれた格好になります。
無人駅とはいえ、ここには名誉駅長 下田幸さんを始めとした「べっぴん隊」が田園シンフォニーのお客さんをおもてなししておられ、このブログをご覧の方でも乗られて実際に癒された方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「べっぴん隊」による お・も・て・な・し 2017年4月
地元の鉄道をもりあげようとされるお気持ちが嬉しいですね。
ちなみに「川村」という名は旧地名で、昭和31年の合併後は消滅しています。川辺川のそばの村ということにちなんで名付けられた地名は駅名には残されました。(現在の地名は球磨郡相良村大字柳瀬)
川村駅は昭和40年・46年の水害でも浸水被害にあいましたが、今回はそれに比べられないほどの甚大な被害になりました。
川村駅の被害状況です。
下り(球磨川第四橋梁・肥後西村)方向
意外なことに線路は流されていませんでした。しかし土砂が覆いつくして雑草が茂まくってます。
ホームの被害は甚大でした。
駅舎(待合所)が原形をを留めていたのは奇跡かもしれません。駅舎の右端に貼られた有形文化財の認定証まで残こっていました。
この先(湯前方面)に向うと、球磨川球磨第四橋梁があります。ここの被害も目の当たりにしてきましたので次回報告します。
川村を出ると右方向に曲がり球磨川第四橋梁に向かいます。この先の惨状は次回で
今回もご覧いただきありがとうございました。
令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。
また復旧支援をされていらっしゃるボランティアの方に、心から感謝申し上げます。
コロナに配慮しながら復旧頑張っていきましょう。
頑張ろう!人吉・球磨・芦北・八代 甦れ!!肥薩線・くま川鉄道