kounainofumikiri0917様からコメントを頂きました。
大学時代、甲府に住んでいたこともあり山梨交通のバスによく乗っていました。塩山営業所エリアのバスもかなり廃止になってしまいました。
(中略)
貢川(営)~甲府駅~一宮神社~勝沼線や、貢川(営)・貢川団地~甲府駅~日川高校~勝沼線、貢川(営)~甲府駅~一宮神社~山梨市駅線、甲府駅~市之蔵・浅間~勝沼線にも乗りましたがもうありません。懐かしいです。


1986年11月現在の
山梨交通(貢川ー甲府駅ー勝沼)時刻表
路線"網"が確立されていた
1986年時点の甲府駅周辺の
山梨交通路線バス

kounainofumikiri0917様が、利用していたこの路線。経由地や本数もこんなにあったのに今ではそのエリアのバス丸ごと姿を消しています。
コロナ渦のいま、公共交通機関の利用者が全国的に急速に減少して今まで路線バスを支えていた貸切バスや高速バスが運行出来ず、予てから乗務員不足による減便や路線整理が行われており、必要な路線バスも姿を消してしまうかもしれません。
山梨交通の路線整理から、この先どのように路線が統廃合され、果たして路線の再構築は望めるのか山梨交通の辿った経緯から見ていきたいと思います。

山梨交通バスは、塩山営業所の項目でも書きましたが、かなりの路線が統廃合されており山梨交通全体としては1982年度には15系統、1983年度に16系統、1984年度には25系統が廃止となり、この3年間で富沢町・南部町・下部町・鰍沢町・三珠町・中富町・長坂町・大泉村※当時の市町村の名称から山梨交通の路線が廃止され、甲府駅から旧中道町までの盆地の東部から南部にかけての一帯はこの時期にかなり路線を失いました。
後に、道路運送法の一部見直しに基づいて、自家用バスを使用した廃止代替バス(自治体バス)の運行を開始しました。これはスクールバスなど通学に欠かせないバスの運行維持のために運行されています。
笛吹市(旧御坂町)が用意した
廃止代替バス(スクールバス)
日野KL-HU2PREA(2000年)
笛吹市役所御坂支所
2019年8月8日
1990年代に入ると、第3種生活路線の国庫補助期限切れ※などにより、さらに路線の廃止が進められる事になりました。1989年には芦川村への路線を廃止され1990年には韮崎と小笠原を結ぶ路線が廃止されて支線系統ばかりではなく基幹路線も廃されます。1991年からは自治体バスへの移行だけではなく、道路運送法24条の2を適用した貸切免許による代替バス運行(貸切代替バス)も行なわれるようになり長坂ー小淵沢百観音から日野春方面への路線自治体からの委託による貸切代替バスでの運行に切り替えられました。

貢川営業所なき後は山梨観光自動車(塩山営業所)の担当となり田中経由勝沼行き系統番号:94:甲府駅 - 善光寺入口 - 酒折駅入口 - 山梨学院大学 - 山梨英和大学入口 - 石和温泉駅入口 - 田中 - 勝沼
、1986年時点では14本ありましたが、1997年では6本に減便されています。
一宮経由勝沼行き系統番号:95南西団地 - 甲府駅 - 善光寺入口 - 酒折駅入口 - 山梨学院大学 - 山梨英和大学入口 - 石和温泉駅入口 - 一宮 - 勝沼
1986年時点では10本、こちらは1997年も本数は変わらず10本ですが現在では何れの路線も廃止されてしまいました。

その後も不採算路線に対する自治体バス貸切代替バスへの移行は続き、1995には鰍沢ー身延間の路線が分断され牧丘町の路線廃止された際に、地元のタクシー会社に委託することになりました。 既に運行されていた塩山地区の貸切代替バスから山梨交通が退出し1997年には山梨市内からも山梨交通の路線バスが姿を消しました。
山梨貸切自動車(当時)C504
山梨22あ・639
いすゞK-CCM410(1981年)
塩山営業所
1998年4月19日

第3種生活路線

1994年度までは、平均乗車密度5人を下回る路線は「第3種生活路線」と呼ばれ、旧運輸省による国庫補助制度がありましたが、その補助期限は3年間とされ、その間に平均乗車密度が回復しないと打ち切りとなり、路線存続が不可能となっています。 現在の国庫補助の基準輸送量も、これを受け継いだものとなっています。

こうした路線縮小の結果、山梨交通の路線は甲府市を中心に鰍沢・勝沼方面と、韮崎・塩山・身延・富士宮近辺の路線だけが残る状態となり、400輌近くあった路線バス車両も150輌程度と半分以下の規模となってしまいました。

行き交うバスは疎らな甲府駅前通り
2020年8月26日