皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

先日から色々キハ56系の写真を再度洗い出していたのですが、ふと私が学生時代の深名線の写真が沢山出てきました。

 

深名線は私のキハ58系興味を増幅させる大きなきっかけを作った場所でもあります。当時は3両のキハ53が活躍していましたが3両の両側、計6個の顔が全て違うという…。何なんだこれは!と当時は非常に興奮したものでした。そして人気の無い超ローカル線を行く単行のキハ53を何度も追いかけたものでした。

 

そして最終日間際の1995年9月1~3日は深名線に張り付いていました。夜はどこかの駅で寝て過ごしたものでした。この頃はどの列車も増結され、また臨時列車も運転され最期に花を添えていました。

 

↑最終日の5724Dと思われます。既に記憶が曖昧なのですが…。

キハ53 502+キハ56 119+キハ56 123+キハ56 129+キハ48 301+キハ48 302

だったような。

場所は 幌加内~上幌加内です。

 

↑最終日の5725D(たぶん)。こちらは

キハ53 505+キハ53 507+キハ40 727+キハ40 717+キハ54 528

だったような。

同じく場所は 幌加内~上幌加内です。

 

↑記憶が曖昧ですがおそらく最終日の朱鞠内です。先ほどの5連(キハ53+キハ53+キハ40+キハ40+キハ54)で、ホームから完全にはみ出してしまっていますが構わずドアを開け、客はステップを使ってよじ登っています。今では客もJRも撮っている私も全員完全にアウトでしょうが、当時はこういう時代でした。

 

そして最終列車は当日深名線で運用された車両を朱鞠内と幌加内で集めつつ深川へ戻る運用で、最終の幌加内~深川間は何と10両編成でした。先頭から

 

キハ54 528+キハ40 717+キハ40 727+キハ53 507+キハ53 505+キハ48 301+キハ48 302+キハ54 502+キハ56 210+キハ56 211(たぶん)

という、運転台が16個もある凄まじい編成でした。この列車10両編成で全員着席+立客多数となっており、恐らく乗車率が100%を超えていたと思われます。よって恐らく1000人程乗っていたことになり、当時の幌加内町の人口が2000人を切るか切らないかという状況でしたから、瞬間的に町にいた人の数が人口の1.5倍ほどになっていたことになります。これはすごいことだと当時この列車に乗りながら皆で話していました。

この列車幌加内で増結をした時に私の乗っていたキハ48がエンストし、定刻を遅れて出発した記憶があります。この列車は終着深川で最終の札幌行き特急「ライラック」と接続しており、これに接続しないとこの列車に乗っている1000人が札幌に帰れなくなるという非常事態に陥ってしまうので、軌道ボロボロの深名線を最後だからと言ってかっ飛ばして深川に戻ってゆきました。そして札幌に戻らなければならないことから、深川駅では別れを惜しむ間もなく781系に吸い込まれて帰ったものでした。

 

そんな当時の記憶が懐かしくなり、ふとこの編成を再現したいなーなんて欲が出てしまいました。先日キハ58系から脱線してキハ52を描きましたが、キハ40系やキハ54のイラストはありません。そこで、またキハ58系の絵に手を加えて、キハ40系とキハ54の絵を描いてみようと思いました。実は鉄活動を休止する前には一通り各型式の絵を描いていましたが、データがぶっ飛んで全て消えてしまっていました。今ここでこれらを復活(というか描き直し)させようかと思います。

 

 

 

↑とりあえずキハ28の正面窓を150mm上にずらしてみました。ここから参考図面や写真を基にキハ40に描き直してみようかな。

 

ということで、いよいよ禁断のキハ40系イラストに手を出すのでしょうか!? その前にキハ58系を仕上げましょうね。

 

今日は思い出話になってしまいました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。