1枚のキップから…(17) 当時日本最長の「はやぶさ」1984年9月14日 | 空の下、レールの上を人生と共に(JNR Forever)

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1984(昭和59)年9月14日、博多から横浜まで、当時西鹿児島発だった「はやぶさ」に乗りました。
 
しばらく「日本最長の旅客列車」のタイトルを保持していた、西鹿児島行(日豊本線経由)の急行「高千穂」は1975(昭和50)年3月10日ダイヤ改正で廃止、同じく「富士」は1980(昭和55)年10月1日ダイヤ改正で宮崎止まりに短縮され、西鹿児島発東京行「はやぶさ」は、この時点で日本最長の旅客列車でした。
 
 
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博多から1984年9月14日乗車の「はやぶさ」特急券・B寝台券
 
 
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4レ 寝台特急 はやぶさ
ED76 1011[門]+25形客車[南シナ]
 
 
この時は長崎からの帰りで、勿論長崎から「さくら」のB寝台を狙ったら、満席。
 
ブルートレインに乗るのを一度はあきらめようと思いましたが、博多から「はやぶさ」に乗ればいいと思い至りました。
「はやぶさ」は下段がとれたので、かえって条件がよくなりました。
 
当時も「はやぶさ」は空席が目立ちましたが、「はやぶさ」+「さくら」廃止直前ほどスカスカではありませんでした。
 
新幹線は東京ー博多間最速で6時間40分を要した時代で、飛行機よりも乗り換えが無いことを重宝した人が多かった時代でした。
 
広島からオバサマの団体が乗り、日付が変わる頃までピーチクパーチクおしゃべりが止まらず、オッサンが「うるせえんだよ!」と乱入して、やっとオバサマ達は寝たようでした。
 
そのオバサマ達は、名古屋で降りたのもうっすらとした記憶ですが、当時の夜行列車は本当にいろんな人が乗っていました。
 
当時は、「57.11」改正で上野発の昼行特急の大部分と、旧型客車の夜行急行が廃止されて撮り鉄の意欲を喪失しました。
 
九州へ行くので姉がカメラを貸してくれましたが、勘がどうしようもなく鈍っていました。
 
それでも、踏切事故の影響で421系に連結された「珍車」415系(クハ411)を押さえることが出来たのは、「ただでは転ばない」私の鉄人生を記念すべき写真でした。
 
 
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列車番号未記録
415・421系8連 クハ411-335[分オイ]
以上3点 1984.9.14 博多
 
博多駅の佇まいは変わりませんが、0系はとうに引退、夜行列車は廃止された事実に反比例して、発着する列車と乗降客の数は劇的に増えています。