みなさんこんにちは。前回からの続きです。

懐かしの1970年大阪万博を回顧して、部屋から見つけた「阪急電車3300系 ミニミニ方向幕」に収められている行き先にまつわることを、あれこれと取り上げています。

 

 

前回では、この「万博公式ロゴマーク」が入った「北千里(大阪府吹田市)」について取り上げました。 

この駅のひとつ手前には、会期中限定で「万国博西口」という会場アクセス専用の駅が臨時仮設されたことから、北千里行きの列車には「万国博会場へ行く」ということが一目でわかる「万博マーク」をあしらったこの方向幕、あるいは行先表示板があまねく用いられた…という興味深い経緯がありました。

 

それでは、この「ミニミニ方向幕」の続きを見て行きたいと思います。

 

 

「EXPO北千里」の次は「北千里」。当然といえば当然なのですが、万国博が閉幕した後も、路線や駅はそのまま存置されて今日に至っていますので、もちろんこの幕も必要でした。


「北千里駅」は万国博開催の3年前に開業した駅で、鬱蒼と茂る広大な竹林を切り拓いた「千里ニュータウン」の東の玄関口として、地域の拠点になっています。

 

 

続いては「天神橋筋六(大阪市北区)」。

「日本一長い商店街」として有名で、大阪市内では「三大商店街」と呼ばれる「天神橋筋商店街」の北端に位置するにぎやかなところです(他の2つは旭区「千林商店街」と東住吉区「駒川商店街」)。 

 

 

Google地図より。

この駅、正式には「天神橋筋六丁目(てんじんばしすじろくちょうめ)」です。


「阪急千里線」(地図中、駅から上方向)と「OsakaMetro堺筋線」(下方向)との境界になっているのですが、長いものを略すのが好きな?大阪人には、周辺の飲み屋街も含め「天六(てんろく)」と呼ばれ親しまれています。

コマも幕に入り切らず省略されているのが特徴で、阪急の車内放送でも「天神橋筋六丁目、天六です」と略されているほどです。

 

 

その「堺筋線」の終点だったのがこの「動物園前(同浪速区)」。

近隣の「天王寺動物園」から来ている駅名ですが、「JR環状線・大和路線 新今宮駅」との乗り換え駅としても多数の利用があります。 

新世界や通天閣が近く、同じ市内でも、天六とはまったく趣きの異なる地域でもあります。

 

長年、堺筋線の終着駅として存在していましたが、1993(平成5)年にはここから南伸し「天下茶屋(てんがちゃや、同西成区)」まで至り「南海電車」との接続を果たしました。

 

 

そして「淡路(あわじ、同淀川区)」。

 

 

同じく、Google地図より。 

「天六・地下鉄堺筋線・北千里方面」からの「阪急千里線(青矢印)」と「大阪梅田・十三・京都方面」からの「阪急京都線(赤矢印)」とが交差する、市内有数の交通の要衝として知られています。 

 

 

 

双方の路線とも多数の列車本数が設定されており、なおかつ自線内のみならず「千里線⇔京都線」というルートで運行される列車も多いということで、構内で複雑な運用をさばいているという、鉄道趣味的には興味深い駅です。 

 

 

 

ただ、駅周辺の踏切の混雑が甚だしいことも加わり、近年では、このように線路の立体高架化工事が進められています。 

しかし、先ほども触れたように、複数の路線が交差する複雑な構造ということもあり、あの「蒲田要塞」の名で知られる「京急蒲田駅(東京都大田区)」のように重層高架化される予定で、完成にはまだまだ時間を要すようです。 

 

駅前には古い商店街があり、やはり万国博の頃には大変なにぎわいだったと言います。

 

 

最後は「高槻市(たかつきし、大阪府高槻市)」。「阪急京都線」の駅です。

 

 

「高槻」は大阪・京都の中間に位置している都市で、こちらも古くから交通の要衝でした。

特急列車も停車する主要駅です。 

 

 

ところで、阪急・堺筋線の間で行われている相互乗り入れ、OsakaMetro車両が乗り入れる最東端の駅がここ「高槻市駅」 です。

これは、相互乗り入れがはじまって半世紀、いまもまったく変わらない形態なのですが…

 

 

過去、地下鉄車両が乗り入れる最東端の「高槻市駅」をはるかに超え、まだ先へと続く阪急線内まで、堺筋線車両が乗り入れたことがありました。それはどこかというと… 

 

 

なんと、京都観光では必ず名前の挙がるあの「嵐山(京都市西京区)」

ここまで、イベントで「大阪市営地下鉄車両」が乗り入れたことがありました。 

 

 

 

 

「大阪市営地下鉄堺筋線・阪急京都線 相互直通40周年記念」として2010(平成22)年12月、2日にわたり、堺筋線「天下茶屋」を始発・終着とし、地下鉄車両が臨時列車として、普段は入線しない京都府に足を踏み入れたという、大変貴重なイベントでした(翌年にも同じ区間を「臨時特急」として運転された)。

 

実はわたしもこの臨時列車に乗り、嵐山へ往復しました。せっかくの機会ですので、次回以降はその様子を取り上げてみたいと思います。

 

 

そして最後は「回送」「試運転」でおしまい。 

 

 

そういったことで、半世紀前の大阪万博にまつわる車両の、懐かしい方向幕についてひもといてみました。 

 

 

 

この幕や行先表示板のみならず、会期中や会期前には大阪や関西一帯で幅広く親しまれたかつての「万博公式ロゴマーク」。 

わたしは、大阪万博を経験したことのない世代ですが、大変馴染みのあるものです。

 

 

そして先般、決定した5年後の「2025年大阪・関西万博」ロゴマーク。

斬新な!デザインはさることながら、半世紀前のあの万国博の時のように、会場へ向かう列車の幕に登場したりするのかな?などと考えてしまいます。

 

あまりにも斬新過ぎるロゴマークゆえ、正直、まだまだ慣れるまでは時間がかかりそうですが、せっかく決まったこのマーク、5年後の開催の折りには親しまれるような存在になって貰いたいものだと感じます。

 

今日はこんなところです。