みなさんこんにちは。前回からの続きです。
懐かしの1970年大阪万博を回顧して、部屋から見つけた「阪急電車3300系 ミニミニ方向幕」について取り上げています。
それでは、さっそく方向幕の中身を拝見してみたいと思います。
大阪万博の前年にデビューし、開催期間中には観客輸送の大役を果たした車両のものです。
まずは裏面から。運転室の後ろにかぶりつきをしていますと、こういった光景をまま見ることがあります。
趣味的にはどんな行き先が入っているんかな?と楽しみになります。
ただこのミニミニ方向幕、ただものではありませんでした。なんと、幕の材質が本物と同じ「布製」だという!
ちょっとわかりにくいので申し訳ですが、方向幕を兼ね備えた車両自体が少なかった当時は、このように布に印されたものが主流でした。
現在では、フィルムに印刷されたものがほとんどなのですが、これはたまらぬものです。
まずは「EXPOマーク入り北千里(大阪府吹田市)」。
万博会期中、この駅のひとつ手前には「万国博西口」という臨時駅が設けられ、多数の利用があったそうですが、地理不案内な人でもこのマークが入っている列車に乗れば万国博会場へ行けるとひと目でわかる画期的なものでした。
さらに、行先のローマ字表記もありませんので、なおのこと外国人観光客にもわかりやすかったに違いありません。
Google地図より。
地図中、左上から中央下部へと延びるのが「阪急千里線」です。
そのさ中、カーブしている区間の右側(東側)には、大きな公園があるのがわかります。
これが「万博記念公園」。つまり、半世紀前の1970(昭和45)年に「日本万国博覧会(大阪万博)」 が行われた会場に当たります。
さらに拡大したもの。
本当に、会場の西端すれすれを路線は通過していたことがわかるのですが、それを活かし会場西ゲートに直結するように「万国博西口駅」という臨時駅が設置されました(同、赤い☆)。
林立する万博パビリオン群のすぐそばを走る「阪急千里線」乗り入れの「大阪市営地下鉄60系」。「万国博西口駅」付近。
毎度おなじみ「Wikipedia#阪急千里線」から、この駅について時系列的にみてみますと、
1967(昭和42)年3月1日 南千里~北千里間が延伸開業
1969(昭和44)年11月14日 南千里~北千里間に「万国博西口駅(臨時駅)」が開業
1969(昭和44)年12月6日 「大阪市営地下鉄堺筋線(現在はOsakaMetro堺筋線)」と相互乗り入れを開始
1970(昭和45)年3月15日 「日本万国博覧会」が開幕
1970(昭和45)年9月13日 「日本万国博覧会」が閉幕
1970(昭和45)年9月14日 「万国博西口駅」を廃止
という経過がありました。
大阪梅田や、大阪市内へ相互乗り入れを開始したばかりの「大阪市営地下鉄堺筋線(現在はOsakaMetro堺筋線)」や、阪急の路線網を活かし、神戸や宝塚方面からも万国博直通列車が運行されたそうで、会期中の総輸送人員は約900万人にも至る、鉄道アクセスの重要な一端を担いました。
「EXPO70」のマークをつけたこの列車が、たくさんの観客を乗せてフル活躍していたという訳ですね。
ところで、この当時は本題の「行先方向幕」を搭載した車両というのは、阪急といわず全国的にもほんの僅かでした。
主流だったのが、列車先頭部に掲出するこの「サボ(サイドボード、行先表示板)」と呼ばれるもので、幕と同じく「万国博西口駅」へ向かう列車には、例外なく当時の「万国博公式ロゴマーク」があしらわれていました。
字体やデザインに時代を感じます。
(出典「阪急電車 僕らの青春」奥田英夫・正垣修著 神戸新聞総合出版センター発行 2011年6月20日第1刷発行)
ところで、くだんの「万国博西口駅」があった場所から南側、約400mほど離れたところには現在「山田駅(同)」が設けられています。
地図にあるように、駅の北側には「中国自動車道」と「府道大阪中央環状線(中環)」という大阪の大動脈が通っています。
この駅の経過としては、
1973(昭和48)年11月23日
「万国博西口駅」跡地の南約400mの場所に「山田駅」が開業
1990(平成2)年6月1日
大阪モノレール「千里中央~南茨木間」開業にともない「モノレール山田駅」が新設
大阪市内外周部にぐるりと路線を延ばす「大阪モノレール」との接続駅として、現在では多数の乗り換え客が利用する拠点になっています。
「西口駅」と系譜のつながりはないようですが
当時はまだまだ開発途上だった周辺の造成が徐々に進んだ結果、あらたに設置された駅のようです。
さらに興味深いことに、先ほど触れた「中国自動車道」の敷地には、万博開催中に「北大阪急行」の線路が設けられていました。
「モノレール山田駅」から東方向、つまり「万博記念公園」を望む。
あの「太陽の塔」もすぐ近くというところ。
現在は「千里中央駅」止まりになっている「北大阪急行」ですが、会期中には画像中央左、「中国自動車道」上り線の敷地予定地に仮線を設け、万博会場中央ゲート前まで線路を延ばしていました。
こちらは「万国博中央口駅」と呼ばれ、やはり相互乗り入れしていた「地下鉄御堂筋線」を介し、鉄道アクセスでの最主力ルートだったと言います。会場からは、新大阪・梅田・淀屋橋・なんば・天王寺…と、市内主要地に直通していたことから、かなりの混雑だったようです。
「終日2分半おき」という、朝ラッシュ並みの列車本数で以って、約2000万〜2400万人もの利用があったのだとのこと(閉幕後は廃止され、跡地は予定通り「中国自動車道」に転用されました)。
(出典「カラーブックス580 日本の私鉄18 大阪市営地下鉄」 赤松義夫・諸河久著 保育社発行 昭和57年9月5日)
次回に続きます。
今日はこんなところです。