第1381回('20) 紀勢本線、関西本線、草津線の一部駅を降り鉄して帰宅 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。


 
前回の続き…
 
2020年8月8日~11日、お盆休みは3泊4日の日程で紀伊半島を一周する乗り鉄を敢行し、主に紀勢本線の駅を降り鉄(途中下車)していきました。
本来であれば東日本方面を乗り鉄したかったのですが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で東京を目的とした、あるいは東京を経由する旅行は難しく、また北陸や東北は悪天候の予報が出ていたので、東日本は諦めました。一方、西へ目を向けても中国地方西部や九州北部は悪天候、九州においては前月の豪雨で鉄路が寸断された箇所が発生して満足に回れる状況でなく、西方面も諦めました。また、東海地方の愛知県は2週間前に行っているので連続で行く気はしませんでした…。
となれば、地元の近畿地方を回るか、自粛するかですが、どうしても自粛は我慢できなくて、感染対策を施した上での乗り鉄を敢行する事にしました。行先は、比較的天気の良さそうな紀伊半島に絞り、4日間かけて紀勢本線を中心に降り鉄していく事にしました。行先は旅行開始の前々日(8月6日)に決定しました。いつもは何か月も前に決めるので、今回は異例と言えます。
今回は鈍行中心で行きつ戻りつの行程になるので、久しぶりに『青春18きっぷ』(5回分12,050円)を使用しました。また、「GoToトラベルキャンペーン」の恩恵を受けて3泊とも格安で宿泊でき(3泊合わせて10,000円少々)、しかも夏休みの南紀はビジネスホテルですら満室が続きますがコロナ禍の影響で急な予約でもOKでした。
そして、新幹線を一切使わなかったお盆休みの乗り鉄は学生時代の2000年以来、実に20年ぶりとなりますw 若い頃を思い出しましたww
 
今回は最終4日目(8月11日)後半の内容です。
午後は三重県津市にある高茶屋駅から紀勢本線~関西本線~草津線を経由して最後は新快速で帰宅しましたが、途中、数駅を訪問しました。
 
今回の日程 2020年8月11日  (火)    【後半】
 
高茶屋1313(紀勢本線)1336下庄1437(普通)1444亀山1514(関西本線)1527加太1552(上り普通)1558関1618(下り普通)1636柘植1646(草津線)1654甲賀1720(草津線→琵琶湖線)1806南草津1909(琵琶湖線→JR京都線→JR神戸線・新快速)2054加古川
 
【帰宅】
 
高茶屋駅からは13時13分発の紀勢本線上り普通・亀山行きに乗車しました。昼前は列車に遅れが発生していましたがこの列車は定刻通りの運行でした。車両は313系電車とそっくりなキハ25形1500番台・1600番台2連で、到着時に駅近くにある「イオンモール津南」への買物客が多数下車しました。入れ替わりに乗車したのは私を含めて数人で、1両目は大半の座席が埋まっていましたが私は比較的空いている(半分程度の着席率)2両目で座りました。道中は子供の頃居住していた津市内の車窓風景を眺めて過ごしました。途中の阿漕駅では味のある駅舎が解体されているのが見え、津駅では近鉄ホームに前月乗車した名阪特急『ひのとり』が入線していました。また一身田駅では高田中学校・高等学校の生徒が何人か乗車しましたが、反対側の津・松阪方面ホームには50~60人の生徒が行違い列車に乗り込んでいました。一身田を発車後はローカルな丘陵地帯を北上し、亀山市に入って1駅目の下庄駅で私は下車しました。のどかな山里にある小さな駅で、かつては古い駅舎があったそうですが、今は待合室を兼ねた簡易駅舎しかありませんでした。また酷暑の影響で外を動き続けるのは危険だと判断し、駅前を少し散策したのみで駅へと戻り、待ち時間は待合室で休憩していました。
 
 

 

 
下庄駅では後続の14時37分発、普通・亀山行きに乗車。キハ25形2連で、乗り込んだ先頭車両は1/3ほどの乗車率でした。私は着席し、終点・亀山駅までの道中は車窓風景を眺めて過ごしました。そして14時44分に列車は亀山駅に到着し、3日前から乗り続けた紀勢本線とはここでお別れとなります。
 
 

 
亀山駅で下車後は車両・ホームを撮影してから改札を出ましたが、写真のような看板があり、足が止まりました。「JR東海をご利用いただきありがとうございます 今日も新型コロナに負けずともに頑張りましょう 皆様に愛されて亀山駅は今年で130周年を迎えました」と書かれていました。中央には313系電車のイラストが書かれており、前面部分にはアベノマスクのような布マスクが掛けられていました。JR東海も感染対策をして頑張っているということでしょう。コロナ禍で皆が苦しい中、私も頑張っていかねばなりません。
 
 

 
その後は駅舎を出て駅舎と駅前を撮影しましたが、晴れているのに小雨がぱらついていました。西の空が怪しかったのでこれから夕立に見舞われるかもしれません。また、駅前は市街地の外れにあり、あまり栄えていませんでした。
 
 

 
改札内へと戻り、次はJR西日本管内へと進みます。乗車したのは15時14分発の関西本線下り、普通・加茂行きです。車両は私が好きではない単行のキハ120形気動車の2両編成で、私はオールロングシートの先頭車両へ。半数ほどの席が埋まっており、空席に座りました。乗客は地元客が半分ほどで、残りは観光客・帰省客・「青春18きっぷ」ユーザーといった感じでした。関西本線非電化区間は18きっぷ期間でなくても一定の利用客がいるので、大型の車両を導入した方がいいかもしれません…と言ってもキハ40系では加太越えに難がありそうですし、当分はキハ120形のままでしょうねw 私は車窓風景を眺める事にしました。
 
 

 
列車は定刻に亀山駅を発車し、左手に車両基地を見て鈴鹿川沿いのローカル風景の中を西へ進みます。名阪国道と東名阪自動車道の高架をくぐってしばらくすると関駅で、数人が下車しました。その後は急に山間部へと入り、鈴鹿川の渓流に沿って速度を落として進んでいきます。何度か鈴鹿川を渡りましたが、川で泳いでいるグループが数組見られました。そしてトンネルを2本抜けると小さな盆地が見えてきて、加太駅に到着。私はここで下車しました。下車したのは私だけでした。何度も通ってきた道ですが、加太駅で下車したのは今回が初めてでした。山あいにある小さな駅で、木造駅舎が残っています。駅前には集落があるものの閑散としていました。近くには無料の自動車専用道路である名阪国道の向井インターチェンジがあり道路交通が便利なので、車依存度が高い地区かもしれません。
 
 

 

  
加太駅からは一旦戻ります。15時52分発の上り普通・亀山行きに乗車しました。キハ120形2両編成で、先頭車両は半数ほどの席が埋まっていましたが、偶然にもボックスシートに空き区画があったので進行方向窓側席に着席し、先程とは反対側の車窓風景を眺めて過ごし、今度は関駅で下車しました。下車客は数人いました。駅舎は「関宿ふるさと会館」という亀山市の施設で、亀山市観光協会の事務所があります。駅北側約400mには旧・東海道の関宿があり、古い町並みが残っており観光地にもなっています。私も行ってみたかったのですが、次の列車まで時間がなかったので行けませんでした…。駅舎と駅前を撮影していると、関宿から駅へ戻ってきたと思われる観光客がいました。
 
 

 

 
関駅では16時18分発の下り普通・加茂行き(キハ120形2両編成)に乗車。オールロングシートの先頭車両は半分ほどの席が埋まっていて、車窓風景を楽しめる空席に座りました。道中は景色を眺めて過ごしましたが、空は雲が多いものの青空も見えていて、心配していた雨は降らず一安心でした。しかし加太駅を過ぎて中在家信号場の先にある加太トンネルを抜けると地面が濡れていて、驚きました。先程まで夕立に見舞われていたようです。空を見ると晴れたり曇ったりで、すぐに雨が降るという感じではありませんでした。そして列車は柘植駅に到着し、私は草津線に乗り換えるために大勢の人とともに下車しました。柘植駅でも降り鉄したかったのですが、次の列車との接続時間は10分しかなく、駅前に送迎の車が止まっていて駅舎をまともに撮影できそうになかったので今回はパスして、キハ120形を撮影してから草津線ホームへと移動しました。
 
 

  
柘植駅では当駅16時46分始発の草津線下り、普通・京都行きに乗り継ぎました。緑色淡色塗装の113系電車4連で、老朽化により数年後に117系ともども置き換えられる見込みですが、新型コロナウイルスの影響が気になります…。車内は従来からのボックスシートのままで、乗り込んだ最後部車両の車内は空いていた事もあり、私はボックス席進行方向窓側席を確保しました。
 
 

 
列車は定刻に柘植駅を発車し、関西本線と分かれるとすぐに三重県を出て、いつの間にか滋賀県に入りましたが、柘植駅~県境までのわずかな区間がJR線における三重県伊賀地方唯一の電化区間になります。滋賀県に入った後もローカル風景の中を走りますが、山は遠ざかりました。油日駅を過ぎて市街地に入ると列車は甲賀駅(こうかえき。「こうが」ではない)に到着し、私はここで下車しました。立派な橋上駅舎ですが、簡易委託駅となっていて磁気券用の自動改札機はなく、『ICOCA』などのICカード簡易改札機が設置されていました。また、駅舎や駅前では忍者の里をアピールしていましたが、私の中で甲賀といえば藤子不二雄A氏の漫画「忍者ハットリくん」に出てくるライバルの甲賀忍者・ケムマキのインパクトが強いですwww
 
 

 

 
夕日がまぶしい甲賀駅からは17時20分発の普通・京都行きに乗車しました。今度は221系4連でした。最後部車両はガラガラで、私は転換クロスシート窓側席に座りました。道中は車窓風景を眺めつつスマホも操作していました。この日はお盆期間ながら暦の上では平日で、夕方の帰宅ラッシュの時間帯にかかっていたため、途中駅ごとに乗客が増加しました。特に近江鉄道本線と信楽高原鐵道線が接続する貴生川駅では多くの人が乗ってきて、三雲駅以降も乗車率が上がり続け、空席が埋まり立客も見受けられるようになりました。そして草津駅では下車客の方が多く幾らか乗車率が下がりましたが、それでも空席がほとんどない状態で琵琶湖線(東海道本線)に直通しました。この普通列車は琵琶湖線では複々線の内側線を走り、私は18時06分に到着した南草津駅で下車しました。南草津駅は初めての下車となりますが、平成期の1994年開業と、隣の草津駅より105年も後輩駅であるにもかかわらず、1日平均乗車人員は南草津駅が滋賀県内第1位になっています。ちなみに2位は草津駅です。また、駅前は草津駅前ほどビルが多くないものの、何しろ人が多いので活気が感じられました。尚、滋賀県の大駅の駅前には必ずあると思っていた地場スーパーの「平和堂」ですが、南草津駅前で見られませんでした(約700m西に小型店舗の「フレンドマート」があります)。代わりにルーツが滋賀県にあると言える「西友」があります(創業者の堤康次郎氏は滋賀県出身)。
 
 

 

 

  
私は南草津駅で下車後、東口駅前にある商業施設「フェリエ南草津」内の「ケンタッキーフライドチキン」へ。夕食を済ませました。前々日に食べられなかった事もあり、今回はリベンジ訪問でした。南草津駅で降り鉄したのもケンタッキー目当てでしたwww もっとも、この付近で駅前にケンタッキーがあるのは南草津駅しかありませんでしたが…。
 
 

 
夕食を済ませた後は「フェリエ南草津」を出て南草津駅へ戻りましたが、もう時刻は19時で日没は過ぎており、だいぶ空が暗くなってきました。もう降り鉄は終了で、あとは帰宅するのみです。私は19時09分発の下り新快速・姫路行きに乗車しました。223系8連+4連で、長丁場になるためトイレを心配した私はトイレ付きの先頭車両(8連側)に乗り込み、空いている通路側席に着席しました。車内を見渡すと向かい合わせ席の一部を除き座席が埋まっていました。もう暗くなっているので道中は車窓風景ではなくスマホの画面を見ていました。ひたすらスマホゲームに熱中していましたw 途中の京都駅で窓側席の男性が下車したため私は空いた窓側席へと移動し、通路側席には京都駅から乗ってきた男性が着席しました。京都駅からは満席になりましたが、立客は少なかったです。その後もスマホゲームを続けていましたが、大半の乗客が入れ替わった大阪駅を過ぎて芦屋付近からウトウトし始めました。三ノ宮駅と神戸駅で多くの人が乗ってきて軽く混雑したのを確認すると私は寝てしまいましたが、明石駅到着時に目が覚めたので以後は寝過ごし防止のために水分を摂取したり夜景を見たりと自分なりに努力しましたww 西明石駅を過ぎて補助席が使用可能になると立客はいなくなりました。私は何とか眠らずに持ちこたえて、定刻の20時54分に到着した加古川駅で無事に下車できました。まぁ、姫路まで寝過ごしてもその日のうちに戻って来れるのですが、夜遅くなると上り列車の本数が減少し、帰宅時間が大幅に遅れてしまうので寝過ごしは防ぎたかったです。
 
 

 
下車後はすぐに駅を出て、自宅へ直行しました。
 
これにてコロナ禍の中、3泊4日の乗り鉄旅行を終えましたが、夏休みの旅行で東日本や九州などへの遠征を行わなかったのは1999年の乗りつぶし開始以降、今年が初めてです。また、全行程においてJR線のみの乗車にとどまり、しかも全運賃を『青春18きっぷ』で賄えた長期旅行はかなり久しぶりとなりました。近年は『18きっぷ』使用日でも特急や新幹線でのワープが当たり前のようになっていましたが、今回は小駅中心の「降り鉄」という事で鈍行(普通列車)への依存度が高かった事もあり、特急ワープが不要で余計な出費もせずに済みましたw
 
来年(2021年)はコロナが収束して、夏休みにはもっと遠くへ行けるようになることを切に願います。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません
 
 
(参考:Wikipedia)