播但線のC57の事を取り上げた鉄道雑誌などで「C57貨物の692レにはDD54補機は付かない」という記事を目にしますが、私にはそんな実感はありません。お昼過ぎに生野峠を登ってくる692レのC57貨物は、その日の荷物の量によって新井からDD54の補機を付けるかを決めていたように感じます。DD54補機の運用は新井-寺前間となっていましたが、寺前を13時半ごろに出て来る695レC57下り貨物の量によっては、692レで本務機のC57と一緒に新井から生野峠を登ったDD54は生野駅で解結されることもありました。
最悪なのが、上り貨物の692レは荷物の量が少ないのに、下り貨物の695レに補機が必要な場合で、そんな日の692レは定数以下で生野峠を登って来るのでDD54とC57はスカスカで、C57貨物は生野駅でDD54を解結することもなく前に付けたままで寺前まで運転されました。
播但線 生野-長谷 1971年10月24日
私は、そんな気まぐれなC57貨物列車をよく生野-長谷間にある真名谷トンネル上り方で待って、トンネルの中に見えてくるヘッドライトが一つ目か?(C57)二つ目か?(DD54)で一喜一憂したのも今では良い思い出です。
DD54の助けを借りても定数いっぱいなのか?生野峠を登るC57は力行しています。
播但線 新井-生野 1972年5月21日
C57貨物の695レ
DD54の前補機が付くのは分かっているのに正面寄りで待ちました。
播但線 長谷-生野 1971年10月24日
この日の695レは8mmでも撮っていて、その動画を下記のYouTubeにアップしています。
https://www.youtube.com/watch?v=gP2CVJACfWc
真名谷トンネルを出てきたC5711牽引の692レ
トンネル内に2灯のヘッドライトが見えた時は何とも言えない残念な気持ちになったものです。
播但線 生野-長谷 1971年11月21日
色々な話題を提供してくれたDD54も引退が囁かれ始める頃になると急に人気が出て来て、鉄道雑誌などにも取り上げられるようになり撮影する人も増えました。
トップナンバーはDD54に人気が出始める少し前に秘っそりと引退してしまいました。
播但線 生野 1972年8月25日
最後まで御覧戴いて ありがとうございました。