第1380回('20) 紀勢本線の三重県東紀州地区の駅を中心に降り鉄 (3) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。


 
前回の続き…
 
2020年8月8日~11日、お盆休みは3泊4日の日程で紀伊半島を一周する乗り鉄を敢行し、主に紀勢本線の駅を降り鉄(途中下車)していきました。
本来であれば東日本方面を乗り鉄したかったのですが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で東京を目的とした、あるいは東京を経由する旅行は難しく、また北陸や東北は悪天候の予報が出ていたので、東日本は諦めました。一方、西へ目を向けても中国地方西部や九州北部は悪天候、九州においては前月の豪雨で鉄路が寸断された箇所が発生して満足に回れる状況でなく、西方面も諦めました。また、東海地方の愛知県は2週間前に行っているので連続で行く気はしませんでした…。
となれば、地元の近畿地方を回るか、自粛するかですが、どうしても自粛は我慢できなくて、感染対策を施した上での乗り鉄を敢行する事にしました。行先は、比較的天気の良さそうな紀伊半島に絞り、4日間かけて紀勢本線を中心に降り鉄していく事にしました。行先は旅行開始の前々日(8月6日)に決定しました。いつもは何か月も前に決めるので、今回は異例と言えます。
今回は鈍行中心で行きつ戻りつの行程になるので、久しぶりに『青春18きっぷ』(5回分12,050円)を使用しました。また、「GoToトラベルキャンペーン」の恩恵を受けて3泊とも格安で宿泊でき(3泊合わせて10,000円少々)、しかも夏休みの南紀はビジネスホテルですら満室が続きますがコロナ禍の影響で急な予約でもOKでした。
そして、新幹線を一切使わなかったお盆休みの乗り鉄は学生時代の2000年以来、実に20年ぶりとなりますw 若い頃を思い出しましたww
 
今回は最終4日目(8月11日)前半の内容です。
午前中は前日に引き続き紀勢本線のJR東海エリア内の小駅を中心に降り鉄していきましたが、夜には帰らなくてはならないため、起点の亀山駅方面へ少しずつ進む形になりました。
 
今回の日程 2020年8月11日  (火)    【前半】
 
熊野市503(紀勢本線)528三木里608(下り普通)613賀田708(上り普通)811梅ケ谷821(下り普通)848船津926(上り普通)1107多気1131(普通)1208高茶屋
 
【後半へ続く】
 
この日はいつもより早く3時半頃に起床し、朝食と支度を済ませてからホテルをチェックアウト。まだ暗い街中を歩いて熊野市駅へと移動しました。そして改札口で『青春18きっぷ』4回目のスタンプが押されて入場し、2番線に停車していた5時03分熊野市駅始発の紀勢本線上り普通・亀山行きに乗車しました。313系電車と同じ顔をしているオールロングシートの気動車・キハ25形2連×2で、車掌が乗務していました。私は最後部車両で着席しました。もう一人乗客がいましたが、その人は前方車両から乗り込んでいました。結果、最後部車両の乗客は私だけでした。私が座ってスマホを操作しながら発車を待っていると、車掌に「どちらまで行かれますか?」と声をかけられました。私は「三木里」と答えると、「三木里は出口が前の方にあるので前方車両の方が便利ですよ」と親切に教えてくれましたが、私は「下車時に車両を撮影したいので」と言って最後部車両に居続けました。私が降り鉄で最後部車両に乗る事が多いのは、ご存知の方もいるかもしれませんが、ホーム有効長の短い駅でも確実に車両とホームを同時に撮影するためです。ホームが短いと、前からだと車両前面とホームを同時に撮影できないケースが多いのですが、最後部ですと発車直後に動いている車両を撮影しても車両とホームの両方を収められるからです。また、車掌が私に行先を聞いた理由は、途中で後方2両を切り離すからか?とも思いましたが、ダイヤを見ると切り離しを行いそうな主要駅での長時間停車が見られないので、この列車は4両のまま亀山まで直通すると思われます。
 
 

 
亀山行き列車は定刻に熊野市駅を発車しました。空が明るくなり始めたので私は車窓風景を眺める事にしましたが、トンネル区間が多いのであまり楽しめませんでした。そして私は予定通り5時28分に到着した三木里駅で下車しました。三木里駅はかつて相対式ホームでしたが、2005年に棒線駅となり、反対側のホームは草が生えて自然に還りつつありました。また、駅舎は新鹿駅や九鬼駅と似たようなデザインでした。
 
 

 

 
三木里駅は高台にあり、リアス式海岸の入り江(賀田湾)を見下ろせました。時間があれば海岸に行きたかったのですが、海岸まで1kmほどと遠かったため断念し、駅前を軽く散策するにとどめました。駅に戻ると雨が降ってきましたが、すぐに止んで西側には虹が出ていました。
 
 

 
三木里駅からは6時08分発の下り普通・新宮行き(キハ25形2連)に乗車。私の他に地元の女性も乗車しました。ガラガラの先頭車両で着席し、しばし車窓風景を眺めて(と言っても大半がトンネルでしたがw)、5分後に到着の賀田駅で下車しました。晴れていましたが路面は結構濡れていて、先ほどまで雨が降っていたようです。賀田駅は島式ホーム1面2線で列車交換が可能でした。駅舎は先程の三木里駅とそっくりでした。
 
 

 

 
賀田駅も高台にありますが、三木里駅よりは海に近かったです。次の列車までの待ち時間を利用して私は駅前を散策し、賀田湾も眺めました。賀田の集落は湾奥にあり、平地が少ないので山の斜面も一部が宅地化されていました。
 
 

  
駅前を散策後は賀田駅へと戻り、7時08分発の普通・多気行き(キハ25形2連)に乗りました。私の他に3人ほどが乗車しました。車内はガラガラで、地元客ばかりでした。私は先頭車両で座りました。道中は車窓風景を眺めて過ごしました。途中の尾鷲駅では大半の乗客が入れ替わり、先ほどよりも乗客数が増えました。尾鷲駅を発車後も車窓風景を眺め続ていましたが、2駅目の船津駅では多くの人が下車して車内は再びガラガラになりました。私はその後も乗り続けて落ち着いた車内で車窓風景を眺め続けました。2016年に一度下車している紀伊長島駅を発車すると荷坂峠越えのために連続上り勾配となりましたが、途中で山側車窓から紀伊長島の町並みと海を見下ろせました。そして荷坂トンネルを抜けて旧紀伊国から旧伊勢国へ変わるとすぐに列車は梅ケ谷駅に到着し、私はここで下車しました。山間部にある小さな駅で、駅舎すらありませんでした。駅西側には公園があり、公衆便所もあるのでトイレの心配ないらないです。また、駅自体は秘境駅の雰囲気も醸し出していますが、駅の東側を幹線道路である国道42号が並行しており、その国道により秘境ムードはかき消されましたw
 
 

 

  
梅ヶ谷駅の滞在時間は10分でした。1つ先の大内山駅で先程の多気行きと交換(行き違い)した8時21分発の下り普通・新宮行き(キハ25形2連)に乗車しました。2両とも半数近くの席が埋まっていて、名古屋を早朝に出発してもこの列車に乗れないにもかかわらず、大半の乗客が旅行客または「乗り鉄」の人でした。私は1両目の空席に座り、水分補給をしてから荷坂峠越えの車窓風景を眺めました。そして次駅の紀伊長島駅からは多くの人が乗ってきて、半数以上の席が埋まりました。その後も私は車窓風景を眺め続けて、今度は船津駅で下車しました。私の他に多くの人が下車しましたが、私を除く全ての下車客は集団で駅東側へと歩いていきました。船津駅は駅名とは裏腹に海から離れた農村集落に位置する無人駅で、駅前(駅舎と反対側)には自動車学校があります。
 
 


 

 
9時の時点で既に暑かったので駅前散策もほどほどにして、駅舎内の待合室で水分補給をして休憩していると私と同じ列車に乗る地元の高齢男性がやって来て、私に話しかけてきました。色々話していると、過去に船津駅で私と同じように駅訪問をしている人に出会ったと仰っていました。やはり駅訪問をする人も一定数いるようですね。話している途中で9時26分発の普通・多気行き(キハ25形2連)が到着したので私と男性はその列車に乗車しました。私と男性は3割ほどの着席率だった先頭車両で少し距離を取って着席し、引き続き世間話や地元の話などを続けました。そして2駅目の紀伊長島駅で男性は下車しました。紀伊長島駅で地元客はほとんどいなくなりました。
 
紀伊長島駅を発車後はこの日3度目となる荷坂峠越えの車窓風景を眺めて、初日以来ずっと見てきた太平洋と熊野灘に別れを告げました。その後はしばらく山間部を走ります。先ほど下車した梅ケ谷駅を過ぎると長閑な農村風景が広がり、山間部の車窓風景も楽しかったです。大内山駅では対向列車と行き違うため数分間停車しましたが、駅外に出る余裕はなくホームで車両を撮影するにとどめました。大内山駅から先も山間部の風景が続きますが、何度も交差する紀勢自動車道の高架橋が目に付きました。紀勢自動車道の延伸は地元にとって便利になる事は間違いありませんが、紀勢本線や特急『(ワイドビュー)南紀』にとってはダメージが大きいですね…。また、途中の駅で下車したかったのですが時間やダイヤの関係でそれが叶わず、しばらく列車に乗り続ける事になります。少なかった乗客も駅ごとに少しずつ増えてきましたが、その大半が高校生でした。
 
 

 
左手に三瀬谷ダムがある宮川を渡ると特急停車駅の三瀬谷駅で、さらに高校生が増えました。その後の停車駅でも少しずつ乗客が増えましたが、山間部を抜けて終点・多気の1駅手前にある相可駅では多くの高校生が下車しました。調べると、近くに三重県立相可高等学校があります。しかし車内には別の高校の生徒が複数乗り続けていました。相可駅を発車後は田園風景の中を走り、右を走る参宮線に寄り添うと列車は11時07分に終点の多気駅に到着しました。多気駅では松阪方面への乗り継ぎ列車の発車まで21分あり、私は待ち時間の間に改札を出て駅前散策もできますが、多くの利用者にとっては無駄な時間になってしまいます。参宮線との接続時間も26分で、単線区間ばかりで難しいかもしれませんがJR東海には接続時間の改善に努めてほしいものです。多くの人は多気駅では外に出ず、ホームで接続列車を待っていましたが、私は一旦改札を出て駅舎と駅前を撮影しました。
 
 

 

 
多気駅からは11時28分発の紀勢本線上り普通・亀山行きに乗車するのですが、当駅で行き違う松阪方面からの列車が遅れており、発車は3分遅れとなりました。亀山行き列車は参宮線の伊勢市駅始発で、車両は変わらずキハ25形1500番台・1600番台2連でした。先頭車両は半分ほどの座席が埋まっていた一方で、後方車両は空席が多かったため私は後方車両で着席しました。乗客は高校生が多かったです。道中は車窓風景を眺めて過ごしましたが、途中の松阪駅で14分間停車したため、私は一旦車外へ出て改札前にある駅弁業者「あら竹」の売店へ。有名な松阪駅弁である「元祖特撰牛肉弁当」(1,500円)を購入して車内へ戻りました。松阪駅でも対向列車の遅れが続いており、発車は3分遅れのままでした。松阪駅で半数ほどの乗客が入れ替わり、1両目は大半の座席が、私が乗る2両目は半数ほどの座席が埋まりました。今すぐにでも駅弁を食べたい心境ですが、やはりオールロングシート車両かつ一定数の客がいる中で食べるのは少々気が引けますw なので道中は引き続き車窓風景を眺めて過ごし、雲出川を渡り三重県の県庁所在地である津市に入って1駅目の高茶屋駅で下車しました。当駅の近くには「イオンモール津南」があり、若者を中心に20人ほどが下車して、その全てがイオンモールへと向かっていました。ちなみに「イオンモール津南」は前身の「イオン津南ショッピングセンターサンバレー」を改築したもので、更に前は単に「サンバレー」と呼ばれていて、ジャスコも入居していました。私は子供の頃に三重県津市にも住んでいて、何度も「サンバレー」へ買い物に行った記憶があります。高茶屋駅はイオンモールへの買物客が利用するため、一部時間帯において駅員が配置されています。
 
 

 

 
私は下車後、イオンモールに行って昼食を…とも考えましたが、次の列車までの時間が1時間と結構タイトだったので駅弁へと変更しました。駅と駅前を撮影後はホームのベンチで先程購入した駅弁を食べました。途中で箱が傾いたため、おかずが片側に寄って汁がこぼれてしまいましたが、味は以前と変わらず美味しかったです。「元祖特撰牛肉弁当」は7年ぶりに食べました。
 
 

  
もう昼過ぎで、そろそろ帰宅の途につかなくてはなりませんが、その道中も降り鉄を続けました。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません
 
 
(参考:Wikipedia)