天下の東海道本線にエギゾーストの咆哮。

近代的な電車が行き交う第一級の幹線に突如現れる時代から取り残された客車列車。12系客車ならまだしも、冷房無し、板張り、直角ボックスシートの旧型客車。諄いようですが、ここは東海道本線。

 

関西の方々ならお判りかと思いますが、この列車は純然たる東海道本線の列車ではなくて、福知山線の列車。 「THE JNR LEGEND」 のNo.653以来の取り上げとなります。いつ撮られたものかは分かりませんが、新大阪-大阪間の淀川橋梁だというのは判ります。神崎川橋梁じゃないですよね。つまり、宮原操車場から出庫した福知山線の列車が大阪駅に向けて回送されているところを撮ったのでしょう。

 

No.653と重複してしまいますが、昭和国鉄時代の福知山線はつい40年前まで電化されておらず、それこそ時代に取り残されたガラパゴスのような路線でした。今はね、尼崎からJR神戸・京都線、あるいはJR東西線に乗り入れて利便性を高めていますけど、この当時はどう頑張っても普通列車は大阪で打ち止めだったりします。

 

 

こちらは、昭和55年12月現在の福知山線の時刻表。

信じられないと思いますが、これで全部です。

この他にも篠山口-福知山間の列車もありますが、大阪発着に関してはこれで全部。これでは阪急宝塚線に敵うわけがありません。三田へももしかしたら、神戸まで行って神戸電鉄に乗り換えた方が早く着いたかもしれませんね。

この当時は福知山行きや三田行きがメインで、午前と午後を中心に山陰線に乗り入れて山陰方面に足を伸ばす列車もあったみたいですね。

青地に白文字の普通列車は通過駅があり、北伊丹、草野、南矢代を通過します。だから下り列車の草野駅を例に挙げると、8時27分に福知山行きの列車が発車すると、次は15時36分まで来ないということ。今は普通列車は全部停まるようになって、それも30分に1本の割合で列車が来るようになったから、隔世の感があります。

今では頻繁に運転されている快速列車もこの当時は1日2往復だけ。起終点を含めた停車駅は大阪、尼崎、伊丹、宝塚、三田、相野、古市、篠山口です (広野や藍本に停まる列車もあり) 。

福知山線を管轄していたのは大阪鉄道管理局なのか、福知山鉄道管理局なのかは判りませんが、通勤対策なんて考えていなかったんでしょう。それが変化するのはJRになってからです。

 

牽引するのは説明するまでもなくDD51形。

昔日はDF50やDD54も姿を現しましたが、DF50は彼方此方を彷徨う流浪機で、DD54は欠陥機関車の烙印を押されてしまったために昭和50年代前半までに姿を消して、DD51に統一されました。

機番は 「838」 と読めます。

800番代は全重連タイプながらSGを装備しないグループで、貨物列車の牽引が主な任務。この838号機もそのグループに属し、新製は昭和46年ですが、廃車まで吹田を離れませんでした。貨物列車の激減で仕事が無くなり、車齢が20年に満たない働き盛りでも淘汰されるようになり、838号機もJRに継承されること無く廃車されてしまいました。

福知山線の普通列車を牽引するDD51は、福知山機関区が担当するものと思っていましたが、吹田第一機関区配置機も牽引することがあったんですね。SGを装備しないので、おそらく夏場限定だと思いますが、窓を開けると熱風しか入ってこない21世紀とは違って、その頃はきっと、窓を開けると心地良い風が吹き込んでいたんでしょうね。

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアル No.972 (電気車研究会社 刊)

時刻表 1989年12月号 (日本国有鉄道 刊)

JR時刻表 2020年2月号 (交通新聞社 刊)