三江北線に入る気動車の横で下り列車を牽くD51の運転整備が続きます。
243号機は長門の機関車のようで集煙装置が着いていません。
1971年8月15日
キハ65の車内から浜田機関庫を望みます。
機関庫の妻壁は長年の蒸機の煙に燻され真っ黒です。
1972年8月8日
改札口からも機関区に憩うD51を見る事ができました。
集煙装置が着いていないのは長門の機関車
着いているのが浜田か米子の機関車でした。
1972年3月31日
この春から特急「やくも」の新設、「出雲」が特急に格上げされて鉄道に活気のある頃でした。
上りホームの向こう側には蒸気機関車の燃料の石炭が視界いっぱいに積まれています。
ホームの右には“桜田淳子”で当時流行したニットのキャップを被った女の子の姿もありました。
1972年3月31日
蒸機終焉の頃には大糸線時代に装着したと思われる長工式集煙装置を装備したC56126も浜田に転配され、三江北線にまで顔を見せるようになりました。
C56126の後ろにある大きな構造物は給水塔でしょうか?
1973年12月25日
当時は大きな駅のホームには洗面台が設置されていて、旅人は煤で汚れた顔などを洗って列車の発車を待っているのでした。
背後には転属して間もないC56126の姿があります。
1973年3月
雪の浜田駅構内で客車の入れ替え作業をするC56126
1973年12月25日
入れ替え作業の済んだC56126に石炭を積んでいます。
浜田ではこのように色々な光景が見られて列車の発車待ちをしている間も楽しいひと時でした。
1973年12月25日
本州最後の蒸機列車が走った日
浜田駅の西側には皆より一足早く着いて、あれやこれやとアングルを決めていたのに、この日ばかりは先着優先の掟は成り立ちません。一人が線路際に入ると、それに連られてナダレ込むように目の前は人でいっぱいになり、かえって印象深い写真を撮ることができました。(正直なところ、そのうち駅員さんが来て線路内の人たちは排除されると期待していたのですが、実際は時計台や留置されている客車の上まで登る人が現れ、お祭り騒ぎの賑わいでした。(^^)
1975年1月15日
さぁ、そんな事を思い出している間に、先ほどのD51243が牽く831レの発車時刻が迫って来ました。
三江北線の浜原まで行くキハ20の発車は16時48分なので、発車まであと20分以上あるので、のんびりとD51243が発車して行く様子を8mmで撮影してから三江北線の気動車に乗り込むのでした。
1971年8月15日
以下にD51243の付け替えや点検の様子、831レが浜田を出て行く動画を公開しています。
https://www.youtube.com/watch?v=XtebyeySaxg
最後まで御覧戴いて ありがとうございました。