西武鉄道 昭和50年代の券売機券(金額式券)

前回エントリーで西武鉄道で発行された昭和40年代に池袋駅で発行された券売機券を御紹介いたしましたので、今回は昭和50年代に同社で発行された金額式券売機券を御紹介致しましょう。


まずは1枚目です。


   

1977(昭和52)年10月に多摩湖線一橋学園駅で発行された、自社完結の金額式券です。黄色せいぶてつどう自社地紋の券紙が使用されています。この様式は同社の印版式による金額式券では最もポピュラーなもので、同社の券売機が設備されている駅であればどこにでもあったもので、昭和40年代からありました。
ただし、仔細に見てみますと、昭和40年代のものと比べ、「発売当日限り有効 下車前途無効」および「自(23)」という券売機番号、小児運賃の文字が小さく改版されています。


   

再掲しますが、昭和40年代の券と比較すると、文字が小さくなったことが判ります。
また、昭和40年代はスミインクが使用されており、発行された直後に触ると指にインクがついてしまうようなものもありましたが、昭和50年代になるとそれが改良され、水性のような色目の薄いインクに変更されています。


2枚目の券になります。


   

こちらは1980(昭和55)年4月に国分寺線鷹の台駅で発行された自社完結の金額式券です。
様式的には1枚目のものと同一ですが、券紙の色が異なります。これは連絡乗車券も発売できる券売機で発行されたもので、連絡乗車券を桃色地紋の券紙で発行する必要があったことから、券紙を1種類しかセットできない関係から自社完結券についても連絡券用の券紙を使用して発行されたものです。
当時の券売機は、自社のみ発売している券売機は黄色い券売機で、連絡乗車券も発売している券売機は桃色の券売機でした。そして、桃色の券売機で発行される券は、桃色の券紙が使用されていました。
券売機の台数のある駅では黄色と桃色の2種類の券売機が設備されていましたが、多摩川線の駅のように小規模で券売機が2台程度しかなく、また連絡乗車券の需要の多い駅では桃色の券売機しかない駅も存在し、そのような駅では黄色い乗車券の発売はありませんでした。


3枚目の券になります。


   

2枚目の券と同じ鷹の台駅で発行されたもので、発行された日は2枚目の券の前日となっています。黄色せいぶてつどう自社地紋の券紙が使用されています。
この様式は単能式(ひとつの口座しか発売できない機器)券売機で発行されたものです。単能式券売機券は同社の金額式硬券乗車券に様式がよく似ています。

単能式券売機では1口座(ここでは70円区間)だけしか発売できず、また小児用券も発売できませんでした。同駅は国鉄中央本線国分寺駅から最短区間の駅で、なおかつ国分寺駅までの需要が圧倒的に多いため、単能式券売機が比較的末期まで残されていましたが、あまり需要の多くない口座を単能式券売機に収納すると稼働率が悪くなり、最悪の場合、乗車券の購入者で混在していても単能式券売機だけ行列ができないという欠点が多く、旅客が求める任意の口座をボタンを押すことで選択できる多能式券売機が主流となっており、単能式券売機は殆ど姿を消してしまっておりましたので、この様式は比較的レアでした。

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