皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

最近忙しいので模型弄りはちょっとお休みです。なぜなら一旦手を出すとキリの良いところまでやらないと止まれませんから。しかも店を広げると片付けるのも面倒です。模型加工される方は色々なタイプがいると思いますが、私はある程度まとまった時間の取れるときに一気に進めるタイプですので加工はしばしおあずけです。

 

ということで久々にキハ58系急行紹介と模型化のポイントを書きたいと思います。今回は急行「宗谷」です。

 

先日、1978年の「ゴーサントオ改正」直前の時刻表で長時間走行する急行をご紹介しましたが、北海道からランクインした急行の一つがこの急行「宗谷」です。もう一つの急行「ニセコ」は上りのみが根室~函館間走行で、ちょっと異端な運用でしたが、「宗谷」は1981年10月のダイヤ改正まで上下とも函館~稚内間の運転でした。

 

急行「宗谷」は流転の急行列車で、それまでの準急を格上げして1961年10月1日改正で急行「摩周・オホーツク・宗谷」としてキハ56系で新設されました。その後需要の増大により編成を増強することから1964年10月1日改正で単独運転となり、この際に基本編成が稚内行き・付属編成が旭川止まりとなり、このスタイルは1981年10月1日のダイヤ改正まで続きました。しかし、同改正では「新千歳空港」の開港により道内優等列車の運行が函館中心から札幌中心へ方針転換が進み、当急行も函館~札幌間を特急「北海」に格上げし、運転区間は札幌~稚内となります。この後2000年の特急格上げまでの間運転区間は変更ありませんが、使用車両に面白い変化があります。それまで急行「宗谷」はキハ56系気動車を使用していましたが陳腐化が進んでおり、また特急の走っていた石北本線・根室本線と違い宗谷本線は急行しかなく格上げの気配も見られないので、同急行のレベルアップが望まれました。そこで、普段稚内と札幌で寝ている夜行急行「利尻」の14系客車編成を極力活用することとなり、これと座席のみの14系編成をもう1本用意して、急行「宗谷」と「天北」は1985年3月ダイヤ改正で14系客車に置き換えられました。この時代に昼行の客車急行が新たに生まれるというのは大変異例な事態でした。しかしその裏でスピードは犠牲になっており、キハ56時代に比べて走行時間が伸びてしまっています。そしてこの形態のままJRに継承されますが、JR化後の積極的な営業施策により当急行のスピードアップを含めたテコ入れが行われることとなり、新たにキハ40系を強馬力化&アコモ改造したキハ400系に置き換えられます。これは札幌駅高架開業した1988年10月のことでした。キハ400系は運用上必要最小限しか改造されませんでしたので、繁忙期には頻繁にキハ56が増結され同形式は3年半ぶりに急行「宗谷」に返り咲きます。その後は1989年に天北線の廃線により相棒の急行「天北」は宗谷本線経由となり急行「宗谷」は2往復となりますが、程なく地元の観光政策から1往復は同じ運行形態ながら急行「サロベツ」と改名されました。また、夜間稚内及び苗穂で滞泊する編成を活用し夜行急行「利尻」の気動車化を行うこととなり、同急行もキハ400系化されました。そして宗谷本線はキハ400系を主とする「宗谷」「サロベツ」「利尻」と、キハ54を使用する「礼文」の4種もの急行が走る豪華路線となっていました。しかし2000年に宗谷本線の高速化事業の完成に伴い特急格上げされ急行は消滅したのは記憶に新しい!?(新しくない!?)です。

 

歴史の話が長くなってしまいましたが、最盛期の末期、函館~稚内を結んでいた末期の1980年頃の編成を見てみましょう。といっても1970年頃から編成はあまり変わっていませんが…。

 

稚内 <キハ56+キロ26+キハ27>+<キハ56+キハ27+キハ56>+<キハ27+キハ56>旭川止

 

基本6両、旭川止まりの付属2両、1エンジン:2エンジン比率1:1の非常にシンプルな編成でした。基本編成は函館の運用、付属編成は旭川の運用でした。

 

「なんだ、別に取り立てて注目すべき点は無いじゃん。Tomixのキハ56系を普通に8両繋げばいいのでは?」と思えそうですが、実はそうは簡単にはいきません。そのポイントは、基本編成は函館担当、付属編成は旭川担当という点です。

 

北海道のキハ56系の配置は1976年以降1980年頃までほとんど変わりません。1980年4月の函館と旭川のキハ56系の配置を見てみましょう。

 

函館

キロ26:101~103、201~203

キハ27:12、13、21、42、43、101~107、213、214

キハ56:9、21、24、25、38、107~116、138~140

 

旭川(キロ26を除く)

キハ27:6~8、10、18、19、23、24、41

キハ56:5、10~15、120、121

 

うーん、Tomixさんが模型化しているのは、

 

キロ26 104~107

キハ27 113~118(昨日の検証で通風器を6個にすれば108~112、通風器を左右逆にし尾灯外ばめにすれば119~124)

キハ56 117~120(通風器6個)、121~124(通風器8個)、また尾灯を外ばめにすれば125~137

 

となっており、ほとんど外しています(泣)。 そのまま使えそうなのは旭川のキハ56 120と121しかありません。

 

では解決策を考えてみましょう。まずグリーン車からです。

 

キロ26は、函館には5次車の101~103と、モデルチェンジ車である17次車の201~203しかいません。

 

まずはキロ26の5次車です。

キロ26 5次車(101~103)はキロ28 5次車(101~108)と同じく、0番台からの流れで元非冷房車です。よって屋根は高く冷改後はクーラー脇に通風器が付いています。また機関予熱器・水タンク類は初期タイプとなっています。妻面は貫通扉がありません。また機関冷却水給水口は前位寄りにあります。よって模型からこのグループに改造しようとすると、

 

・機関冷却水給水口を移設

・車体裾の強制換気ルーバーを削る

・妻面の貫通扉を除去する

・妻板は、屋根の高さ及びRが異なるので改造

・屋根自体は高屋根に改造。通風器付きの屋根に改造

・床下は幸い模型が間違っているおかげで改造しなくて済む

 

となり、屋根高さ変更や貫通扉除去などのヘビーな改造が必要です。

 

ではキロ26 201~203は…

う~ん、こっちの方がTomix製品のキロ26 104~107に似ているかな。

 

実車の200番台の104~107との相違点は意外と少なく、妻面が4VK搭載準備となり冷房用ジャンパ栓を付ける窪みができたこと、便所窓が横長の長方形になったことくらいです。あと、このキロ26 200番台は1969年10月1日から1970年2月28日までの間特急「北斗」のキハ80系の代走を行ったことから、屋根上にキロ80やキロ182のごとく青函連絡船アンテナが付いています。これは超レアなアイテムです。キロ26でこれが付いているのはこの201~203の3両のみです。しかもこの特急代走時の半年間しか使っていないと思われるのに、廃車間際までそのまま付いていました。よってこのグループを模型から改造して作ろうとすると…

 

・便所窓を横長にする。

・床下機器配置は104~107と同じであるが、模型の表現が間違っているので、先日紹介した方法で機関予熱器と水タンクを改造する。

・屋根上に青函連絡船アンテナを取り付ける。(実はTomixからキロ182用の分売があり) キロ80やキロ182の写真を見ると2つのアンテナ間に配線が設置されているが、キロ26の場合の詳細は不明。恐らく同様に配線があると思われる。

・気力が有れば、妻面を改造してKE8・KE53C取り付け準備工事用の窪みをつける。

 

となります。こちらも便所窓の加工が有りあまり簡単ではありませんが…。でも101~103を作るよりは簡単そうですよね。

 

というわけで、まずキロからして面倒くさそうです。いきなりめげそうです。しかもキロ26ってどこで手に入るのでしょう?? 超レア品ですよね。。。

 

という訳で、キロ26をご紹介したところで夜も更けて参りました。最近根性無し忙しいので続きのキハ56・27は次回としましょう。

 

では皆様続きをお楽しみに!!

 

 

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