2020年8月31日…大津市におの浜で76年11月のオープン以来約44年にわたって地元客に親しまれてきた西武大津店が閉店します

滋賀県は西武グループの創始者である堤康次郎の出身地であることから、関西では高槻店に次いでの開店となりました

 

京都や大阪の中心部ではなく、関西に出店するにあたって大津市が選ばれたことは、西武グループにとって滋賀県が重要な場所であることを物語っています

その証拠に、この西武大津店はかなり気合の入った建物になっています

 

 

まず建物の外見で目を惹くのは、建物から大きく張り出した非常階段の存在です

この大津店がオープンする前に、千日デパート火災(72年)や大洋デパート火災(73年)などがあったことから、非常階段の存在を利用客に分かりやすくアピールする狙いがあったものと推測されます

 

 

少し離れたところから見ても抜群の存在感を誇るこれらの非常階段ですが、間近で見るとより迫力が感じられます

ということで、玄関横にある階段を登って2階へ行ってみます

 

 

 

 

 

 

2階のテラス部分へとやって来ました

遠くから眺めるとは違い、近くで見るとインパクトがすごい上に、建物全体から生命力のような力強さがひしひしと伝わってきます

 

ちなみに、この建物をデザインしたのは、黒川紀章氏らと共にメタボリズムと呼ばれる潮流を提唱していた菊竹清訓氏の手によるものです

 

これだけでも十分お腹がいっぱいになりそうですが、実はこのレゴブロックのような非常階段は建物の両側に設けられています

さきほど掲載した写真のは西側のものなので、今度は建物の東側に行ってみましょう

 

 

 

 

 

東側も同様に階段が建物から突き出したデザインとなっていますが、数が少ないので視覚上のインパクトは西側に比べて劣っています

 

数ある建築作品の中でも、非常階段をメインテーマに据えた作品は、ここを差し置いて他にはないでしょう

ちなみに、熱い眼差しでこれらの階段群にレンズを向けていたわけですが、そんなことをしていたのは私1人だけでした

 

引退前に鉄道ヲタクが湧いてくるように、ここも閉店前は名残を惜しむお客さんで賑わったのでしょうか?

残念ながら、いまは大津市に住んでいないため、確かめる術はありません

 

 

 

なお、この建物の道路側に面した方は、ひな壇状になっており、こうしたテラスのようなスペースがあります

当初は、ウィンドウショッピングを楽しんだり、イベントを実施したりする使用方法を想定していたようですが、いまでは中途半端な感は否めず、空間を持て余し気味です

 

なお、2階と6階のテラス部分は立ち入れますが、それ以外はチェーンで仕切られ立ち入り禁止になっており、ばっちり監視カメラも稼働しています

ということで、非常階段とテラスの観察もほどほどにして、今度はレストラン街の方へお邪魔してみます

 

 

 

 

 

6・7階部分は吹き抜けになっており、開放的な空間が特徴となっています

エスカレーターの横には、何やら三角錐の目立つ構造物がありますが、これはバードパラダイスと呼ばれる鳥が飛び交っていた温室の名残です

 

7階部分には、吹き抜けの周りに沿うようにして飲食店が営業しています

ちなみに、この吹き抜けですが、琵琶湖の形を参考にしていて、そこを結ぶ通路は琵琶湖大橋を模している…という話が従業員の間でまことしやかに語り継がれています

 

 

レストラン街を歩いていて、ふと目に留まったのがこちらのエレベーターです

その重厚佇まいは貫禄があり、ここが”百貨店”という特別な空間であることを認識させてくれます

 

さきほどのエレベーターもそうですが、この西武大津店には百貨店が小売業界の王様として君臨していた華やかなりし頃の雰囲気をいまに伝えています

例えば、電飾やサイン類は昭和の香りを色濃く残しているものが多く、見ていても飽きることがありません

 

 

 

さすがに閉店間際ということもあって人影もまばらですが、それ以上にせっかくのショーウィンドウもがらんとしていて少し寂しいですね

 

 

 

 

西武大津店で私が一番好きな場所が、1階通路部分をやさしく照らすこの電飾です

1階の通路なのに、看板には7Fレストラン街としか書かれていないので、見つけるのにかなり苦労しました

 

 

 

 

こちらは、6階テラス部分に設置されているレストラン街の案内看板ですが、フォントやピクトグラムなどどれをとっても昭和遺産と呼ぶに相応しい秀麗さです

 

MorozoffやRF1など、スーパーやイオンモールにない店も多く、大津市に住んでいた頃は時折利用していた西武大津店

買い物客が京都へ行ってしまうのが今も昔も大津の課題で、いまや電車に10分乗れば圧倒的な品揃えを誇るジェイアール京都伊勢丹に着いてしまうわけです

 

さらに、近江大橋が13年に無料化され、対岸にあるイオンモール草津に行きやすくなったことも、遠からず影響していることでしょう

3年前の17年にパルコが閉店し、さらに西武までもが閉店することで、大津はますます住むだけの街になってきたような気がします

 

この土地は既に長谷工コーポレーションが取得しており、現行の建物を取り壊した後にマンションになる予定です

昭和モダン建築がまた1つ姿を消すだけでなく、大津市は山形市や徳島市と共に百貨店のない県庁所在地となります