国鉄磐越西線の記憶 路線のこと その4 | スプーンの気まぐれ日記

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ヤフーブログから引越して来ましたが、すでに日記ではありません。「気まぐれ」ですから、投稿は密になることも疎になることもございます。
海峡は本日も「ねんどろ」でしょう。健康のために多少の鉄分も摂ります。

磐越西線から只見線へは3番、4番ホーム経由で直進できますが、本線はスイッチバックします。平成の時代に郡山から会津若松の先に直通する列車はぐっと少なくなり、それも喜多方までが日に数本というダイヤです、・・・現在も。

 

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当時は女性のアナウンスが印象的でした(男性の時もありました)。『あいづわかまつー』を3回から4回繰り返しましたね。2番3番ホームの郡山方に放送室がありました(画像は8mmフィルムより)。

 

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ED77のジャンパー栓が固くて差し替えは力が要るそうです。(画像は8mmフィルムより)。

 

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今でこそ行き止まりですが、機回しのための引き上げ線が並んでいました。(画像は8mmフィルムより)。

 

1番ホームが下り本線、2番ホームが上り本線となっていますが、たすき掛けで柔軟に使用されてるのは昔も今も変わりません。かつては貨物ターミナルや仕分け線がありましたが、今は東側を郡山方向に伸びる引き上げ線がその名残りです。

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ED77が離れると同時にDD51が近づいて来ます(画像は8mmフィルムより)。

 

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寒い時期はSGを使うので、栓を締めるハンマーの音が響きました(画像は8mmフィルムより)。

 

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旧型客車の晩年はスユニ50が入ってきたため、バランスが崩れたという見方もありましたが、これはこれで良かったと思ってましたね、当時は。

 

さて駅のことは別項に譲りまして新津に向けて発車したいと思います。下り列車ですから1番ホームから発車します。・・・まあ貨物は中線からですけれども。

左手に車両基地を眺めながら構内を出ると緩やかな下り勾配になります。

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DD51512_02.jpgばんえつ物語は惰行することが多いようですが、DD51はぐんぐんスピードを上げて国道49号線のガードを潜って左にカーブしたその先まで力行し、80Km/hを越えるまで、急行電車と気動車は95km/hまで加速しました。風に乗って飛んでいく甲高い汽笛が今も耳に残っていますね。

 

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秋から春にかけて客車からはSGの煙が上がってました(画像は8mmフィルムより)。

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旅情をかき立てる規則正しいレールのリズムは、ロングレールに更換されて喜多方までは限られた区間でのサウンドになりました。それは「あがの」の冷房が使用され始めた頃か客車列車終焉のタイミングだったでしょうか、蒸気機関車末期のC11が熱塩行きや野沢行きの客車列車が確か最高速度75km/hで走っていたのもすでに伝説の世界です。

 

列車が北に向かうにつれて、右手に見えていた磐梯山が猫魔ヶ岳に隠れて、頂上だけが覗いています。堂島、及川と2つの無人駅(ガソリンカー時代に設けられた停留所)を通過して国道121号線をアンダークロスするとスピードを落として右にカーブ。

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日橋川を渡って塩川に着きます(画像は8mmフィルムより)。

 

若松を19時過ぎに出発するC11牽引の1233レの車窓からは日橋川に架かる国道の照明がきれいに映っていました。磐越西線の橋梁は以前は赤いプレートガターでしたが、昭和47年頃に北側の現在の橋梁に付け替えられました。塩川駅構内へのアプローチは少し変わりましたね。セメントターミナルはSLが全て引退した後に開設されました。塩川を出るとゆるい左カーブを登って列車はスピードを上げていきます。左手には喜多方駅の南側にある昭和電工の横に長い工場が見えてきます。姥堂、会津豊川の無人駅(旧停留所)を過ぎて田付川を渡ると左にカーブして間もなく喜多方です。

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通学を除けばスプーンめがいちばん利用した駅です(画像は8mmフィルムより)。

 

およそ3週間めの更新です。遅々としてすみませんです。