みなさまおはようございます。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

何だか物騒なタイトルですが別に子供が誘拐された訳ではありませんのでご安心ください。ただ私は全然安心できません…。

 

実は先日29日にウチのキハ58系在庫の整理を行い無事完了したと思っていたのですが、車両が1両足りない!?ような気がしてきました。それはキハ28の4VKを搭載しない冷房車です。

 

先日24日に車両を数えた時には、キハ28の4VK無し冷房車は2両あったはずです。

 

↑赤丸で囲ったのが当該車両です。この写真では床下までは見えませんが、前から残数は把握していたのでこの2両で間違いないでしょう。

Assy組立含め元々4両いて、2両は急行「ときわ・奥久慈」に入れたので2両余っていたはずなので一致しています。

 

そして、先日の急行編成を整理した際に、急行「わかさ」用に1両確保したので1両余っているはずです。

 

↑24日に車両を割り振りした際にも1両余るはずと出ています。

 

しかし、29日未明に実際に車両を整理して列車別に箱詰めした際には…

 

↑…キロ28 2両とキハ65 1両しか余っていません。

 

キロ28は24日の急行整理予定を決めた後の増備で増えており、またキハ65は「出島・西九州」を新たに整備予定に加えたために1両減っています。しかし用途の無いキハ28 4VK非搭載車は必ず1両余る筈なのです。いったいどこに行ったのでしょう??

 

↑ウチの車両ケース類の中を全部見てみましたが、出てきません…。

 

恐らくですが、ちょうど車両の振り分けをした日、ゴミの日でした。ここで不要な車両ケース(主にTomixの旧タイプのケース)を捨てています。この時に実は中に車両が残っていたのでは!?ということくらいしか考えられません…。あぁ何ということ…。

 

ということで、皆様不用品のゴミ出しをするときには、中身が残っていないかどうか気を付けましょう!!

 

ちなみにこのキハ28 4VK非搭載車、残っていた1両は九州の普通列車として使うつもりでした。この九州に渡ったグループについてちょっとついでに考察してみましょう。なおキハ58形もそうですが、キハ58系の冷房化については今のような情報化時代ではないのでその時期や施工工場について詳細が不明なものが多いまま現車は居なくなり現在に至っています。よって以下の考察は推測を含んでいることをご了承願います。

 

キハ28の4VK非搭載冷房車は当初水戸と千葉のみにおり、総武本線電化前の1974年の時点で以下の車両がいたと推測されています。

 

水戸:キハ28 24、83、370

千葉:キハ28 29、34、38、52、54、62、71、72、75、77、(80?)、92、120、121、127、151、175、176、193、(195?)

千葉のカッコ付きの車は当時4VK非搭載冷房車だったのか、非冷房車だったのかイマイチ明確ではありませんが恐らく冷房車。

 

そして、水戸の車はそのままずっと水戸に在籍し最期を迎えますが、千葉の車は1975年の総武電化により各地に散ります。

 

29…金沢経由で七尾に行った後、冷房化末期の1979年に4VKを取り付け2029へ改造。

34…新潟に転ずるが4VK取り付け無し。その後長野・七尾と転じ最後は敦賀で廃車。

38・52・54…水戸に転じ4VKを取り付けないまま廃車。

62・71・72・75…敦賀に転じ急行「わかさ」で活躍。しかし1980年に4VK搭載車が転入すると玉突きで竹下に転じ、主に普通列車で活躍後廃車。

80…豊岡に転じ1977年に4VK取り付けて2080へ改造。

92…名古屋経由で七尾に転じ、冷房化末期の1980年に4VKを取り付け2092へ改造。

120…美濃太田経由で七尾に転じ、冷房化末期の1979年に4VKを取り付け2120へ改造。

121…秋田に転じ、冷房化末期の1979年に4VKを取り付け2121へ改造。

127…直方に転じ、1975年に4VK取り付けて2127へ改造。その後1976年に名古屋へ転属。

151…長野に転じ1977年に4VK取り付けて2151へ改造。

175…豊岡に転じ1977年に4VK取り付けて2175へ改造。

176…直方に転じ、1975年に4VK取り付けて2176へ改造。その後1976年に名古屋へ転属。

193…直方に転じ、1975年に4VK取り付けて2193へ改造

195…豊岡に転じ1977年に4VK取り付けて2195へ改造。

 

このうち興味深いのは、1979年時点で七尾にいた4VK非搭載車は、同年度でキハ58系の冷房化が中止されるのを受け駆け込みで4VK搭載を行いました(92・120)が、敦賀にいた4両(62・71・72・75)は七尾から4VK搭載車を受け入れ転出してしまいます。しかも転出先は九州竹下です。九州では1975年の総武電化の際に直方へ3両転入(127・176・193)し転入直後に4VK搭載が実施されましたが、この1980年に敦賀から転入した4両は、4VK搭載されず専ら非冷房車扱いで普通列車用として活躍しました。一部篠栗線快速でキハ65と組んだり、急行「平戸」に入ったりした記録が残っているのでこの際は冷房を使った可能性が無くはないですが、多くはキハ58非冷房車やキハ35系と組んでローカル運用に就くという可哀そうな扱いでした。個人的な感想ですが当時東北には非冷房急行が多く残っており、4VKを搭載して東北へ投入し、代わりに東北の非冷房車を九州に送り込んでも良かったのではという気がしなくもないのですが、東北の気動車急行も1982年の東北・上越新幹線開業で大幅に削減されることが予定されており、余計な出費は避けたかったのでしょうね。急行廃止後は普通列車に転用することが見込まれており、当時の普通列車は非冷房が当たり前でしたから。

 

話が長くなりましたが、1両余る予定であったキハ28 4VK非搭載車はキハ35やキハ58非冷房車などと組み合わせてローカル運用で使うつもりでした。まぁ居なくなってしまったものはもうどうしようも無いのですが、これを補充しようかどうか…。まぁ普通列車用ですしそのままにしておきますかね。

 

という訳で、皆様もゴミを捨てる際はハコの中に何か残っていないか、また本当に不要車両かどうか確認しないといけませんね!

 

 

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