二本木駅で乗客の乗降を済ませた列車後退してスイッチバックに入ります。
 これから進む右へ分岐する本線を横目に下がっていきます。
 そして再び前進して本線へと向かいます。


 かつて特急「あさま」時代には見向きもせずに通過していた二本木駅でスイッチバックをして丁寧に停車するようになった189系…その心中や如何に?

 次の新井駅で下車して後続の快速「くびき野」に乗り換えました。
 結果として189系への乗車はこれが最後となりました。
 北陸新幹線金沢開業に伴って189系を使用した普通列車「妙高」は廃止、信越本線からはイベント的に運転された臨時列車を除いて撤退、東京の豊田車両センターに転属していた編成が中央本線の臨時列車に使用されていた編成も相次いで廃車となり故郷のJR東日本・長野総合車両センターへ回送されて解体され、長野で最後まで残っていたN102編成も篠ノ井線の朝の座席定員制快速列車の「おはようライナー」として最後の活躍をしていましたが、廃車となって長野総合車両センターの解体線で留置されています。
 後から長野へ廃車解体のために回送されてきた東日本エリアの車両やしなの鉄道の115系が早々に解体されてゆくなかでまだ解体されずに留置されたままになっているN102編成…願わくば何らかの形で残してほしい(できれば車籍復活!)ものです。

 晩年は篠ノ井線や中央本線で余生を過ごした189系でしたが、乗車する気が起こらなかったのは、私の中で「信越本線こそが189系の舞台である」気持ちがあったからでしょうか?

 信越本線の輸送力増強の使命を担って1975年(昭和50年)にデビュー、共通運用で中央本線の特急「あずさ」にも使用されたりしましたが、碓氷峠でのEF63型電気機関車のと協調運転など信越本線のための形式だったのですから…。

 祖父母や伯母に会うために上野駅から黒姫駅や妙高高原駅を往復するたびにお世話になった189系をはじめ169系急行型電車や489系特急型電車…車両形式末尾「9」のトリオには特別な思い入れがありました。
 だからこそ189系の最後の乗車は信越本線で終わらせたかったのかもしれません。