その5(№5246.)から続く

今回は「関西三空港」の老舗、大阪国際空港(伊丹空港)を取り上げます。
伊丹空港は、東の羽田と双璧をなす西の拠点空港として、国内線は勿論のこと、国際線も捌いていましたが、平成6(1994)年9月に開港した関西国際空港(関空)に国際線が全て移された後は、「国際」空港の名称こそ残されたものの、実際には国内線専用空港として機能しています。東の羽田も、昭和53(1978)年の成田空港の開港に伴って、伊丹と同様に国際線をそちらに譲っていますが、こちらは成田空港開港の32年後、平成22(2010)年から再国際化がなされ、国際線の発着が本格的に復活しました。それまでにも台湾のエアラインだけは、細々と羽田に発着していましたので、実は成田空港開港後も、羽田空港からは国際線の発着が全くなくなったわけではありません。これに対し、西の伊丹は、本当に国内線だけの発着になってしまいました。伊丹発着の国際線の復活、即ち伊丹空港の再国際化も関西財界などが働きかけているようですが、今のところ実現の緒にはついていません。
それでも大阪中心部や神戸への距離の近さから、国内線の拠点としての伊丹空港の重要性は変わらず、国内線のみの発着になったとはいえ、以前と変わらぬ活況を呈していました。

伊丹空港への鉄道アクセスは、構想自体はかなり古くからありました。
当初は大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)の四つ橋線を西梅田から北へ延伸し、伊丹空港まで伸ばすという計画がありました(路線はさらに北西の北伊丹までの延伸が考えられていた)。昭和40年代には、空港利用客の増加に呼応するかのように、阪急電鉄がアクセスルートの計画を発表します。阪急の計画は、空港の近傍を通る宝塚線から分岐させて新線を建設…というものではなく、何と、神戸線の神崎川から新線を分岐させ、伊丹空港へほぼ一直線で達するという驚愕すべきもの。しかし、阪急のこの計画は頓挫してしまいました。その理由は、当時の阪急神戸線の列車密度が非常に高く、空港アクセス列車を割り込ませる余地がなかったことでした。
阪急宝塚線以外にも、伊丹空港の近傍を通る鉄道路線として、国鉄(→JR)福知山線があります。そのことに着目したのか、平成初期には、福知山線伊丹駅付近から分岐させて新線を建設するという「大阪国際空港広域レールアクセス」計画が提唱されたこともありますが、こちらも立ち消えになっています。

それではなぜ、伊丹空港への鉄道アクセス計画が、実現しないまま終わってしまったのか。
勿論、路線そのものの採算性などの問題もあるにはありますが、それよりも大きな理由は、伊丹空港そのものの命運が不透明だったことです。伊丹空港は、国内線ばかりか多くの国際線も発着していたことから、既に1970年代にはかなり発着便数が過密になっていましたし、それに起因する騒音問題の深刻化、さらにその騒音問題を近隣住民が裁判を起こして争ったことなどにより、「新空港(当初は現在の関空の位置に作ることは決定していなかった)と引き換えに伊丹空港は廃港とする」という方針が検討されることになりました。
こうなると、将来廃港になるかもしれない空港になど、アクセス鉄道を建設するだけ無駄ということになります。そのことが、アクセス鉄道の建設計画が立ち消えになった最大の理由です。
結局、平成2(1990)年に「新空港(現関空)が開港しても伊丹空港は存続する」という方針が決定し、伊丹空港は廃港を免れることになり、現在に至ります。

結局、伊丹空港への鉄道によるアクセスが実現したのは、新規開港の関空開港に遅れること実に3年後、平成9(1997)年のこと。それも普通鉄道ではなく、モノレール(大阪モノレール)での開業となりました。もっともこれは、伊丹空港の存続が決定したからアクセスルートを急ごしらえしたわけではなく、もともと空港の存廃とは無関係に、構想自体は以前からあったということです。
それはいいのですが、大阪モノレールはもともと、大阪中心部から放射状に延びる既存の鉄道路線を相互に結ぶための路線。そのため、この路線は、梅田や難波といった大阪の中心部には直行できないという弱点を抱えていました。大阪の都心部へ直行するには、蛍池で阪急宝塚線か、千里中央で北大阪急行線に乗り換える必要があり、その点は弱点となっています。航空旅客は大荷物を抱えているのが常であることから、そのようなお客は乗り換えのないリムジンバスを指向しますし、現にリムジンバスでも梅田まで約30分、難波まで約45分という距離では、リムジンバスも依然活況を呈しています。

さて、伊丹空港存続決定~大阪モノレール乗り入れ後も「大阪中心部に直行できる鉄道がない」問題は依然残っていたわけですが、平成22年には今度は当時の大阪府知事が「伊丹空港廃港計画」を再度唱えます。これは伊丹空港を廃止し、その土地の開発・売却益で関空と大阪市中心部を結ぶリニアモーターカーの整備計画とセットになっていたそうですが、これでまた、「鉄道によるアクセスルートの整備」の問題は下火になってしまいました。
再燃したのは平成24(2012)年以降で、今度は阪急宝塚線の曽根駅から分岐させ、新線を建設するというもので、もしこれが実現すると、伊丹空港から梅田までが20分以下で結ばれることになります。
しかし、単独での整備では黒字化は難しいという試算があり、他の路線(なにわ筋線・なにわ筋連絡線・新大阪連絡線)と同時に整備したとしても、やはり開業後40年経過しても黒字化は困難という試算結果となりました。「なにわ筋線」はJR新大阪とJR北梅田・南海新今宮を結ぶもので、こちらは令和13(2031)年春の開業を目指し工事にも着手されていますが、あとの2つ「なにわ筋連絡線」「新大阪連絡線」の開業時期は未定となっています。伊丹空港への連絡線は、これらとセットで整備されるべきとする考えが強く、もしそうなら実現にはかなりの時間がかかるものと考えざるを得ません。平成29(2017)年ころには実現に向けて盛り上がったようですが、現在は落ち着いてしまいました。

伊丹空港がその利用者数の割に鉄道によるアクセスが貧弱なのは、やはり政治と社会情勢にあまりにも翻弄されすぎたからではないかと思われてなりません。1970年代に騒音問題の深刻化が顕著になったときには、裁判の原告や世論の手前、アクセス鉄道の整備など大っぴらに主張できるような空気はなかったであろうことは、想像に難くありません。まして伊丹空港の廃港問題まで取り沙汰されるようになってしまっては、なおさら整備には後ろ向きにならざるを得ないでしょう。存続が決まってもなお、時の大阪府知事が廃港をぶち上げるに至っては、何をかいわんや。航空行政が国レベルでの所管事項であることは勿論、伊丹空港は大阪府内のみにあるものではありません。同空港は、大阪府豊中市・池田市だけではなく、兵庫県伊丹市にも跨っています(だからこそ『伊丹空港』なのだ)。だからこの空港の存廃は、大阪府という一自治体の長が判断できる・判断してよいものではないと思うのですが、当時はそのような冷静な議論は困難だったように思います。
大阪モノレールがあるからいいじゃないか、と仰る人もあるでしょうが、やはり日本第二の大都市の玄関口となる空港に、鉄道で大阪市中心部へ直行できるアクセスルートがないことは残念ですし、航空その他交通行政の貧困さに忸怩たる思いを抱かざるを得ません。

最後は政治的な話になってしまいましたが、鉄道愛好家であり航空愛好家でもある管理人としては、阪急電車が伊丹空港のターミナルビル直下に乗り入れる姿を夢想せずにはおれません。そしてそれが、単なる夢想では終わらないことを願っています。

次回は、地下鉄が空港に乗り入れた、福岡空港を取り上げます。

その7(№5261.)に続く
 

※ 一部本文を訂正しました。なお、当記事はこちらのページ(https://trafficnews.jp/post/87494)を参考に作成しました。