Kさん撮影:蒸機現役時代 北海道 1973-74年 函館山線・室蘭本線 D51旅客列車 | D51338の ほぼ蒸機ブログ “NO STEAM, NO LIFE!”

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物心がついた時から蒸気機関車が好き。
1970年代に撮った写真はプリントでわずかに残るのみ(泣)
今は関東近県の復活蒸機を撮影するのが楽しみ。
そんな写真を載せたいと思います。
D51338は故郷、飛騨高山にいたカマです。

Kさんシリーズ、今日は函館本線(山線)と室蘭本線のD51旅客列車とのことです。
D51というと貨物用で客レはC57という路線もあったりD51が客貨両用という路線、時期もあったようです。代理投稿 by D51338 
 
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Kです。「特別な夏」の間にお届けしてきた北海道の現役蒸機の写真シリーズ、全16回のうち今回が13回目。競馬に例えるとそろそろ第4コーナーを回って直線の入り口に差し掛かっています。

直線の叩き合いを前に今日はちょっと力をためて、1973(昭和48)年から74年にかけて撮影したD51旅客列車の写真をお届けします。

当時の北海道では、宗谷本線のC55、室蘭本線のC57、石北/釧網/根室本線のC58のようにC型蒸機による旅客列車はまだ数多く運行されていましたが、D51牽引の旅客列車も函館本線の長万部-小樽(山線)で運行され(1973年9月末DL化)、室蘭本線の室蘭-岩見沢間でもC57のほかにD51が牽引する旅客列車も何本か設定されていました。

① 函館本線 銀山駅 1973.8.4 

夏の北海道旅行のとき、希望する青森行列車の指定券が取れず、結局上野発朝6時台の常磐線回り臨時急行(十和田51号?)に乗車、13時間も旧型客車に揺られ夕方青森に着いたことがあります。

そこから青函連絡船を乗り継ぎ、函館発の夜行普通43列車に乗ると銀山駅には朝6時前に着きます。
この列車はこの後撮影した列車の並びから見て、銀山駅6:46発の上り普通130レだと思いますので、昼間の旧型客車急行に飽きるほど乗ったのはこの年のことだったかもしれません。
② 130レの発車の後追い撮影です。

機関車は長万部区のD51365。この年1973年9月10日に廃車になっていますので、かなり最後の方の記録になっているかと思います。
③ 同じ銀山駅で、8:35発の下り137レの到着シーンだと思います。列車を待つ乗客の服装が皆白系統で、夏の朝らしい雰囲気の写真になりました。機関車は小樽築港区のD51465。

先ほどのカマとちょうど百番違いですが、こちらはその後名寄→追分と転じ、1975年12月24日の夕張線蒸機最終列車の日まで活躍したD51の一両となりました。
④ この後上目名に貨物列車を撮影に行き、倶知安まで戻るためキハに乗車中に比羅夫駅で荷客42レと交換するところを撮影しています。写真は不鮮明ですが機関車は長万部区のD51346。

終生を北海道で過ごしたカマで、この撮影直後の8月10日に北見区に転属し1975年2月まで石北本線の常紋越えの区間で活躍。

最後まで山男だったようです。
⑤ 倶知安-比羅夫 

この後倶知安駅近くの鉄橋で、倶知安17:46発の上り132レを撮影しています。

手前の川岸が工事で掘り返されていたのが少し残念ですが、背後には後志地方のシンボル羊蹄山がきれいに見えていました。
⑥ 室蘭本線 遠浅-沼ノ端 1973.8.5 

ここからは室蘭本線のD51です。

室蘭方面への上り普通列車、荷物車3両+客車4両の編成です。機関車は不鮮明ですがD51104のように見えます。1972年まで酒田区に所属。その後五稜郭→鷲別→岩見沢と移ってきましたが、シールドビーム副灯に切り詰めデフの北海道仕様に改造されています。
⑦ 栗丘駅 1974.8 ここからは翌1974年の撮影です。

この日は午後いっぱい栗丘-栗山の有名撮影地で過ごし、日が沈みそうな時間の18:45発 835レに乗車し追分に向かいました。列車の先頭に立つのは岩見沢第一区のD51234。かなりいい番号のD51ですが、記録によると廃車が1974-7-6となっています。7月6日だとK少年はまだ中学校の授業があったはずで、この撮影は日付は不明ですがおそらく8月に入ってから。もしかして幽霊でも撮影してしまったのでしょうか?? でも、足がないと客車は牽けないですよね(笑)。
⑧ 追分-三川 

⑦の翌日は夕張、三笠とハシゴして撮影。翌々日の朝に再び追分駅付近に戻り、夕張線が分岐していくあたりの国道の陸橋から撮影しましたが、天気は一転して雨模様でした。追分発7:00ちょうどの221レはD51の牽引。この写真だと番号まではわかりませんが、、
⑨ 次のコマが奇跡的に流し撮りになっていて、番号もD51367と判別できます。おそらく天気が悪く暗いのでSSを1/60か1/125で撮影していて、真横に来たときに自然に横流しの動きになったのでしょう。D51367も先に登場したD51346,365と同様北海道生え抜きのカマで、1973年8月に長万部区から岩見沢第一区に転属。

1975年12月の廃車まで活躍しました。
⑩ もう一枚、D51旅客列車の後姿の写真が出てきました。

⑧と比べると3両目の客車の窓の大きさが違うので、同じ列車ではないようです。追分駅早朝6:16始発の岩見沢行824レがD51牽引で設定されていますので、⑧⑨の撮影場所に向かう途中で出くわしてシャッターを押したのかもしれません。
次回からいよいよラストスパートをかけます。

次は室蘭本線のC57、当然旅客列車ばかりです。

何両違う番号が登場するか、お楽しみになさってください。