6日間パスで道内を周遊し、『北の大地の入場券』を買い廻る旅ですが、今回は7月25日の行程の続きとして白糠駅から先の行程を紹介します。

 

 

 

みどりの窓口で『北の大地の入場券』を購入。ご覧の通り窓口営業は16:40までなので注意が必要です。

図柄は馬主来沼湿原を走行するキハ283系。

 

 

 

私が乗ってきた2527Dは15:14に発車。釧路方にある人道跨線橋から見送りました。

 

 

 

白糠からは後続の4005D特急おおぞら5号で終着の釧路駅まで向かいます。実は2527Dを途中で追い抜くため、同列車よりも17分も早く釧路駅に着くのです。車両は3月ダイヤ改正から仲間入りした261系で、おおぞら号の半数が283系から置き換えられました。

先頭1号車のキロ261-1105のヘッドマークは幕式でした。183系や283系のそれとは異なる261系独自のデザインもなかなか悪くありませんが、コチラもLED化改造されて幕式では見られなくなるのもそう遠くない事でしょう。編成表は下記の通り。

釧路←①(G)キロ261-1105 ②(指)キハ261-1105 ③(指)キハ260-1341 ④(指)キハ260-1343 ⑤(自)キハ260-1203 ⑥(自)キハ261-1203☆→札幌(全車札サウ

 

(自由席6号車のキハ261-1203)

 

 

 

私が乗車した最後尾6号車自由席は261系オリジナルの青い平織りシート。

元々とかち系統の自由席車用だったためグレードアップ指定席仕様には改装されておらず、初期製造のキハ261-1201~1204が該当します。

 

 

 

白糠まで乗ってきた2527Dを追い抜くのは東庶路信号場です。コレこそが特急の優越ですね。

おっ先ぃ~!

 

 

 

釧路川の治水対策で掘られた新釧路川を渡ると、『くしろ湿原ノロッコ号』などの観光列車や、キハ283系やキハ40などの気動車が配置される釧路運輸車両所の横を通ります。

 

 

 

釧路駅には15:51に到着。

 

 

 

到着後はすぐに5番線ホームに移動して16:12発根室行普通5633Dに乗車しますが、入線はまだなので乗車待ちの列に加わります。

従っておおぞら5号到着後の写真は撮っていません。悪しからず。

もちろん釧路駅も『北の大地…』発売箇所ですが、どっちみち根室から戻ってくる行程になるため、その時に購入します。

 

 

 

5633Dも単行で、発車の10分位前に入線したのはキハ54 508(釧クシ)。釧網本線の冬の観光列車『オホーツク流氷ノロッコ号』の後継となった『流氷物語号』の水色ラッピング車両です。釧路のキハ54形は花咲線と釧網本線とで特に運用は分けられていません。従って『流氷物語号』が花咲線区間でも運用されるのに対し、本来花咲線向けともいえる『ルパン三世ラッピングトレイン』も釧網・石北本線の運用に入る事があります。

内装は特に手は加えられていませんが、腰板部には流氷の絵柄のラッピングが貼られています。

 

 

 

16:08、私が白糠まで乗ってきた2527Dが隣の4番線に到着しました。

 

 

 

特急おおぞらからの乗り継ぎなので良い座席の確保は難しいと思っていたのですが、転換クロス最前列の眺望の良い座席(窓1個分!)を確保する事ができました。ところが2527Dが到着すると、その乗り継ぎ客(多分18キッパー)が数名乗り込んできて、私の隣にも年配の男性が相席で座ってきました。

比較的高めの乗車率で釧路駅を発車。

 

 

 

発車後、釧路川を渡ります。

 

 

 

釧路町(釧路市とは別の自治体)役場最寄の別保駅を出ると、山間部に入るのですが夕刻のため線路際にはエゾシカが多数出没し、頻繁に警笛を鳴らして減速を繰り返していました。運転士も神経をすり減らしている事でしょう…。根室本線の末端部、いわゆる花咲線区間はエゾシカの出没が非常に多く、衝突事故(人身事故ならぬ鹿身事故!?)も頻繁に発生しています。

 

 

 

山間部を過ぎると上尾幌駅。地元の中学生グループと思われる男女4名が降りていきました。

 

 

 

上尾幌~尾幌で草原の中に丹頂鶴を発見!

地道な保護活動が実を結び、釧路湿原周辺のみならず道東一帯で見られるようになりましたが、コチラも列車との衝突事故が時々発生しているのが事実です。

 

 

 

尾幌駅は全道各地で見られる車掌車ヨ3500形廃車体利用のいわゆる『ダルマ駅舎』。

滝川からの根室本線のうち、いわゆる花咲線区間でしか見られないタイプで、他には別当賀と西和田、そして花咲駅(2016年3月廃駅)も同様の駅舎です。かつてはいずれの駅舎も楽しいイラストが描かれていたのですが、他の駅はシンプルなデザインに塗り替えられたため現在もイラストが描かれているのは当駅のみ。

 

 

 

門静駅から先は厚岸湾岸に出て、再び海沿いの景色を堪能できるのですが、相変わらず天気は悪いです…。

 

 

 

17:06、厚岸駅に到着。釧路方面からの乗客のうち半数程度が降りていき、私の隣に座っていた男性も他の席に移動しました。

当駅も『北の大地…』発売駅(※道の駅厚岸グルメパークでも購入可)ですが、この時間帯は既に窓口営業は終了しています(15:10迄)。

厚岸といえば日本最東端の駅弁『かきめし』で知られており、首都圏でも東京駅の『駅弁屋 祭』などで買う事ができたのですが(※レシピを忠実に再現した現地生産品)、コロナの影響もあり、今でも売っているのでしょうか?

 

 

 

厚岸から先、列車は厚岸湖(厚岸湾につながる海跡湖)の畔に出て、その後厚岸湖につながる別寒辺牛湿原の中を走行します。

 

 

 

列車は浜中町内に入って17:28、茶内駅に到着。当駅は釧路~根室のほぼ中間地点なので、同区間を走行する定期列車の全てがここで列車交換が行われます。この5633Dも交換待ちのため4分停車。

同町は『ルパン三世』の原作者モンキー・パンチ氏(2019年死去)の出身地で、それに因んだマチおこしが行われており、茶内の駅名標の横には銭形のトッツァンが突っ立ってます。

 

 

 

交換列車の釧路行普通5632Dが到着(デッキより前面ガラス越しに撮影)。コチラは『流氷物語号』の相棒キハ54 507の白色ラッピング車両でした。

同車の新製当初は函館配置で、その後JR化初期に旭川へ転属、宗谷北線(営)を経て再び旭川へ戻り、キハ54 520が石北本線の運用中に踏切事故によって廃車になった代替で釧路に転属してきたという経緯を持つ、道内各地を渡り歩いた車両です。

 

 

 

茶内のお隣浜中駅には、ルパンの等身大パネルが。

一応浜中町の代表駅ではありますが、マチの中心は約11㎞も離れた海側の霧多布(きりたっぷ)と呼ばれる地域です。

かつてご当地入場券が発売されていた頃、当駅の券は『霧多布温泉 ゆうゆ』という温泉施設で委託販売されていたのですが、あまりにも遠過ぎて列車で直接買い廻るのは不可能だったため、私は列車で根室到着後にレンタカーを利用して買いに行きました。流石に今回の『北の大地…』は対象外となっています。

 

 

 

列車は本土最東端のマチ・根室市に入り、かつて標津線(厚床支線)が分岐していた厚床駅(17:57着)に到着。

標津線廃線後に無人駅(簡易委託駅)となり交通ターミナルを兼ねた駅舎に建て替えられましたが、その後簡易委託の撤退、駅弁の販売終了、キヨスクの閉店、交換設備の使用停止(※一応出発信号機は残されており、閉塞区間の境界として機能)と駅は寂れる一方です。

 

 

 

尚、厚床駅構内には標津線のSLが使用していた転車台の跡が残っています。

 

 

 

原野の中を進むと、日本離れした海岸の景色の中に出ます。

花咲線区間でも厚岸周辺とともに車窓のハイライトといわれる区間です。

雲の隙間から夕陽が微かに海を照らしています…。天気が良ければ最高だったのにねぇ~!

なお、道東一帯はこの日の気温が低めで、窓を開けるのは顰蹙モノなので車窓風景はガラス越しの撮影です。ご了承ください。

 

 

 

列車はその後落石岬のある半島部の付け根を走行した後、落石海岸に出ます。

 

 

 

18:25、落石駅に到着。この駅は上尾幌、茶内とともに花咲線区間で交換設備が残されている駅ですが、列車本数削減に伴い現在定期列車の交換はありません。ちなみに交換設備がある駅としては日本最東端です。

 

 

 

駅名標の傍らにあったこの1輪だけのチューリップはホンモノ?造花?

いくら冷涼な道東でも花の季節はとっくに終わってますし…。

 

 

 

落石の隣は昆布盛駅。

海藻好きの方にはたまらない駅名ですね。さすがに飽きるか?

 

 

 

西和田駅を出てしばらく走ると、原野の彼方に花咲の港が見えますが、肝心の花咲駅は廃止…。

花咲ガニの水揚げで知られる花咲港の集落からは大きく離れていて、晩年の日常的な利用客はほとんどいませんでした。

花咲港の沖合に見える島はユルリ島です。

 

 

 

また丹頂鶴を発見!

そのうち道東一帯で丹頂鶴は珍しい鳥ではなくなるのでしょうか…?

 

 

 

いよいよ日本最東端の駅・東根室駅(18:46着発)です。

昨日は最北端でしたが、この日は一気に最東端まで来てしまいました。

 

 

 

列車はぐるっと西へ進路を取り、終着・根室駅には18:49に到着。

乗り鉄を中心に10数名の乗客が降りていきました。

 

 

 

車両はそのまま19:04発の釧路行最終列車である5634Dとして折返します。

 

 

 

ホーム端には『日本最東端有人の駅』の看板が。

稚内駅が完全に棒線化されたのに対し、根室駅は出発信号機と機回し線が残されています。

この看板の前で、厚岸まで隣に座っていた男性から記念撮影のお願いをされたので応じたのですが、思った通り道外から来られた18キッパーの方でした。彼は私が使っている6日間パスが旅行当日に買えたら良いのに…と不満を仰っていましたが、低価格のために税金を投入してる性格上、なるべく道民に還元させて下さいな(こんな意見を述べたら、圧倒的多数の道外テツからモーレツな批判が出るんだろうな)

 

 

 

改札口には助役が集札業務にあたっていたのですが、残念ながらこの日の窓口営業は終了済み(17:00迄)。

この日は折返し列車の5634Dでそのまま釧路に戻って1泊し、翌朝『北の大地…』を購入しに厚岸まで1往復するか、根室で1泊して翌朝購入するか…とギリギリまで悩んだのですが、結局根室で1泊する事に決めちゃいました。

 

 

 

夕闇迫る中の根室駅。

私は下車後駅を後にしましたが、5634Dの乗客の大半はそのまま折り返し列車で戻っていったようです。

当然、根室での宿泊先も決めていなかったのですが、スマホのじゃらんアプリで空室のあるホテルを探して予約しておきました。

 

 

 

ホテルは駅から徒歩5分程度の距離。

その道の途中に『根室県庁所在地跡』という史跡がありました。北海道は明治の昔の数年間、3つの県に分かれていた時代があり、そのうちの一つで道東地域を統括していた根室県の県庁が当地に置かれていたのですが、あまりにも人口が少なすぎたからか結局北海道に統合され、支庁を置く制度になりました。県庁所在地だった根室の人口も今や25000人程度。もしも…今も3県に分かれていたなら、札幌の極端な一極集中は避けられたのかも…?

 

 

 

この日の宿泊先『根室グランドホテル』。

名前からして高級なシティホテルのイメージを受けますが、外観は廃墟と見紛う程ボロボロ。

コレでも1泊素泊まりで¥8300。北海道民への旅行費用補助事業『どうみん割』は対象外で、私はじゃらんの貯まっていたポイントを利用して半額近くで泊まりました。基本的に根室は観光客が通年訪れるワケでもないため宿泊施設には乏しく、ホテルチェーンの進出もないため料金は高めです。政府の国境有人離島に対する政策に似た対応として、日本の端っこにあるホテルの改修や宿泊費助成に補助金を投入して魅力アップの手助けをすべきだと思うのですが(もちろん、花咲線や宗谷本線などの存続にも同様の政策が必要だと私は考える)。

 

 

 

フロントに希望すれば宿泊者は『日本最東端のホテル到達証』を貰う事ができます。

そういえばお部屋の写真を撮るのを忘れていましたが、一般的なビジネスホテルの部屋とそう変わりはなく、まぁ古臭さはありますが外観程ボロボロというワケではありませんでしたので念のため。ただ、マットレスは他のホテルと比較して沈みこむ程柔らか過ぎるので腰痛とかをお持ちの方は注意が必要です。

 

 

 

夕食はご当地グルメ『エスカロップ』を駅前の『ニューモンブラン』で食べよう…と思っていたのですが、残念ながらこの日の営業は終了しており、結局ホテル内のレストランで食べる事にしました。

フェイスシールドをした年配のウェイターが注文や配膳で忙しく店内を回っていましたが、おそらく他の業務と兼ねてレストランの接客にも従事しているのでしょうか。ホテル全体を少ない従業員で回しているというのが良くわかります。

価格はボリュームの割に¥1300と高めで、決してコスパ的には良くありませんが、まぁ仕方ないですね。

 

 

 

今回はここまで。つまり、『北の大地…』は結局白糠のみでの購入になったのですが、流石に1枚も購入箇所がなかったらタイトル詐欺になってしまうので白糠以降の行程を今回の記事に収めさせて頂きました。

次回は、4連休最終日の7月26日の行程として根室から釧路に戻り、そこから釧網本線で網走へ出ます。

 

つづく