Kさん撮影:蒸機現役時代 北海道 1972-73年 釧網本線 C58 | D51338の ほぼ蒸機ブログ “NO STEAM, NO LIFE!”

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物心がついた時から蒸気機関車が好き。
1970年代に撮った写真はプリントでわずかに残るのみ(泣)
今は関東近県の復活蒸機を撮影するのが楽しみ。
そんな写真を載せたいと思います。
D51338は故郷、飛騨高山にいたカマです。

Kさん撮影、昔々の夏の北海道シリーズ、今回は釧網本線のC58とのことです。代理投稿 by D51338  

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Kです。北海道の現役蒸機の写真、3回にわたってお届けした宗谷本線のC55の次は、道東オホーツク海沿いの区間で活躍していたC58に行きます。今回は釧網本線、次回は石北本線になります。

 

1972年8月の撮影行は、13日に旭川、深川機関区に行った後、14日に石北本線を経由して網走へ。

その後15日に知床半島に行き、一日かけて知床岬の先端まで行く遊覧船に乗ったような気がしますが、16日には線路際に戻り、当時観光地としても超人気スポットだった小清水原生花園の入り口、釧網本線の原生花園駅近くでC58の混合列車を待ち構えました。

 

① 釧網本線 北浜-原生花園 1972.8.16 

やって来たのは釧路区のC58355牽引の4両編成の客車列車。本来混合列車のスジですが、お盆の時期で貨物がなかったのでしょう。

C58355は王寺、奈良など関西本線あたりでずっと働いていたカマで、1972年に突如釧路に渡ってきました。

そのせいか、デフが本州仕様のままで切り詰められていないですね。

背後は濤沸湖。冬は白鳥が多く羽を休めるところです。この手前の駐車場には当時の箱型スタイルの自家用車が並んでいます。

② 原生花園駅付近。

直後の客車は「郵便」の大きいマークがあるので、スユニ何とかという形式でしょう。それにしても、背後の駐車場には展望窓を備えた観光バスが何台も並んで止まっています。俳優の森繫久彌が作詞作曲、自ら歌っていた「知床旅情」を、歌手の加藤登紀子が歌い大ヒットしたのが1971(昭和46)年。その翌年ですから知床半島やその近くのこのあたりには、もの凄い数の観光客が訪れていたことと思います。

③ 斜里駅 1972.8.16 

同じ日に、知床半島北側の玄関口である斜里(現、知床斜里)駅で、石炭を馴らしているC58(番号不明)です。駅名標の横に白い百葉箱。その横にかわいい赤い箱型の車が止まっています。

④ 北浜-原生花園 1973.8.9 

さて、原生花園駅には翌1973(昭和48)年にもう一度やってきました。前年と同じく客車だけの列車の先頭は釧路区のC58348。

前年写したC58355とは異なり、こちらはほぼ生涯を釧路区で過ごしたカマです。デフも北海道仕様の切り詰め型です。

⑤ 原生花園駅停車中。 

この写真、自分で言うのも何ですが、ある意味凄い記録だと思います。チューリップハットに大きなリュックのお兄さんお姉さん、知床ブームでこの地までやってきた若者たちが大挙して列車に乗り込む姿をしっかり捉えていて、石油ショック直前の華やかな時代を語ってくれています。

⑥ 原生花園-北浜 

続いて釧路方面から来る列車を、北浜駅近くの濤沸湖と海とを繋ぐ短い川の鉄橋で撮影しました。

先頭に立っている機関車のデフ、皆さん見覚えありませんか?

そうです。秩父鉄道のC58363が2013年に装着したJNRマーク付の後藤工場式デフはこれを復刻したもの。もともとC58385号機がつけていたデフを、1971年頃釧路区でこのC5833が譲受け、同機が1975(昭和50)年に北見区の無煙化で引退するまで、SLブーム最後の頃のファンのお馴染みになったという訳でした。

⑦ ⑥の続き。鉄橋を渡り、オホーツク海を背にした築堤を行くとすぐ北浜駅があります。機関車の次の客車はオハ62。戦後木造客車を鋼体化改造する形で大量に製造された61系客車の北海道版です。

熱塩駅跡に保存されているオハ61は背もたれのモケットがなく板張りのままで、私もそのイメージだったのですが、ネット上の写真を見ると北海道版のオハ62はモケットがついていたようです。

⑧ この写真の撮影日付や場所はよくわかりませんが、斜里駅近くの鉄橋のような気もします。C5833が貨物列車を牽いていますが、個性派のカマに何回も運良く出逢えてますね。

⑨ 最後に一枚、いかにも釧路湿原っぽい写真が出てきました。

今グーグルマップで追いかけても、ここだという場所は見当たらないのですが、背景に沼があって蛇行する川も見えますので塘路駅あたりでしょうか。いずれにせよ先頭はC5833で、1両とはいえ貨車をつけてますから混合列車で、それが記録に残せていて良かったです。

釧路の祖父母の家に着くと安心してしまったのか、あまり釧路付近で出かけて撮影した現役蒸機の写真は残っておらず、以前ご紹介した厚床駅と標津線を除くとこれが唯一となります。

次回は釧網本線のお隣、石北本線北見-網走間のC58の写真をご覧に入れます。