Kさん撮影:蒸機現役時代 北海道 1974.8 宗谷本線 C5530ほか | D51338の ほぼ蒸機ブログ “NO STEAM, NO LIFE!”

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物心がついた時から蒸気機関車が好き。
1970年代に撮った写真はプリントでわずかに残るのみ(泣)
今は関東近県の復活蒸機を撮影するのが楽しみ。
そんな写真を載せたいと思います。
D51338は故郷、飛騨高山にいたカマです。

今日はKさん撮影seriesです。

今回は宗谷本線のC55の3年目、1974年撮影分とのことです。

代理投稿 by D51338  

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Kです。宗谷本線のC55特集、今回がラスト、1974(昭和49)年8月撮影の写真です。

昭和49年夏の宗谷本線321レ、324レの牽引機はどういう状態だったかというと、C5530とC5787(ハナちゃん)の2両は間違いなく稼働。C5550は7月中旬時点では稼働していたようですが9月1日に第二種休車指定されてますので、8月はどうだったかわかりません。加えて、日豊本線無煙化で宮崎から遠路はるばる、C57130(門デフ)とC57186の2両が旭川機関区に運びこまれていましたが、私の手元にある「別冊週刊読売1974-11 さようなら蒸気機関車」中の「現存SL全名鑑」中に同年7.18撮影の両機の写真が掲載されていて、どちらも旭川機関区構内でナンバープレートやメインロッドが外された状態で留置されていますので、8月時点で稼働していた可能性はかなり低いと思います。

従って、C5530とハナちゃんが一日置きに運行。ハナちゃんが来るとC55目当てに来たファンががっかりするという、ハナちゃんのせいではないのに日本中で一番かわいそうなC57となっていたようです。

 

① 宗谷本線 旭川駅 321レ C5530 架線があるので旭川駅ですね。右側のホーム上には主要駅らしく、二階建の大きな建屋があります。

② 流線形改造のカーブの名残が見える、キャブの後方から撮った写真です。

機関車の前方では小学生らしい少年がカメラを向けています。

③ 名寄駅?321レ? C5530 

この写真は架線が写ってないですし、この後名寄本線に行っているので名寄駅だろうと思いますが自信はありません。名寄駅だとすると旭川から名寄まで321レに乗車した可能性が高いですが、、、

④ この写真を見ると機関車の直後が荷物車なので、編成としては上り324列車のように見えます。だとすると①②の翌日の列車になりそうですし、撮影場所も名寄駅ではないかもしれません。

訳がわからなくなってきました。すみません。。。ただ、我らがC5530が列車の先頭にいることは間違いありません!!

⑤ 宗谷本線 南稚内-抜海324レ C5530? 

③④の後、名寄本線、渚滑線、興浜北線、浜頓別を回り天北線経由で稚内へ。翌朝、利尻富士が見えるはずの南稚内ー抜海のほぼ中間の有名撮影地で324レを待ちましたが、あいにく利尻富士は雲に隠れ姿が見えなかったので、日本海と線路脇の丘陵地帯が見渡せる丘の上から撮影しました。

⑥ 写真⑤ですとC55かC57か判然としませんが、続けて後追いで撮ったこのコマを見ると密閉キャブであることは判別できますので、C5787ではなくC55であることは間違いないようです。

機関車の番号まではよくわかりませんが、稼働状況からC5530だったということにしておきます(笑)。

⑦ K少年が現役時代のC55を撮影したのはこれが最後となりました。せっかく稚内まで行ったので、付近で撮影した写真を載せます。⑤⑥の撮影の後抜海に行き、勇知駅側の丘に登り抜海駅のあたりを見下ろす角度から、9600形式牽引の上り貨物列車を撮影しました。列車の最後尾のすぐ後ろが、列車交換設備のある抜海駅の構内。海の位置は判然としませんが、画面の陸との境が日本海の海岸線になっています。

抜海駅は現在、JR北海道の管理コスト削減のターゲットとなり、来年3月に廃止(信号場化)される方向となっているようです。

他にはない最果ての風景の中に凛然と立つ駅舎を有する駅だけに、とても残念なことです。

⑧ ⑦の続きのコマで、先頭のキューロクはちょうど抜海駅の遠方信号機のところにいます。連ねる貨車は白い冷蔵車が多いですね。

列車の後方は牧草地と原野が広がっています。

昭和49年になると当時中2のK少年、何を思ったのかこういう俯瞰や遠望の写真を好んで撮るようになり、結果として豆粒写真で機関車の番号がわからない、なんてことが多く生じるようになっています。

⑨ 音威子府から天塩中川の間、30km以上にわたり宗谷本線は天塩川の右岸を延々と走り続けます。

そのどこかで天塩川の対岸から、稚内行きの321レを撮影しています。機関車は明らかに「ハナちゃん」ことC5787。

密閉キャブでないところと、ボックス動輪も判別できています。

この後、ただ一両残ったC5530も1974年10月に休車。

同年末の旅客列車DL化までのわずか数カ月の間の任務を夏以降整備されたC57たちに譲り、宗谷本線のC55の歴史は幕を閉じました。

次回は釧網本線のC58の写真をお届けします。JNRマーク付後藤デフのC5833も登場します。引続きお楽しみください。