Kさん撮影: 蒸機現役時代 北海道 1973.8.7-8 宗谷本線 C55@塩狩峠、名寄駅 | D51338の ほぼ蒸機ブログ “NO STEAM, NO LIFE!”

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物心がついた時から蒸気機関車が好き。
1970年代に撮った写真はプリントでわずかに残るのみ(泣)
今は関東近県の復活蒸機を撮影するのが楽しみ。
そんな写真を載せたいと思います。
D51338は故郷、飛騨高山にいたカマです。

今日はKさんの当番日で、宗谷本線のC55の2年目、1973年撮影分です。 代理投稿 by D51338  

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Kです。宗谷本線のC55特集、前回は1972夏の写真をご覧に入れましたが、今回は1973(昭和48)年夏、K少年が中1のときに撮影した写真です。

北海道撮影行も2年目になると、撮影地ガイドや列車ダイヤを見ながら撮りたい列車を撮りたい場所で撮るような計画を自分で立てるようになりました。

そうすると。宗谷本線のC55の旅客321、324列車を、小説でも有名な塩狩峠のサミットにある塩狩駅の前後で待ち構えるというのは、やはり外せない重要項目の一つでした。

 

① 宗谷本線 蘭留-塩狩 321レ C5550 1972.8.7 塩狩駅で下車し、蘭留方に1km少々戻ったところにある大きな左カーブのところで、旭川始発の321レを待ちました。定時だとほぼ正午頃、C5550を先頭に4両編成の列車がやってきました。

② カーブを曲がり、目の前に来たC5550をアップで。涼しい北海道でも8月上旬の10日間ほど、本州並みに30度を超える暑い日が続くことはあるのですが、この日はそんな暑さだったと記憶しています。

それでも煙とドレーンが入った走行写真を記録することができて良かったです。

③ 和寒-塩狩 324レ C5530 続いて、321レと名寄で交換する稚内始発の324レを、こんどは塩狩駅の反対方向、北側で待ちます。

こちら側はそれほど大きなカーブはないので、直線区間の線路脇で構えました。14:50頃だと思いますが、流線形改造のC5530を先頭に、真夏の眩しい光の中を列車が駆け上がってきました。

④ 接近したところでは縦位置で撮影。

カメラ2台を使ったのか持ちかえたのか覚えていませんが、レンズの画角は同じようですのでカメラを持ち替えたのかと思います。

⑤ 宗谷本線 名寄駅321レ C5550 1973.8.8 

塩狩峠で撮影の翌日、午前中に名寄本線一ノ橋で貨物列車を撮影(D51338さんの故郷、高山機関区育ちの79642の牽引でした)した後、C55どうしの離合を撮ろうと名寄駅に戻りました。

先に稚内からの324列車が13:00頃に到着。

機関車は前日321レで遭遇したC5550です。

⑥⑦ 反対側のホームに移動し、テンダの石炭を馴らし(たぶん)給水をしているところのC5550を撮影。

名寄は名寄本線、深名線が分岐していた主要駅らしく、構内に多くの側線、貨車、そして鉄道施設の小屋などを見ることができました。

⑧ 名寄駅 324レ C5550 / 321レ C5530 324レ

到着後10分ほどの13:10、塩狩峠を越えてきた321レがC5530を先頭に名寄駅に到着。旭川機関区のスター2両の遭遇です。

当時はC5547は既に運用から外れていて、321レと324レをC5530と50の2両が一日置きに交代で牽引、休みなしで稚内との間を往復するという非常にブラックな(笑)勤務状況でした。

調べてみると、「ハナちゃん」ことC5787が宗谷本線の運用についたのは、この直後、昭和48年の初秋のことだったようです。

この写真は「わが国鉄時代」vol6に掲載していただきました。

⑨ 321レの客車の向こう側から、C5550を先頭に324レが旭川に向けて発車するところだと思います。発車時刻は13:17です。

⑩ 同じく324レの発車シーン。

76キロポストが写ってますが、宗谷本線起点の旭川から名寄まで76.2km。ということはこのキロポストは駅の端の方にあったはずで、K少年は走ってC55を追いかけて撮影したらしく、その結果見事にブレています(笑)。

⑪ 324レが発車した後のホームに移動してC5530を撮影。

この角度で見ると、キャブの屋根のカーブに流線形だった頃の名残りが見られるのがわかります。

⑫ 旭川行き321レの発車は13:22。

C5530の後方に大きな三角屋根の駅舎が見えますが、名寄駅舎は1927(昭和2)年建築で、現在も使われているそうです。

最近の宗谷本線というと秘境駅の廃止ばかりが話題となり、たまに行くとそちらばかり訪れていて、駅舎好きの私としたことが存在を見落としていました。C55やキューロクが走っていた頃の写真を持って、一度訪ねてみたいと思います。 

次回は1974(昭和49)年8月の訪問。最北のC55も30号機1両がかろうじて稼働していて、その姿を撮影することができました。