SLやまぐち号 2020 -② | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

SLやまぐち号 2020 -②



8月1日の2020年運転開始初日の続きです。

少し雲が多目の晴天でしたが、気温は34.7℃で心持ち風に拭いて欲しい感じ。

今年の梅雨明けは遅くて、一昨日に明けたばかりで、暑さに身体がまだ慣れていないため、自覚している以上に負担が大きかった日でした。




7月29日まで空は鉛色に覆われて、やっぱり予報通りこのまま8月へ突入するんかなぁと、モヤモヤしていました。

雨もね、時おり降るんですが、その雨が警報連発で避難所開設情報とかもメールで届くんですよ。

で、とどめが29日。



爆雷豪雨でさ、雷鳴が遠くから途切れることなくバリバリいいながら近づいて来て、近所に落ちたみたいで。

ホントね、遠くで鳴り始めたゴロゴロが、バリバリいいながらやって来て、いきなりドカーンですよ。

雷がこっちに向いてやって来るだけでも恐いのに、それが近くに落ちるんですから、そりゃもう心臓バクバクです。




雷光は光ですから光速で移動しますが、雷鳴は音速なので本来は、稲光りの後に音がしますけど。

遠くからやって来て近くに落ちる時は、音が光に追い付くんですよ。

物質の運動エネルギーの変換と観測者の視聴覚効果という、相対性理論を体で体験した瞬間でした。





『雷が鳴ると梅雨が明ける』と、昔からよく言われますが、雷が鳴るから梅雨明けが来る訳ではなく、梅雨明けの積乱雲が雷を発生しやすいだけ。

実際、梅雨前線が崩壊しようとするので大気が不安定となり、竜巻が発生しやすかったり雷も発生しやすいのですが、気圧配置の関係で梅雨前線が再構築されると、雷が鳴っても梅雨は明けません。

が、今回の雷雨は本当に梅雨明けを呼んでくれたみたいで、30日の昼前辺りから夏空が広がりました。



広島だけでなく中国地方全域で、このまま梅雨明けとなりましたが、昨年より5日遅く平年では9日遅い梅雨明けです。

これで遅い夏がやっと訪れる・・・・と思っていたら、梅雨が明けたと思われるとの見解が示された途端、傘が壊れるほどの豪雨になった広島でした(笑)

と、やまぐち号そっちのけで梅雨明けの話題に長々と費やしてしまいましたが、初日の新山口駅の風景をスナップした写真の中で、今回は機関車メインでUPしています。



C57ー1号機。

アメリカ軍の空襲で機銃掃射に遭い、急行日本海運行中に土石流で転覆し、阪神淡路大震災で転落し・・・それでも走り続ける83歳の強者です。

1937年(昭和12年)3月22日、川崎車輛にて誕生しましたが、後から発注された2号機が先に完成したものの、発注順に従いそれぞれC571・とC572とされました。



土石流災害は1961(昭和36)年の2月9日に発生し、羽越本線の村上~間島間で線路を覆った土砂に乗りあげ脱線転覆、大破してしまいました。

修復には数ヶ月かかり、その際にはC57ー2号機をドナーカーとして利用し、復活後の1972(昭和47)年にはお召し列車も牽引しました。

1号機より早く新形式C57として生まれ、1号機を蘇生させるために亡くなった、2号機の魂も背負った貴婦人ファーストレディーは、今も山口線で走ります。

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君が代記念日


国歌"君が代"は、1869(明治2)年に薩摩琵琶の楽曲『蓬莱山』にある"君が代"を歌詞として選んだ歌が原型となり、1880(明治13)年に宮内省雅楽課が旋律を改めて付け直して。

更にそれをドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトが西洋和声により編曲したものが、1893(明治26)年の文部省・井上毅(いのうえこわし)大臣の告示以降、公的行事に使用され始めたことにより国歌として認知され、1930(昭和5)年には日本国国歌と定着しました。

ただし長い間、慣例として"君が代"は国歌として扱われていた楽曲に過ぎなかったため、1999(平成11)年に「国旗及び国歌に関する法律」でやっと、正式に日本の国歌として法制化されました。


歌詞そのものは元々、10世紀初頭の勅撰和歌集『古今和歌集』のものであり、世界で最も短い国歌であると同時に、作詞者が世界で最も古い国歌としてギネスブックに登録されています。

また、1番の歌詞は「詠人不知(よみびとしらず=作者不明)」とされていますが、邪馬台国の領域と推定されている糸島半島や近隣の博多湾一帯から信仰を集める"志賀海神社"の山誉祭の神楽歌の一部を抜粋引用したものと一説にあります。

また、2番は源頼政(みなもとのよりまさ)公の詠んだ歌であり、3番は第58代・光孝(こうこう)天皇の大嘗祭に奉られた歌であることは判明していますが、4番に関しては1番と同じく詠人不知となっていて、そもそも始めからあったのか、それとも後付けではないかとも言われています。


『君が代』(歌詞・全文)

君が代は 千代に八千代に細石の 巖となりて 苔のむすまで

君が代は 千尋の底の細石の 鵜のゐる磯と あらはるるまで

君が代は 千代ともささじ天の戸や いづる月日の かぎりなければ

君が代は 久しかるべしわたらひや いすゞの川の 流たえせで


私が小学生だった頃、学校から配られた歌詞付きの楽譜には、3番までしかなかったのを覚えているのですけど。

最後のリンクは、防府青年会議所の理事長さんのブログですが、2017年の時のもので今は更新されていませんが、貼らせて頂きました。

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