ちょっと間が空いてしまいましたが、引き続き6日間パスの旅行記です。今回は2日目・7月24日後半の行程を紹介します。

 

 

 

札幌からの51D特急宗谷で日本最北端の駅・稚内駅に到着後、写真も撮らずに改札口を抜けて、『北の大地の入場券』を購入後すぐさま折返しとなる64D特急サロベツ4号の改札待ちの列に並びます。稚内での滞在時間はたったの20分程度にしか過ぎないのですが、実は7月初めに宗谷本線北部の廃止予定駅を撮影しにクルマで(普段乗り鉄しまくっているので御赦しを!)廻っており、その時は稚内で1泊しているので約3週間振りの来訪なのでした。

線路終端部には『最北端の線路』の看板が立っていますが、改札待ちの列から撮ったので文字の一部がサッシで隠れてしまっています。ご容赦ください。

 

 

 

この日の後半は、稚内から折返し乗車する旭川行64D特急サロベツ4号で士別まで向かい、宗谷本線南部の『北の大地…』収集旅をする事に決めました(編成表は前回の記事をご覧ください)。

宗谷の乗客が多かったせいか、車内清掃に時間が掛かったようで改札開始は発車の約10分前。やっぱり忙しないですなぁ…。

尚、座席の確保を優先したため、お昼時にも関わらず昼食を買わずに乗ってしまいました。複合駅舎内には売店やセイコーマートが入っているため食糧確保には困らないのですが、時間の関係もあり仕方なくホームの自販機で缶コーヒーだけ買って、非常食として携行していたカロリーメイトを昼食代わりにしましたとさ…。

 

 

 

サロベツ4号は先頭4号車の自由席に乗車しますが、相変わらず天気は曇り空なので往路とは反対側に席を確保しました。

 

 

 

 13:01、稚内駅を発車します。

車窓左側に稚内の港が見えますが、海が見えるのはほんの僅かな間だけ。

 

 

 

日本最北の車両基地だったかつての稚内機関区に残る転車台。

 

 

 

 南稚内駅を出ると、旧天北線の廃線跡が左に分かれていきますが、写真中央に見える公営住宅の手前側にかつて線路が敷かれており、現在はその付近が道路になっています。

今乗っているサロベツ4号は元々急行天北のスジだった列車なのでした。

 

 

 南稚内発車後の4号車自由席の車内。

さすがに往路程は混雑しておらず、指定席の予約状況を鑑みて自由席にした次第です。

 

 

 

 豊富駅近くに保存されている救援車オエ61 67(最終配置は稚内運転所)。

元々は木造客車を鋼体化改造した荷物用客車マニ60をルーツとする貴重な車両なのですが、残念ながら状態は悪いです。

 

 

 

 途中、天塩川沿いの区間は山が迫り、反対側の車窓風景が良くないので時々うたた寝しながら過ごしました…。

音威子府近くでは高規格道路の建設が進められていました。宗谷本線沿線では部分的に供用されており、最終的には稚内までが高速道路網で繋がる事になっています。道路には無尽蔵?という位の税金を投入して建設なり改良工事をしていますが、鉄道は古い線形のままスピードアップもままならず、ますます競争に不利な状況を強いられるというのはあまりにも理不尽じゃありませんか?

(但し…宗谷本線北部が高速化改良されたなら、天塩川沿いの風光明媚な眺めが犠牲になるというのは否めないが)

 

 

 

 名寄にはキハ40 1791『紫水号』が運用に入るため構内を移動していました。

 

 

 

旧名寄本線跡に展示されているキマロキ編成。

名寄本線は部分3セク化が決まり掛けていたにも関わらず、結局地元負担の大きさがネックとなり全線バス転換になったのですが、紋別空港(定期発着はANAの東京便1往復のみ!)のジェット化に巨額投資する位なら鉄道を残すべきだったと思うのはテツの戯言でしょうか。

 

 

 

 降車駅の士別が近づいてきました。

 

 

 

16:06、士別駅に到着。

ちょうど、交換列車である3323D快速なよろ3号も向かい側の2番線に到着しました。

 

 

 

士別駅の訪問は風っこそうや3号乗車の時以来で約11ヶ月振りです。

 

 

 

みどりの窓口で『北の大地の入場券』を購入。図柄は天塩川を渡るキハ40形(未更新の700番台)単行です。

 

 

 

今では珍しくなった伝言板が士別駅はまだ現役!

最近、東神奈川駅に期間限定で復活したのが話題になりましたね。

 

 

 

士別からは、16:39発旭川行普通326Dで永山駅へ向かいます。

 

 

 

近づいてきたのは…なんと!先程名寄駅で見掛けた紫水号じゃありませんか!

 

 

 

326Dの紫水号ことキハ40 1791(旭アサ)。実車は何度か見掛けた事がありましたが、乗車するのはコレが初めて。

苗穂所属の相方・山明号(キハ40 1790)とペアで5~6月に臨時急行『花たびそうや』に使われるハズでしたが、この列車も例に漏れずコロナのお陰で幻に終わってしまいました…。来年に期待します。

 

 

 

紫水号の内装は、『北海道の恵みシリーズ』からはさらに攻めた改造を行っており、内装板の木目調化粧シート貼り付け、荷棚のアンダーカバー取付、巻き上げカーテンの交換などもプラスされています。

座席は取手が木製に交換されていますが、通路側の肘掛が撤去されてしまいました。観光・団体列車使用時にテーブルを取り付けると出入りの邪魔になるからでしょうか?

 

 

 

16:47着の剣淵駅も『北の大地…』発売箇所(駅前の商店に委託)なのですが、今回は寄らずまたの機会にします。

 

 

 

326Dは名寄~旭川の列車としては珍しく(?)BOX席を1人で座る事ができました。日中の列車は単行なのでいつも混んでいるイメージがあるのですが、こんな処にもコロナ禍の影響でしょうか?

写真は和寒を出発した後の車内で、ほとんどのBOX席は1人利用と、結構空いていました。

 

 

 

往路でも紹介した塩狩駅。旧来からの木造駅舎が残っています。

 

 

 

塩狩峠を下った後は上川盆地に入ります。空は晴れてきましたが、奥に見えるハズの大雪山連峰は残念ながら雲に覆われたまま。

 

 

 

17:23着の比布駅も『北の大地…』発売箇所(駅舎内での委託販売)ですが、この列車からは降りず永山駅訪問後に引き返した上で立ち寄ります。そのほうが時間効率が良いからです。

 

 

 

大雪山連峰を源流とする大いなる川・石狩川を渡ります。車窓左側なので上流方向です。

ガラス越しからの撮影なのでボケてますがご容赦を。

 

 

 

17:34、永山駅に到着。私はここで下車します。

 

 

 

永山駅では『ご当地入場券』の販売はありませんでしたが、『北の大地の入場券』の販売箇所となっています。

図柄は永山~北永山にある永山新川橋梁付近を走行するキハ261系。

 

 

 

永山駅からは、18:02発名寄行3325D快速なよろ5号で比布駅まで引き返します。

 

 

 

1番線に停車中のキハ54 529(ラストナンバー。元急行礼文用)は17:49に当駅止まりの1327Dで到着し、旭川行1326Dとして折り返します。

 

 

 

3325D快速なよろ5号が到着します。コチラもキハ40の単行で、ナンバーは未更新車の729

2017年頃から宗谷本線の列車サボは行先標ではなくなり、宗谷線の文字と沿線の風景が図柄となったサボがランダムで使われるようになりましたが、列車には行先を表示するモノは何もなく、耳の不自由な人にとっては不便かもしれません。

 

 

 

旭川からの夕方の列車なのでちょっと乗客は多めでしたが、BOX席に相席で座らせて頂きました。

快速なので途中駅は通過し、永山からわずか9分の18:11、比布駅に到着です。

「とうとうやって来ましたねぇ~!」

 

 

 

私を降ろしたキハ40は、排気ガスの煙を残して名寄へ向けて走り去っていきました…。

 

 

 

比布駅は駅員無配置駅なので、駅舎内にあるカフェ兼交流スペース『ピピカフェ』で『北の大地の入場券』が販売されています。図柄は比布~北比布の雪景色の中を走行するキハ40(1700番台)の2連(反射して見づらいですがご容赦を…)。

営業時間は19:00までなので購入の際は注意が必要です。

 

 

 

比布駅舎は2016年に現在の建物に建て替えられました。

JR北海道は老朽化した駅舎を簡易駅舎に建て替えるつもりでしたが、『マチの顔』である駅がコンパクトになってしまうのはしのびないとして旧駅舎の外観をイメージした新駅舎を比布町が建設し、JRに駅施設を貸し出すという形になりました。

駅舎入口に掲げられた駅名板は旧駅舎から引き継がれたモノです。

 

 

 

駅舎正面には国鉄時代の駅名標のレプリカが。

両サイドの南比布と北比布は、来年3月で廃駅になってしまいますが、この駅名標はどうなっちゃうんだろう…?

 

 

 

比布駅といえば、今からちょうど40年前の1980年に藤本株式会社(現・ピップ)の看板商品『ピップエレキバン』のTVCFが撮影され、放映されるや比布町の名は一躍全国区になりました。当時はまだ有人駅だったため(1984年に簡易委託化)、硬券入場券の売り上げが激増したというエピソードが残っています。

駅舎のそばには、樹木希林さんとピップの横矢会長の掛け合いで話題となった当時のTVCFの1シーンを再現した顔ハメ看板が設置されていました。

 

 

 

比布駅前にも『ポケふた』があり、コチラの図柄はアローラロコンとポッチャマ。

そういえば先程行ったばかりの稚内駅前にもポケふたがあったのですが、時間がなくて写真は撮れませんでした。悪しからず。

 

 

 

比布駅舎内には、同駅が舞台となった『ピップエレキバン』のTVCFにまつわる資料やエピソードが展示されています。

CFに出演された樹木希林さんは、駅舎新築の際に直筆のメッセージを送ってくださったり、お亡くなりになる1年程前には『お忍びで』駅に来訪していたりと、出演から40年近く経っても比布駅の事は常に気に掛けられていたようです。

もうすぐ樹木さんの三回忌…。毎週月曜日の夜、BS12で出演作品の一つである『ムー一族』の再放送が放映されていますが(間もなく終了)、それを視聴して彼女を偲んでいます。

 

 

 

比布駅からは18:28発の名寄発普通328Dで終着の旭川駅に向かいます。

これまた未更新車のキハ40 708で、士別駅でサロベツ4号と交換した3323D快速なよろ3号の折返し運用。

 

 

 

この列車は名寄からの全区間完全各駅停車で、廃止予定である南比布駅にも停車します。

当駅では何人かの『駅テツ』が下車していきましたが、お陰でBOX席が空いたので私はロングシートから移動しました。

 

 

 

列車は夕闇迫る上川盆地を走ります。

 

 

 

再び石狩川を渡ります。

コチラにもJR北海道の駅名標を模した河川名の看板が!

 

 

 

 

先程訪問した永山駅を出ると、日本最北の車両配置基地となった旭川運転所の構内に入ります。

函館本線山線で既に活躍が始まった『DECMO』ことH100が多数留置されていましたが、既に宗谷本線でも試運転が始まっているようで、現在活躍しているキハ40もコレに置き換えられる見込みです。ただ、H100は冷房付きになるのは良いとして、座席数、とりわけBOX席が大幅に減少する点は大きなウイークポイントで、乗り鉄はおろか一般客にとってもサービスダウンになってしまうのは否めなく、残念ながら私的には乗ってみたい車両ではありません(このような意見を述べると、必ず偉そうなヲタから否定的な意見が出そうだが…)。

なお、ここでは乗務員の交替があるため乗降所で一旦停車し、ワンマン運転の自動放送にもその旨が流れます。

 

 

 

18:55、旭川駅4番線に到着。宗谷本線の旅が終わりました。

車両は小休止の後、19:30発の函館本線深川行928Dの運用に入ります。このように時刻表上では別列車でも、終着駅到着後他線区に直通する列車が意外とあるモノです。

 

 

 

旭川からは5分後の19:00発の2044M特急カムイ44号で札幌に戻ります。

接続がたったの5分と実に慌ただしいですが、3番線なので対面乗換なのが救いです。

 

 

 

車両編成は下記の通り。私は先頭5号車に乗車しました。

【札サウ 789系HL-1006編成 ※④以外は自由席 ①クハ789-1006 ②モハ789-1006 ③サハ788-1006 ④(指・uシート)モハ789-2006 ⑤クハ789-2006☆

 

 

 

発車間際ではありましたが、自由席でも周囲に乗客のいない席を選んで座る事ができました。

札幌~旭川の特急列車は本数が多い事もあり、一部の時間帯以外は基本的にガラガラで『三密』が避けられるので乗客にとっては安心かもしれませんが、本数を減らしてしまえばその分乗客が密になるのでJR北海道にとっては悩ましい問題といえます。

(車内の写真は札幌到着後に撮影)

 

 

 

20:25、終着・札幌駅に到着。

いつもの事ですが、到着後すぐにヘッドマークを回送にしてしまうのはどうかと思います。駅到着時の放送でも『この列車は回送列車です。ご乗車にはなれませんのでご注意ください』とアナウンスされるのですから。テツ以外にも記念撮影する一般客もいるのだから5分位猶予があれば有難いですがね…。

 

 

 

この後改札内にある『北海道蕎麦紀行』で食事後、学園都市線の637Mに乗り帰路に就きましたが、編成は朝と同じ735系A-101+731系G-105(☆クハ735-201)でした。

次回は3日目の行程なのですが、記事の最後で一言二言言わせてください。

残念ながら8月に入り、JR北海道の車掌からもついにコロナ感染者が出てしまったとの事です。感染経路はまだ判明してはいませんが、不特定多数と接客する業務だけに、他の乗務員も乗客も戦々恐々としている事でしょう。ここにきて感染者が爆発的に増加しているこのご時世にも関わらず、コロナ感染拡大防止に無関心な乗客も少なくありません。マスク非着用のまま乗車し、車内を歩き回ったり、同行者とお喋りしている乗客の多い事…。マスク着用していたとしても正しく着用せず鼻が露出していたり、常に顎に引っ掛けたままでいるというのも少なくありません。

感染リスクを減らすには『不要不急の外出を控える』のが良いのかもしれませんが、その事によって経済的に大きなダメージを被ったのも事実です。『Withコロナ』という言葉がある通り、これからは感染予防と経済活動を両立させていかなければなりません。一部の心無い者のために大多数の良識ある人間が迷惑を被るというのは本当に勘弁して頂きたい!ハッキリ言って新型コロナとの闘いはこの世に人類が存在する限り続くと私は思っています。だからこそ、ウイルスの全容が解明され、感染拡大の勢いが落ち着いて、弱毒化して『ただの風邪』のようになって生命に関わるリスクが低くなるまでは、公共交通の乗車のみならず不特定多数が集まる場所に行く際には正しいマスク着用(身体上の理由でマスクがツライのであればフェイスシールドの着用が望ましい)、手洗いの励行、除菌グッズの持参などあらゆる感染対策を怠らないで頂きたいです。

最後になりましたが、不幸にもウイルスに感染されてしまったJR北海道の車掌には心よりお見舞いを申し上げるとともに、一日でも早い回復と平穏な生活が戻られる事をお祈り申し上げます。

 

つづく