台風による鉄道への被害は、いつの時代も甚大なものに発展しますが、昭和57年8月に襲来した台風10号による被害は、38年経った今でも時折、話題に上がることがあります。東海道本線の富士川橋梁が崩落したのもこの台風によるものですし、名松線も被害を受けました。そして国電ファンにとって忘れられないのが、王寺駅の冠水で電車100両が水に浸かって使えなくなってしまったということではないでしょうか。

 

この台風で大和川の支流である葛下川が大雨で氾濫し、王寺駅が冠水しました。構内の電留線で次の仕業に向けて束の間の休息を取っていた101系60両と113系40両が床上まで水に浸かりました。

このうち、113系は廃車もあったんでしょうけど、修繕して再利用する方策が採られましたが、101系はその殆どが初期車だったので、101系に関しては全て廃車となりました。代替の車両については、首都圏で廃車予定となっていた101系にその白羽の矢が立ち、急場凌ぎではありましたが、若干の改造工事を実施して関西へ送り込まれました。ちょうど、首都圏は中央線と総武線を中心に201系による置き換えが進んでいたので、大鉄局にとっては、101系といえど 「救いの神」 として崇められることになります。

 

主な改造工事は保安装置。ATSの改造が必要になりました。同じように見えますが、東日本は50Hz、西日本は60Hzと周波数が異なります。でも、東日本仕様ですと西日本では使えないので、やっぱり改造は必須事項になるのです。その他、塗色変更も大きな改造項目になるのですが、今回の場合はあくまでも “急場凌ぎ” ですので、一部を除いて塗装変更無しで下阪しました。

第一陣が武蔵小金井電車区配置の7両で、以降、順次準備が出来次第、続々と送り込まれ、9月30日までに54両の転配が完了しました。残る6両は片町線の車両を宛がう形で転配を実施し、60両全ての補充が完了しました。

 

画像ですが、前2両が朱色になっています。でもこれだけだと、首都圏からの応援車なのか、片町線の転配車なのかは判りません。さらに目を凝らしてみると、3、4両目がうぐいす色 (関西線風に言えば 「若草山色」 になるんでしょうけど) 、5、6両目がカナリア色になっています。カナリアイエローは間違いなく首都圏からの応援車ですね。つまり、期せずして3色混色編成になっています。昭和40年代後半や昭和50年代後半のような派手な混色編成ではないけど、関西では精一杯の 「派手な混色編成」 なのかもしれません。そういえば、関西地区 (大鉄局) では、東鉄局ほど派手な混色編成は見られないですよね。

 

そして撮影場所ですが、何処だと思いますか?

バリバリの 「昭和国鉄世代」 なら瞬殺なんですけど、ここは湊町駅です。

「湊町? 何処やねん?」 と疑念を持たれる平成・令和生まれのお子ちゃま鉄道ファンには判らないかもしれません。実際に湊町駅は今は存在しませんからね。 「JR難波駅」 って言えば、 「あぁ~っ!」 になるのかな? とはいえ、湊町とJR難波とでは、全然 (周囲の風景が) 違い過ぎますしね。

前述のように、今でこそ 「JR難波駅」 として地下駅になっていますが、かつては地上駅で、駅名も 「湊町」 でした。そして今も昔もここが関西本線の路線上の起終点になります。かつては貨物取り扱いも行っており、貨物列車も頻繁に行き交っていました。

 

大阪や天王寺ほど目立たない関西のターミナル 「湊町」 。

ミナミの中心にありながら、ターミナルとしては中途半端感が否めない 「湊町」 。

「ミナミの中心」 といっても、難波の中心地から程遠い 「湊町」 。

「JR難波」 に駅名を改称しても、なかなか解ってもらえない 「湊町」 。

そういえば、私が初めて大阪に足を踏み入れた時 (1994年) 、まだ、湊町駅は存在したんですよね。

重ね重ね、 「行っとけばよかった・・」 と後悔だけが残る昨今です・・・。

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアル No.724 (電気車研究会社 刊)

ウィキペディア (昭和57年台風10号)