毎度ご覧いただきありがとうございます。きょうはいすみ鉄道を撮ってきました。
では37年前の晩ごはんネタで話を拡げます
1983年8月8日の行程は・・・
追分→岩見沢→幾春別→岩見沢→万字炭山→岩見沢
このとき岩見沢駅で天北線経由稚内行急行「天北」に乗り換えました。
「天北」を待つあいだ、東京から鉄道旅に来ていた中学生とホームで立ち話しました。
その中学生とは三日後に白糠から砂川まで乗車した急行「狩勝4号」で偶然再会しました。
二人とも乗り潰しが目的とはいえ、広い北海道で再会する確率は如何に。数学に強い方は是非計算してください。丸投げです。
では続きの行程を・・・
岩見沢→深川→朱鞠内→名寄→美深→仁宇布→美深
美幸線仁宇布
宗谷本線美深
出た!
37年前の晩ごはんです。
缶詰を食べる男性。僕ではありません。広島県福山市から来ていたKくんです。彼との出会いについては以前紹介しました。
晩ごはんは宗谷本線の美深駅前で食べました。
その模様を当時したためた旅行記から引用します。美幸線(美深-仁宇布間21.2km 1985年9月廃止)を往復して美深駅に到着したところから始めます。到着時刻は20時16分でした。
美深駅の跨線橋の階段を昇りながら、
僕「これからどちらへ?」
彼「音威子府へ行って泊まります」
僕と同じ行程です。
もしや?と思い明日のスケジュールを聞くと南稚内まで全く同じでした。思わず奇遇ですね!と顔を見合わせました。
二人とも美深22時10分発の音威子府行きに乗車するので、それまで2時間あります。
その間に夕食を買おうと、人影のない駅前通りに出ました。
ホカ弁屋でもあれば買うのですが、そんなものは無さそうでした。
結局雑貨店で僕は食パンとウインナーを。彼は缶詰を幾つか買い、それを人気の無い駅頭に座り込んで食べることにしました。
彼は固形燃料で缶詰を温め始めました。
「缶詰だけでは足りないでしょう?」
食パンを一枚渡すと、お礼に「さんまの蒲焼」を一切れ頂きました。
それを食パンに挟んで食いついた僕。傍から見ればかなり侘びしい夕食でしょうが僕らは満足でした。
引用ここまで
現在駅頭で火を焚くのはアウトですね。
若気の至りです
宗谷本線音威子府
当日の宿、音威子府(おといねっぷ)駅です。
当駅で宗谷本線から分岐しオホーツク海側を経由していた天北線は1989年(平成元年)に廃止されました。翌年には駅舎も改築されてます。随分様変わりしているようです。
では時を戻そう。
きょうの晩ごはんです。
ししとうは焼きびたしにしました。