皆さん こんにちは。

 

普通西宮北口行3070Fです。 3070Fは、3072Fと違って 6連時代は短く 1年ぐらいで3連2本に分割されて 今津南線、甲陽線に移りました。

 余談ですが、 この3分前に 3064Fが仁川始発の準急梅田行きとして折り返しています。なぜか写真に残していないのですが、 当時の今津線の準急は、 始発が今より15分ほど遅い 宝塚7時15分ごろで その始発の準急が 梅田到着後回送になり、仁川へ。 8時24分発のこの日の最終準急として 梅田に向かっていました。 始発の準急に3058Fが入っているのを見かけると 最終の準急で運行標識板が撮れるということでした。

 

この後 思い出せないのですが、神戸方面に移動、六甲駅で少し撮影。

 

特急姫路行です。 山陽電車というと クリームと紺のツートンカラーのイメージが強くてあまりこの色の印象はないのですが。

 阪急電車と山陽電車の直通運転。両者とも自社のターミナルからの特急が直通していましたが、自社線内では速達運転するものの 神戸高速線内も含めた他社線内では各駅停車でした。乗り入れ区間内の 六甲ー須磨浦公園間各駅の運転本数は多く、利便性が良いような気がしますが、 輸送力過剰は明らかで 特に山陽線内は、何回か乗ったことがありますが、ほぼ空気輸送状態でした。 記憶違いではないと思いますが、 平日日中、山陽線内須磨浦公園までで、1時間に山陽線内の普通が4本 阪急特急が3本。そこに阪神特急が3本運転されていたと思います。 そして もっとややこしいのが 各社線内の運転サイクルで 山陽電車は15分サイクル。阪急電車は平日10分サイクル 阪神電車は、12分サイクルでした。 ですので、 時間調整で、高速神戸や、新開地での停車時間が微妙に長かったりしたので 直通運転の利便性は薄かったと思います。

阪急線内での6両編成車の輸送力に問題があって 乗り入れを中止にした と聞きますが、山陽線内での輸送力過剰もあったのではないかと思います。

 

私の想像ですが、現在の阪神山陽の直通特急のように、30分に1本でも 阪急梅田ー山陽姫路間の特急で最初から運転していれば、今でも 阪急梅田駅から 特急姫路行きが走っていたかも知れませんが。

 余談続きで、 梅田まで直通運転できなかったのは、山陽電車の車体幅が 少し広いのが原因であると聞いたことがあります。

 

5010F普通三宮行きです。  大規模な改装を行った 最初の編成で、他の編成は、正面の車番が移設されましたが、5010Fだけは、貫通路窓下に残され 他の編成と異なる表情になっています。

 

多分 何か買い物を終えて 三宮駅で撮影。 221系に追い出されつつあった 117系新快速を撮っていました。

 

 

御覧いただきましてありがとうございました。