Kさん撮影:蒸機現役時代 北海道 1972-75年 D61/D51若番 | D51338の ほぼ蒸機ブログ “NO STEAM, NO LIFE!”

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物心がついた時から蒸気機関車が好き。
1970年代に撮った写真はプリントでわずかに残るのみ(泣)
今は関東近県の復活蒸機を撮影するのが楽しみ。
そんな写真を載せたいと思います。
D51338は故郷、飛騨高山にいたカマです。

今日から夏季休暇、墓参りに行ってきました。今日は31℃でしたが明日から3日間、34℃予報、ツラいです(T_T) 

さてKさんからのメールです。

→ 今回はD61+D51若番ネタです。

前回のD51戦時型ネタ、いつもより「いいね!」の数が多いと思ってリストを見てみたら、お馬さん業界の方が数名入っておられました。

ハイセイコーの名前を出したからかな(笑)。

 

恐るべし!ハイセイコーですね。#にハイセイコーを追加しました(^^) 

代理投稿 by D51338  

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Kです。前回はD51の戦時型、1000番台の写真をまとめてご覧に入れましたが、今回は留萌本線を走っていたレア機D61と、D51のこんどは若番の写真をお届けします。

「若番」とはここでは1-100番までとしておきますが、一次形「ナメクジ」スタイルの1-85、91-100番と、標準型の最初の番号となった86-90番が含まれています。

 

① 留萌本線 恵比島-峠下 1974.8. 

3回目の北海道撮影行となる1974(昭和49)年夏にも、留萌本線のD61は唯一4号機が稼働していて、初めてD61の走行写真を撮影するチャンスに恵まれました。撮影場所は峠越えのある恵比島-峠下。

しかし、D61の特徴である二軸従台車を撮影できる横目のアングルは見つからず、結局アウトカーブから正面がちに撮ることに。

煙は悪くないのですが、ナンバープレートが写ってなければD61だとわからない写真になってしまいました。

② しかも①の後コマ、カーブに入ったところではピントを外しています。何やってんだか(笑)。

③ 函館本線 深川機関区 1972.8.13 

さて、その2年前の1972(昭和47)年夏、前々回ご紹介した旭川機関区訪問の後、午後遅い時間に深川機関区を訪れていました。

このときのD61は羽幌炭鉱の閉山に伴い羽幌線の運用とネグラであった留萌機関支区が廃止された後で、3,4,5の3両が深川区に移籍し留萌本線の運用についていたようでしたが、4号機は休車中だったのか機関区構内の奥の方に留置されていました。

そう言えば、前照灯の周りに将棋の駒の形のツララ落としが付いていたのが、深川機関区のカマの特徴でした。

④ 斜め前から撮影したD614です。肝心の二軸従台車のあたり、草が邪魔になって良く見えません(笑)。

D51→D61への改造は1959-61年にかけて行われ、国鉄最後の蒸気機関車の新形式となりましたが、当時各幹線でまだまだ主力として活躍していたD51の供出は進まず、結局6両が改造されたに留まりました。

⑤ 同じ日の深川機関区で撮影した、同区所属のD5162です。

ナメクジ+長工デフという非常に特徴ある姿でしたが、木曽福島区時代に長工デフが装着された後の1962年に旭川区に転属。

北海道に渡った後にキャブ密閉化、長工デフの切詰め(!)、煙突周りののツララ落とし装着(これは1966年深川区転属後でしょう)、等の改造が行われています。

⑥ 深川駅 1972.8.13. 

深川機関区を見学撮影中、すぐ横を留萌本線下り(たぶん)の貨物列車が発車して行きました。先頭は深川区のD5186。1937(昭和12)年国鉄浜松工場製造の、D51量産型第1号機です。

深川区で1973年に廃車された後、生誕の地である浜松市に里帰りし、現在もはままつフラワーパークで静態保存されています。

⑦ ⑥の列車の後補機は、やはり深川区所属の超若番のD514でした! D514は長工デフこそ装着されていませんが、1966年に長野県の中津川区から深川区に転じたカマ。その後現役蒸機終焉の1975年2月に追分区に転じ、私Kも3月に夕張線で再会、その後検査期限切れとなる同年秋まで活躍を続けました。

⑧ 室蘭本線  遠浅-沼ノ端 1973.8.5 

室蘭本線の貨物列車を牽引する、岩見沢第一区のD5153です。

こちらは1955年から岩見沢第一区に所属し、D514と同様、1975(昭和50)年の本線蒸機列車の終焉近くまで活躍したD51初期型の一両となりました。

⑨ 室蘭本線  遠浅-沼ノ端 1975.4.5 

やはり室蘭本線の貨物列車を牽引する、岩見沢第一区のD5159です。これも1975(昭和50)年春休みの撮影行の最後、お馴染みのSL銀座のこの場所(千歳線植苗駅から歩くと15分くらいで着きました)に立ち寄って撮影した写真です。

⑩ 室蘭本線 追分付近1975.3.28 

この春休み撮影行の最初にもD5159を撮影しています。

何だか横から流してますね。

D5159は生涯のほとんどを北海道で過ごしたカマで、昭和50年12月24日の本線蒸機列車最終日まで運用につき、その後長野県辰野町の公園で静態保存されています。

以上、D61とD51若番の特集でした。

それにしても「試作機でない900番台」が存在するのは、日本の機関車ではD51が唯一の例だろうと思います。

それだけでも凄いことですね。

次回からは3回連続で、宗谷本線のC55を行きます。

お楽しみになさってください。

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