中村精密、天賞堂の東芝戦時標準型凸型電気機関車 | 模工少年の心

東芝40t凸型電気機関車と呼ばれる機関車が、戦前の1936年から1949年辺りまでに多数製造され、特に戦後の物資不足の時代に、各地で活躍したそうです。

 

凸型電気機関車は、本線の脇にポツンと1台置いてあっても様になる存在からなのか、愛好者も多いようです。

私も、その一人で、かなりの数の凸型電機を所有しています。

 

その中で、東芝製の40tの凸型電機は、標準型とネーミングされているから、どれだけ数多く生産されたのかと思っていたのですが、どうも、そんなに多くはないようです。

それなのに、なぜ「標準型」なのか、理由がわかりました。そのことは、後にして、模型化された製品の説明を先にしておきたいと思います。

 

16番では、中村精密が、1981年というから、もうすでに40年くらい前に、真鍮製のキットと完成品を発売しました。

私は、キットを組み立てたものを1両、完成品を2両持っています。

 

◇自由型(一応 西鉄ED200タイプ のち京成デキ1タイプ)

上回り、下回りとも、バラキットを組立説明書、図面をよく見て、素直に組みました。

プロトタイプは、西鉄ED200です。機械室から屋根にパイプがつながっているので、見様見真似でそれも、付けました。

パンタは、好みで、PT42銀です。

パンタ台は、エコーモデルの旧型パンタ台を歩み板なしで使いました。パンタ取付孔の位置決めが確実にできるので、便利です。

組みが完成したところで、黒で塗装するのはやめたくなり、青15号で塗ってしまいました。

 

下回りは、小さな棒モーターを2台使い、全軸駆動させるようになっていて、いかにも力がありそうです。

しかし、組んでみると、ギアから出る音がうるさく、走りも良くないので、パワートラックWB31に取り替えてしまいました。車軸の頭をカットしてあり、台車枠はお飾りです。

 

キットを組み立てていて、一番難しかったのは、エアータンクの取り付けです。

引き物のエアータンクは、熱を食うため、タンク2個を床板にハンダ付けするのが上手にできませんでした。

それで、タンク1個ずつを自作の取付台にハンダ付けし、それを床板にビス留めしてあります。

 

機番等の表示はしてなかったので、京成機のように、デキを白インレタで付けようかと考えています。

 

◇東武ED4010

完成品を中古で買いました。東武鉄道タイプにしたくて、床板を黒から、ボディと同じ茶に塗り替えました。

運転室出入口ドアの手摺りと前後のステップに付いているステップを黄色に塗りました。

後年、東武鉄道用のナンバープレート(モデルワムか天賞堂のプラ製品付属品どちらかです)が手に入りましたので、貼り付けましたが、これで一気に生き生きしてきました。効果は絶大ですね。

 

ワム(オレンジべージュ)から、ED4010用の台車枠(FS29)が販売されたことがあったのですが、買い逃しました。台車枠は製品のままです。

 

スカートステップは、SL用の小ぶりのものに取り替えました。

台車のFS29への交換及びスカートのゼブラ塗がされる前の時代の姿を模型化したと思っています。

こちらも、動力はパワトラ化してしまいました。

 

◇三池鉄道タイプ

中村精密からは、完成品として、茶色の他に、朱赤に塗られたもの、深緑に塗られたものがありました。

どちらの色も、あまり似ていませんが、三池鉄道と南海を想定したものではないかと思われます。

ある日、朱赤のものが、中古で出ていたので、迷わず買いました。

 

 

 

 

やはり、走りはパッとしませんが、産業遺産(大袈裟ですが、鉄道模型の技術進化遺産)と考えて、オリジナルのままにしてあります。

ナンバーは、緑地のプレート、20番を付けました。

 

三池鉄道では、最近まで凸型電機が活躍していたこともあり、この機関車が働く姿は、比較的容易にイメージできます。

 

中村精密製品から後になること30年、プラスチック製の東芝凸型標準型電気機関車が、天賞堂から発売されました。ついこの間のように思いますが、2010年春頃ですから、もう10年も前になります。

 

銀座本店に出掛け、3階の店頭ウインドーに並んだ商品をみて、どれを購入しようか、機種選定に頭を悩ませたのを覚えています。

塗装やディティールで変化をつけて、製品のバラエティーを楽しめるよう考えた天賞堂の思惑に、すっかりハマった格好です。

商品構成は、つぎの8タイプです。

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国鉄ED29 11(ED37 1)

52013

東武ED4010タイプ

52014

京成 デキ1タイプ

52015

名鉄 デキ600タイプ 1灯ライト

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名鉄 デキ600タイプ 2灯ライト

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名鉄 デキ600タイプ 新色

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南海 ED5151タイプ

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東芝40t標準凸型 未塗装

ご贔屓の鉄道会社があって計画的に整備するというようなことがなく、あいも変わらずあっちへフラフラ、こっちへフラフラで、迷いがでるのです。

それで、実際に購入したのは、南海タイプ、しかも重連にしたくて、2両買ってしまいました。

 

◇天賞堂  南海ED5151+ED5152

南海の深緑は、古豪に良く似合う渋い色合いが好ましく思っていました。

写真をみると、実車ほスカートステップが付いていなかったので外しました。かわりに、エアホースやジャンパ管を付けてあります。

 

 

 

走行は、フライホイール付両軸モーターにより全軸駆動とあって、滑らかな安定した走りです。

LEDによりヘッドライト点灯、ON/OさFFスイッチにより消灯可能、これで15,000円はお買い得だと思います。

 

天賞堂のこのシリーズは、ほとんど欠点はない良品ですが、塗装に使われているグレーが明る過ぎるところは、何とかしてほしいところです。白に近いくらいで、鉄道車両らしい重厚さがなくなってしまいます。

南海タイプでは、屋根とパンタがそうです。

台車がグレーの東武や京成等のタイプに使われている台車の色は、さらに違和感を感じます。

南海5152の方は、PS13パンタグラフを黒に塗装してみました。比較のため1台のみの加工に留めました。(オリジナルの方が良かった気もします。)

 

国鉄型のワム23000を5〜6両牽引して走らせていますが、南海独特のワブ(緩急車)を後に繋いだ編成にしてあげれば、いい感じが出ると思います。

 

ここまで、保有している東芝製の凸型機関車をご紹介してきましたが、これらの車両は、どれも、カワイイという印象がないのです。

 

凸型電機のある風景というと、「とある中小私鉄があり…、国鉄○○線の駅の跨線橋を渡ると、ひっそりと片隅にホームを構えて、温泉めあての乗客の便宜を図っている。電車は、クリームと緑のツートンに塗られた15メートル級の2扉の両運モ101の単行…。(私の想像です)」とういうように、1950年代頃には全国各地に存在した地方私鉄とともに思い浮かべられることが多いのではないかと思います。

しかし、東芝製の凸型電機は、そうした中小私鉄とは、全くそぐいません。

存在感がありすぎてしまいます。

 

東芝の標準型機関車は、日本の地方私鉄の標準ではなさそうです。それは、実際に配置されていたのが、都市部の大手私鉄がほとんどであることからも裏付けられます。

 

それなのになぜ「標準型」という冠がつけられているのかということについては、ウィキペディアの京成 デキ1型の項目をみると、つぎのように記載されていて、どういう意味合いでの「標準」であったのかわかります。

 

「(1945年の終戦)当時東京芝浦電気(以下「東芝」と記す)において注文流れ※となり存在が宙に浮いていた2両の「東芝戦時標準形」電気機関車を購入し、自走不能な状態にある電車を牽引して旅客列車として運行することによって輸送力の向上を図ることとした。※日本窒素が海南島の鉱山において運用する目的で発注した車両であると推定される」

 

つまり、戦争を遂行する上で、海外の戦地にもっていく機関車を効率よく製造することができるよう、標準の設計として決められ製造された、悲しい歴史を背負った存在だったのです。

そして、戦争が終わり行き場を失った戦時標準型機関車達は、戦後の疲弊した鉄道車両の輸送力確保のために、主に戦災の激しかった大手私鉄に引き取られたのでした。

 

京成デキ1が、故障して動けない電車を引っ張っていたとは。そのような時代があったことは、全く知りませんでした。

 

続いて、これは、西武鉄道31型電気機関車のウィキペディアによる解説になります。

 

「東芝によるこのクラスの凸型電気機関車は、元々日本の多くの私鉄で採用されていた地方鉄道建設規定準拠の車両限界(最大幅2,740mm)に制約されない、植民地/占領地向けとして設計されたものであった。

そのため最大幅が2,800mmを超過するワイドボディとなっており、当時の日本の私鉄での運用に適さないものであった。

しかし、戦時中の過酷な物資不足にもかかわらず増大し続けていた貨物需要は、日本窒素肥料が海南島の鉱山鉄道用として8両を発注したものの帝国海軍の制海権喪失で航送できなくなった、このタイプの40t級電気機関車を遊ばせておくことを許さない状況にあった。

このため、これら8両は先に挙げた南海鉄道・東武鉄道・奥多摩電気鉄道・名古屋鉄道の各社へ、若干の手直しによる最大幅の縮小と、それでもはみ出る車体幅での運転を認める特別設計許可込みで振り向けられた。

東芝製のこのタイプの機関車は、その後も同社が運輸通信省より電気機関車一括生産工場の指定を受け、また別途新設計の機関車を製作するような時間も余裕もなかったことから、車体幅の問題があることを承知でほぼそのまま大量生産が開始された。」

 

地方私鉄の軸重の軽い貧弱な線路の上を東芝標準型機関車が走るのがいかにも似合わないのは、車両限界の制約からも実際に裏付けられました。

コロナ禍で、「今年の夏は特別な夏になる」等、様々に言われていますが、梅雨が明け、セミの声が競い合う、いつもの盛夏の季節が訪れたようです。

近頃、これまでの日本らしい風情が次第に失われつつあるように思われます。

戦後の混乱期の落とし子とも言われる東芝の凸型電機を眺めながら、時代を振り返り、年月の流れの速さを感じています。