その2(№5227.)から続く

今回は、東京モノレール以外の羽田空港への鉄度アクセスについて取り上げます。
前回触れたとおり、平成10(1998)年に京急空港線のターミナルビル直下への乗り入れが実現、東京モノレールの独擅場が崩れました。
現在、第3の空港アクセス鉄道として、JR東日本が東海道貨物線を改良してアクセスルートを整備する計画が動き出していますので、それについても言及していきます。

【京急】
平成10年にターミナルビル直下への乗り入れが実現したのは既に述べたとおりですが、その5年前には「羽田駅」(現天空橋駅)の開設により、東京モノレールを介した形態ながらも、羽田空港へのアクセスを担うことになりました。
実は京急は、昭和40年代に当時の運輸省から空港線の羽田空港乗り入れを打診されたことがあります。しかし当時の京急は、三浦半島への新線建設と通勤輸送の増強にリソースを集中したいとして、その打診を突っぱねてしまいました。その後の航空旅客は爆発的に増加していきましたから、当時の京急は「下手を打った」感もなくもなく。京急も流石に後悔したのか、羽田空港への乗り入れを打診しますが、今度は運輸省が認可しない。それどころか営団地下鉄13号線(現副都心線)の羽田方面への延伸を答申する始末(後述)。これなどは運輸省の打診を突っぱねた京急に対する「意趣返し」以外の何物でもないような。
そこで…ということか、京急は当時の「羽田空港駅」(現在の天空橋駅の至近にあった)から連絡バスを運行、空港アクセスルートを開きましたが、当時の「羽田空港駅」は駅前が狭く大型のバスが入れないため、小型バスでの運転となりました。それも乗り換えの手間が嫌われ、利用は振るわなかったといいます。一説によると、京急は意地でこのアクセスルートを維持していたともいわれます。
羽田空港の沖合展開に伴い、東京モノレールのみでは鉄道によるアクセスに限界があるということか、平成に入って、京急の羽田空港乗り入れが現実化します。そこでまず、地上の「羽田空港駅」を廃止して同駅を地下化、「羽田駅」(現天空橋駅)を開設します。さらにその5年後、京急は悲願のターミナルビル直下への乗り入れを実現させました。平成22(2010)年の国際線ターミナル(現第3ターミナル)開設にあわせ、「羽田空港国際線ターミナル」駅(現羽田空港第3ターミナル駅)を開設しています。
京急の強みは、相互直通運転によるネットワーク。羽田空港から品川方面だけではなく、都営浅草線に直通して都心へ直行できるようになり、利便性は大幅に向上しました。横浜方面への列車も、当初は早朝の限られた列車にとどまっていたものの、その後の京急蒲田駅の構内改良により増発が可能となり、高架化が完成した現在は、8連の大編成が横浜方面から羽田空港方面へ入れるようになりました。

【営団地下鉄】
こちらは計画がありながら実現しなかったもの。
当時の運輸省に設置されていた都市交通審議会が、昭和47(1972)年に運輸大臣に提出した「都市交通審議会答申第15号」に「都市計画13号線」の渋谷から品川・羽田方面への延伸が盛り込まれていました。このときは渋谷以遠の経由地が明示されていなかったのですが、まさに羽田空港へのアクセスも視野に入れたものではなかったかと思います。
結局、「都市計画13号線」の羽田方面への延伸は、その13年後の昭和60(1985)年の運輸政策審議会による「運輸政策審議会答申第7号」において削除され、同路線の終点は渋谷とされました。後にさらに計画が変更され、同路線は東急東横線との相互直通運転を前提とした規格に変更され、「東京メトロ副都心線」として開業、現在に至っています。
これが実現していたら、副都心線は渋谷から恵比寿、白金高輪、泉岳寺を経て品川へ達し、八潮パークタウンのあたりを通って羽田空港へ達していたものと思われます。つまり、現在の東京メトロの「メトロネットワーク」が羽田空港とダイレクトに接続されていたことになりますが、そうなれば東京メトロの利便性は大幅に向上していたものと思われ、管理人はそこが勿体ないと思います。
もっとも、後述する「蒲蒲線」構想は、このときの「都市計画13号線」の羽田延伸計画の形を変えた実現といえ、その帰趨が注目されるところです。

【JR東日本】
これと次項の「蒲蒲線」は、将来計画となるもの。
JR東日本が東京モノレール羽田空港線の運営会社を自社傘下に組み込んだのは、前回触れたとおりですが、同社は東海道貨物線を活用した羽田空港アクセスルートの開設に向けて、平成30(2018)年度から予算を計上しています。
構想されているルートは、東京駅方面と結ぶ東ルート、新宿方面と結ぶ西ルート、京葉線千葉方面と結ぶ臨海部ルートの3つですが、JR東日本は優先的に東ルートを整備する計画で、令和11(2029)年の開業を目指すとのこと。後の2ルートは中間に別会社運営のりんかい線を挟んでしまうため、運賃の収受をどのように行うかという問題が生じます。この問題の解決には、「成田スカイアクセス線」のように路線の二重戸籍を認めるか、羽田空港新駅で京成成田空港駅のように改札を分けるか、あるいは力業になりますが、東京臨海高速鉄道自体をJR東日本が買収して自社路線にしてしまうかのいずれかが必要ですが、そのあたりの調整の難しさが、後の2ルートが後回しにされた理由でしょう。
なお、上記3ルートのいずれも、途中駅を設ける構想はなく、仮に東ルートが先行開業したとしても、新橋又は田町からノンストップで羽田空港新駅へ向かうものと思われます。これは、東京モノレール羽田空港線との棲み分けを図ろうとする考慮でしょう。
ただ、JR東日本は、新型コロナウイルス蔓延に伴う輸送量の激減によって、今年度の第1四半期は大赤字を計上しており、今後もどこまで挽回できるか不透明なので、令和11年度の開業は遅れる可能性もあります。

【蒲蒲線】
これは当ブログでも何度か言及してきましたが、東急多摩川線を京急蒲田・大鳥居へ延伸する計画。
今のところ着工には至っていませんが、大田区は矢口渡-東急蒲田-京急蒲田間を第1期整備区間として、今年度中にも整備主体となる第三セクターを設立、3年後の着工・7~8年後の開業を見込んでいます。
このあと、第2期整備区間として京急蒲田-大鳥居間の建設を目指すことになりますが、東急と京急では車両の規格も軌間も異なるため、直通運転にはかなりの困難が伴います。仮にフリーゲージトレインを導入するとしても、京急の車両規格に合わせるのであれば、多摩川までしか運転できず、その先の渋谷・目黒には達することができなくなります。そこをどうするかという難問が立ちはだかりますが、とりあえず京急蒲田まで路線を建設すれば、乗り換えが必要とはいえ利便性が格段に向上します。
これはまさしく、都市計画13号線の羽田延伸計画の事実上の復活といえるものですが、この計画が実現すると、京急が乗客をかなり吸い出されてしまうことになってしまうため、大田区と東急が乗り気なのに対し、京急のテンションは低いままとなっています。
この計画は他にも、池上線が東急の路線のネットワークから孤立してしまう問題もあるため、そもそも実現するのか、実現するとしてどのような運転系統になるのか、大いに注目されます。

以上が、日本最大の空港・羽田空港の鉄道アクセスの全容と今後の計画です。
次回は、羽田と並ぶ日本の空の玄関口、成田空港の鉄道アクセスについて取り上げます。

その4(№5239.)へ続く