1979(昭和54)年8月1日、日本の全ての営業路線上から蒸気機関車が消えて3年8ヶ月、再び蒸気機関車が牽く列車が帰ってきました。
国鉄・山口線で汽笛を響かせてから41年の時を越えて、今も走る蒸気列車。
コロナウィルスによる災厄によって、今年の運転開始から運休とされていた"SLやまぐち号"が、日本の動体保存列車の記念日に高らかにその汽笛を響かせました。
と、詩的な文面で"やまぐち号"の運転再開を祝して記事を始めましたけど、定期営業列車から蒸気機関車が消滅したのは1975年12月で。
構内の入れ換え業務は1976年3月で。
その後、京都の保存機によるイベント列車は運転されたことがあるので、厳密には3年8ヶ月ではなかったりします。
全国的には7月から運転再開したSL列車もある中、前述の通り"やまぐち号"は8月1日から感染を防ぐ対策を取ったうえで運転開始となり、11月22日までの土日と祝日の合わせて37日間、運行される予定となっています。
35系客車では、座席やテーブルなど乗客が触れる部分を、殺菌力が長期間継続する抗ウィルス薬で消毒した他、換気を随時行うなど、新型コロナウイルスの感染を防ぐ対策をとっているとのことです。
サラダなど生野菜食品を加工する際に使用される"次亜塩素酸ナトリウム"が、対COVIDー19にも有効だと言われていますが、やはりそれ系の消毒薬なんでしょうか。
前日の22時に出勤し、1日の朝7時まで仕事して、一旦家へ帰ってから広島駅へ。
9時18分発の"のぞみ77号"に乗って、9時48分に新山口駅へ到着した時には、C57-1号機は既に転線が終わって、35系客車と連結されていました。
広島は雲がほとんど無く青空が広がっていましたが、小郡は空に雲の比率が高い空模様。
まずは2番ホーム先端付近に陣取って、やまぐち号の入線を待ちましたが、後頭部から首や肩に自分の汗が滴り落ちてきます。
目にも汗が入って来てしまうほどでしたが、これはやはりマスクをしていることによる体温上昇でしょうか。
3月の伊豆以来の遠出でもありましたが、ここ最近の家と職場のみの往復以外は、近所のスーパーへの買い物や、早朝の貨物列車撮影ぐらいで。
梅雨も明けたてだったため夏の暑さのお出かけに、体がまだでき上がっていない上に夜勤明け・・・・が、祟っていたのかも知れません。
恐ろしい程の汗をかきながら、反対側の1番ホームに陣取る報道の方たちを見ると、やっぱり同じように暑そうにしてました。
そして10時24分、C57ー1号機に推されて35系客車が入線。
コロナウイルス第2波が拡散している最中ではありますが、ホームには"やまぐち号"へ乗車される人や、お見送り・写真撮影の人々で賑やかです。
このまま感染拡大化するなら、それこそ今の内にと思うのは、自然なことかも知れません。
未来は不透明ですが、再び運休となる懸念も残っていることは間違いの無い現実ですし、また流行し始めた時よりも色々見えてきた・解ってきたこともありますし、そうならない可能性も大きいですが。
私は、復活初日なので発車は駅で見送って、この後に新山口駅と山口駅から近くに静態保存されている蒸気機関車を再訪。
そして戻って来る"やまぐち号"を、どこか沿線で撮影する・・・・という予定だったのですが、緊急事態発生となり。
と、いうことでつづきます。
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ホットケーキははちみつ派?メープルシロップ派?

はちみつはちみつ・・・・(笑)
蜂蜜ってねぇ、子どもの頃はよく食べてたと思います。
子どもの時の、指につけてナメ始めると止まらない、マヨネーズ・練乳・ハチミツは3大"親に怒られてもヤメられない食べ物"でした。
今は買わない。
買うのならメープルシロップだったけど。
それすら近年、買ってないなぁ。

さて、8月ということで1日から原水協が、4日からは原水禁が世界大会を開催し始めます。
広島平和記念公園では1日から、6日の平和記念式典と戦没者慰霊祭へ向けての、24時間警備体制がスタート。
8月15日の終戦記念日まで、慰霊の2週間が始りました。
この3D写真は2009年にUPした、原爆ドームの向かって右側、1階会議室だった部分を内側から撮ったものです。
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