西武有楽町線と営団7000系 | 書斎の汽車・電車

書斎の汽車・電車

インドア派鉄道趣味人のブログです。
鉄道書、鉄道模型の話題等、つれづれに記していきます。

 マイクロエース製のNゲージ、営団7000系をようやく購入しました。

 営団7000系といえば、西武鉄道に乗り入れてくる電車ですし、我が鉄道の西武電車たちと並べたいとは思っていたのですが、発売から随分経っての購入と相成りました。

 購入が遅くなった理由ですが、製品が「冷房準備車」仕様だったことにあります。冷房車の方は営団ではなく「東京メトロ」のマークを付けての製品化となりました。西武電車と並べるには冷房車、それもできれば営団でと思っていたのですが、その仕様はなかなか製品化されません。そこで今回、ようやく冷房準備車の方を購入することにした訳です。

 

 よくよく考えてみれば、営団7000系冷房準備車も、西武鉄道と全く関係がなかったわけではありません。西武有楽町線の暫定開業(小竹向原~新桜台)の際には、西武側は車輛を用意せず、この電車が使用されたのですから。そして、西武池袋線の複々線化工事があれほど遅れなければ、非冷房の7000系が西武線に乗り入れてきて、赤電なんかとも共演した可能性もあります。まあ、そんなことになっていたら、西武側の地下鉄乗り入れ車は2000系をベースにした鋼製車となり、こちらが3000系を名乗ったかもしれません。

 

 そうした「妄想」はさておき、ここからは西武有楽町線が暫定開業した頃の思い出話を少々したいと思います。随分昔のことですので、私の記憶も相当怪しいのですが、まあ覚えている範囲でお話しましょう。

 さて、晴れの開業日は昭和58(1983)年10月1日、地下鉄有楽町線の電車に乗ればそのまま新線区間に入れたはずですが、当時の私は何を考えていたのか、他の鉄道との接続がない新桜台駅を目指したのでした。

 「新桜台」というくらいだから、桜台駅の近くなんだろうと西武池袋線の桜台駅を降りたのが間違いのもと、なかなか新桜台駅が見つかりません。このまま迷子になってしまうのかと思った頃、ようやく新桜台駅の入口を発見しました。

 

 新桜台駅は山手線外側の地下鉄の駅の典型みたいなつくりになっていました。ただ、内装などが営団地下鉄の駅とは微妙に異なり、個性を主張しています。駅員さんも営団職員ではなく西武の社員です。利用者向けの「新桜台駅発着時刻表」がありましたが、きちんとした印刷物ではなく、コピーでした。しかも確か「手書き」だったと記憶しています。(現物を発見できず残念です)パソコンやワープロが広く普及する「前夜」のことですから、こうした手作りの配布物はどうしても「手書き」になってしまうのです。

 トンネルと線路は練馬駅方向に少々続いていまして、保線用のモーターカーが止まっているのが見えましたが、あれも西武のものだったのでしょうか。

 

 程なく「新富町」(当時の有楽町線は新富町と営団成増・現在の地下鉄成増を結んでいました)行きの電車が到着。「初乗り」と相成りましたが、電車はおなじみ営団7000系ですし、あまり新鮮味はありません。途中駅もない1.2km、地下鉄ですから車窓の楽しみもないまま、終点の小竹向原駅に到着です。

 小竹向原駅もこの年の6月24日に開業したばかりですが、今日からは分岐駅となりました。この駅で乗務員さんが律儀に交代しています。わずか1.2kmの「離れ小島」的支線とはいえ、西武鉄道はその運行を他人(営団)任せにはしなかったんですね。

 以上で「初乗り」を終わりましたが、それにしても「西武有楽町線」という線名、何とかならなかったのかと思いました。仮称の「西武8号線」は、この区間が都市交通審議会答申の「東京8号線」の一部ですから致し方ありませんが、正式名称も営団に「右へ倣え」では余りにも芸がありません。かといって適当な名前も思いつきませんでしたが。

 

 回想はこのくらいにして模型をもう一度眺めます。7000系の特徴を良く捉えた模型です。方向幕は当然「新桜台」、そう思って製品付属のシールを見たら、「ないっ!」なんと新桜台が含まれていませんでした。どこかのサードパーティーからパーツが出ているのでしょうか?あるいは「自作」、それとも「小竹向原」で妥協することとなるのか、これまたもうしばらく考えましょう。