大正時代の横軽登場!?「紡ぐ乙女と大正の月」2020年9月号 | 風かおる 鉄の路

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主に私が乗車した乗り物関連(鉄道中心)、その他気になったことを綴っていきます。稀にお絵かき。

 

東京方面から軽井沢へ鉄道で向かうには、北陸新幹線を利用するのが一般的です。

東京から軽井沢まで最速1時間5分(はくたか555号、2020年3月14日現在)。

気軽に行ける時間ですね。

 

 

しかしながら、1997年10月1日に北陸新幹線(長野新幹線)高崎~長野間が開業する前は在来線特急あさま号で上野~軽井沢間は2時間30分ほどかかっていました。

 

この列車の大きな特徴は横川~軽井沢の県境越え区間(いわゆる横軽)で補助機関車EF63形電気機関車を2両連結すること。

横川~軽井沢間には最大勾配66.7‰(パーミル、1000m水平移動するごとに66.7m登る勾配)の急勾配が存在し、すべての列車が単独走行できない区間でした。

この補助機関車の運用に莫大な運転経費がかかっていたため、新幹線の開業と同時に横川~軽井沢間は廃止になってしまいました。

 

なお、このEF63形電気機関車を連結する方式は1963年から始められたもので、それより前は特殊な方式を採っていました。

 

それは…アプト式。

線路に設置されたラックレールという歯型のレールと車両の歯車を組み合わせて勾配を登る方式です。

今から50年以上前に廃止された方式なので、当時の雰囲気を想像するのはなかなか難しい…

 

ところが、なんと2020年7月28日に発売された「まんがタイムきららキャラット」内の連載「紡ぐ乙女と大正の月」でアプト式時代の横軽が取り上げられ、当時の様子がかなり再現されているとの情報を得たので確認してみました。

すると全編に渡って当時の鉄道の様子が詳細に描かれていることが判明したため、今回は横軽を含めた鉄道描写について考察してみることにしました。

 

「紡ぐ乙女と大正の月」とは、…

ある日地震で気を失ってしまった女子高生・紡が目を覚ますと、そこは大正10年(1921年)の銀座だった…!大ピンチの彼女を救ったのは公爵令嬢の唯月。そのまま紡は唯月とともに大正時代の女学校へ通うことに…

 

大正時代にタイムスリップした少女と女学校の生徒とのタイムスリップ百合ストーリーとなっています。

 

 

きらら系の鉄道テーマの漫画といえば私の最推し作品でもある「初恋*れ~るとりっぷ」がありますが、この漫画は鉄道漫画でもなんでもなく、しかも現在より約100年前の鉄道を詳しく描いている点が非常に興味深いです。

 

それでは、大正時代の鉄道を見ていきましょう。

※以下、「紡ぐ乙女と大正の月」2020年9月号連載分のネタバレを含みますのでご注意ください。

 

まずは紡さんたちは上野駅から列車に乗車します。

上野から軽井沢方面へと向かう列車を牽引する蒸気機関車が登場しています。

当方にはわかりませんでしたが、Twitter上での意見を見るとほぼC51形(当時は18900形)で間違いないようです。

C51形は1919年に登場。

主に幹線旅客列車の主力機として使われ、1930年より運行を開始した超特急「燕」にも使用された名機です。

(自動連結器を装備しているように見えますが、当時はまだねじ式連結器の時代なのですよね…)

 

さて、紡さんたちが乗り込んだ車両はなんと展望車。

車内の様子はどう見ても鉄道博物館のマイテ39にしか見えないのですが…

残念ながら、マイテ39の登場は1930年(当時はスイテ37010形→スイテ39形、戦後に改造してマイテ39形となる)。

 

当時存在した展望車といえば、ステン9020形・ステン9025形(→オテン9020形・オテン9025形。1922年改番)、そして「或る列車」のブトク1(当時は改番されてストク9000)が挙げられますが、いずれも寝台付きなので、今回登場したものとは明らかに異なります。

 

(↑ブトク1などをイメージして改造されたJR九州の「或る列車」)

 

 

そんな謎の展望車に乗車した一行。

「これってグリーン車的なやつなのかな?」と紡さんは思っていたようですが、この時代の展望車はすべて「イ」。いわゆる1等車であり、グリーン車(=「ロ」、2等車)よりも格上の存在です。

なお現代で「イ」がつく車両はマイテ49・大井川鐵道のスイテ82といった展望車を除けばクルーズトレインのななつ星in九州とTwilight Express瑞風のみとなっています。

 

戦前は展望車は東海道本線・山陽本線の特別急行列車にのみ連結されていたため、信越本線に定期運用で入線することはなかったはず…ですがなんと今回は唯月さんたちのために特別に連結していたのだそう。

さすが上流階級、としか言いようがないです。

(当時撮り鉄がいたらかなりのネタ列車になったはずです(笑))

 

全員が乗り込み、一息ついたところで列車は上野駅を発車。

「新潟行き発車します」

当時はまだ上越線が開業前だったので新潟方面へ向かう列車もすべて信越本線経由だったのですね…

 

 

高崎から信越本線に入った列車は横川に停車。

ここで機関車の付替え作業が行われるため、長時間停車します。

ここから牽引を担当するのは国鉄が初めて導入した国産電気機関車ED40形(当時は10020形)。

(作中では「国産初」と書かれていますが、実際は大阪高野鉄道(現・南海電気鉄道高野線)堺東工場で1916年に製造された木造凸形電気機関車が最初なのだとか)

 

鉄道博物館にED40-10(10030)が保存展示されているのですが、あいにく画像を持ち合わせていないのでWikipediaから引用した画像を載せておきます。

不明 - 鐵道省『鐵道一瞥』鐵道省、1921年10月14日。国立国会図書館デジタルコレクション: 永続的識別子 1899286, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=90098092による

 

運転台は横川方のみに設置され、軽井沢方は連結器の上まで張り出した抵抗機室となっています。

第三軌条(後述)から給電するための集電靴は片側に2箇所設置されていたようです。

 

Wikipediaによると、1921年当時の運用方法は横川方に当形式及び10000形(EC40)を2両連結し、さらに編成中間にも1両連結という方法でした。

(後に自動空気ブレーキの普及に伴い、横川方3両、軽井沢方1両連結による運転が行われています)

編成中間に連結するとなるとかなり連結作業に時間がかかったのではないでしょうか…

 

作中では、電気機関車導入前の苦労が描かれていました。

電気機関車導入前は当然アプト式蒸気機関車を使用していたわけですが、最大速度が9.8km/hしか出せず、横川~軽井沢間が片道75分もかかっていたのです。

そのため、乗客乗員は長時間煤煙に苦しめられ、トンネル内では乗務員の窒息失神事故も発生していました。

そこでこの区間の電化が行われ、1911年に電化運転を開始しました。

国鉄の幹線としては日本で初めての電化区間。トンネル半径が小さく、営業運転しながらの改修は困難であることからレールをもう1本設置しそこから給電する第三軌条という方式が採られました。

 

電化により、最高速度は18km/hに向上し、所要時間も片道47分程度まで短縮されました。

 

最初に使われたのはドイツから輸入した10000形(のちにEC40形に改番)。

1919年からは今回登場した10020形(ED40形)も登場し、横軽の輸送を支えました。

 

横川停車中に駅弁を購入した一行。

駅弁はおぎのやの釜めし…ではなく、いなり寿司と太巻きの弁当。

内容や掛け紙などから、2017年頃に販売されていた「御壽し」という復刻弁当と同じもののようです(現在は販売なし)。

釜めし販売開始は1958年なのでずっと後のことになります。

 

長時間停車していた列車もようやく発車。

駅弁を食べながら話題はなぜか3年前に横軽で起きた列車逆走事故の話に。

1918年3月7日、車両不具合のため本線上に停車していた貨物列車が突如逆走し、当時存在した熊ノ平駅の側線に突入、脱線大破しました。

この事故により最終的に4名が死亡、4名が負傷する大惨事となってしまいました。

 

横軽間ではその後も1975年に逆走事故が発生しており、危険な区間であったことは間違いありません。

 

 

ちなみに、横軽間にはトンネルが26個ある…という発言がありましたが、これは鉄道唱歌の北陸篇に

 

   くゞるトン子ルママじふろく ともしうすくひるくらし いづればてんうちはれて かほふくかぜこゝよさ

   (鉄道唱歌 北陸篇 - Wikisourceより)

 

とあることが理由ではないかという指摘を見かけました。

確かによっぽどの鉄道マニアでない限り横軽間のトンネルの数なんて覚えていませんからね(私も初めて知りました)。

 

列車は横軽区間を走り、有名な「めがね橋」こと碓氷第三橋梁を渡って軽井沢に到着しました。

 

紡さんたちが利用した旧駅舎は1997年に解体されており、一部を再利用して復元された建物が 2017年10月27日よりしなの鉄道軽井沢駅旧駅舎口として使用されています。

 

周囲は水戸岡鋭治氏の手によってリニューアルされており、水戸岡カラー全開になっています(笑)

 

ちなみに軽井沢といえば同じきらら系の「スロウスタート」の舞台のモデルでもあり、軽井沢駅現駅舎が聖地の一つになっています。

一度に2つの作品の聖地巡りができてしまうなんて、お得ですね。

 

ということで、今回は「紡ぐ乙女と大正の月」に出てくる鉄道シーンを考察してみました。

思っていた以上に鉄道の考証がきちんとなされており、鉄道漫画としても読めてしまうほどでした。

百合漫画としても魅力的なこの作品、今後ますます注目ですね。

 

それにしても、アプト式時代の横軽が体験できるとは…うらやましい限りです(笑)

もし、この時代にタイムスリップしてみたらどんな乗り鉄ができるのか…

想像が膨らみますね。

 

 

それでは。

 

ニコニコ静画内「きららベース」にて「紡ぐ乙女と大正の月」1~6話の試し読みができます(PC版はログイン必要)

 

 

作者様による2020年9月号の取材記録(pixivFANBOX:全体公開)

 

 

※記事作成にあたり、Wikipedia、碓氷峠に関するサイト、各種文献、Twitter上での様々な考察などを参考にさせていただきました。

多岐にわたるため個別に挙げることは致しませんが、ここに御礼申し上げます。

また、勝手ながら作者様の取材記を当記事の記述のチェックに使用させていただきました。

この場をお借りして御礼申し上げます。