こんばんは。
JR化後を走ったED75の写真を1両づつUpする”機番シリーズ”も85回目を数えます。番外編を除き全171回を予定しているので丁度5合目に到達、次回から後半戦に入ります。いつもご覧いただきありがとうございます。
今日は151号機です。旅客列車の牽引に活躍した機関車です。
ED75 151 [盛] 1968年落成 → [青]1987年~
国鉄民営化直前に青森へ転属し、JR東日本へ引き継がれます。
151号機の最初はJR発足直後のこの列車なんです。寝台特急ゆうづる。ナナゴー牽引はこれが唯一、初の北東北遠征撮影が最後になってしまいました。この翌年には青函トンネル開業でEF81牽引”北斗星”へ移行、客車”ゆうづる”は姿を消しました。24系客車も既に”北斗星仕様”金帯に見えます。しかし赤い鶴のヘッドマークはナナゴーでじっくり撮りたかったですねー。こういった経験がその後自分でも”アホか”と思う程撮影に出かける原動力になりました。機番シリーズ5合目の節目にこれを持って来ました。
1987/05 東北本線(以下同様) 好摩-岩手川口 5レ
151号機重連牽引の客レと重連の貨物がドンピシャの位置ですれ違ってくれました。貨物の先頭は銀パンのヒサシ付き、”車籍復活機”だったと思われます。
1898/04 岩手川口-好摩 532レ(貨物は4087レ)
牽引しているのは50系客車1両だけ、配給スジだったので検査入場車両だったでしょうか?
151号機は101~160号機”一般型”の1両、撮影数は多くないですが何かと印象深い場面に登場する機関車でした。
1990/05 前沢-平泉 回8548レ
この日は朝5時台、撮影場所を求めてウロウロしていたら不意にやって来ました。後ろに繋がっているのは12系客車です。
同じ日、上の撮影のほぼ1時間後、また12系を牽引して予期せぬ登場。この列車、何だったんだろう?黒磯返しの試運転??逆光ながら”ボーナス列車”が来た感はありました。
1990/06 白坂-新白河 列番不詳(2枚とも)
奥中山の東北本線最高標高地点付近、12系2000番台を牽いて行きます。
1991/02 奥中山-小繋 531レ
急行八甲田で一ノ関着、撮影しながら歩いて平泉駅手前に到達、始発客レを撮影しています。
一ノ関で待っていたらこの列車に乗っていた筈、平泉下車なら時間は殆ど変わりません。この写真を含め朝4時台から何本か稼いでいました。
1991/05 山ノ目-平泉 1523レ
こちらは50系4連の客レ、普通列車はほぼナナゴー牽引客レの天下でした。
1992/06 平泉-前沢 1531レ
ジャンジャン雪が降りだした岩手川口のホーム端にて、この客レに乗車して更に雪深い奥中山へ向かいました。
1993/01 岩手川口駅付近 531レ
曇り空の平泉を行く客レ、スカート右端に戸閉信号伝送用のKE85Hジャンパ栓が付きました。151号機は取付が遅かったようです。
1993/07 平泉-前沢 1529レ
KE85Hが付いたものの、その後の活躍は長くなかったようです。この写真が最後の1枚になりました。
1993/10 苫米地-北高岩 1521レ
151号機は翌1994年に廃車になっています。
撮影数は決して多くなかったですが、ゆうづる牽引など印象深い撮影が出来た機関車でした。
機番表です。白抜きの機番はUp済です。サイドメニューのテーマ”ED75機番シリーズ”をクリックいただくとこれまでの記事が一覧表示されます。
ようやく半分が白抜きになりました。ここまで1年半以上かかっています(・_・;)。全機制覇まで同じくらいかかるのでは?と思っています。全機番の写真は自前で揃うはずなので引き続きUpして行きます。
この先も撮影枚数の多いもの少ないもの...色々出てくると思いますが、お付き合いいただければ幸いです。
(P.S. 機番シリーズのスタートは旧Y!Blog時代の2019年1月、シリーズ記事については原記事の日付で移行という形を取っています。)
以上ED75 151 機番シリーズ第85回 最後までご覧いただきありがとうございました。